腰を痛めて、何をやっても腰が痛いわたしです。
靴下をはけないしズボンもはけない。うぎぎ、となりながら、工夫しながら一センチずつ動いていく仕組みです。
それはそうと、話は突然変わりますが、フェミフェミしい話をツイッターであまりやらなくなって、しばらく経ちました。けんか腰になって、脳が興奮してしまうのです。
それで、ブログに書くようにしました。
最近、興味があるのはセックスワークについてです。そういうわけで、読みたくない人は以下読まないでくださいね。
なんで興味があるのかというと個人的なことがいくつかあるのですが、その中で
「わたしはどうしてセックスワークをしないのか」という問いがあるのです。
数ある職業の中で、なぜ、セックスワークについて考えるのか。それだけ抽出して考えるだけで、「差別的視点」があるのじゃないか、等も思うのですが、わたしは考えるのです。
わたしはセックスワークをしたくなく、そしてしない自分のままでおり、その意思のままいられたのは幸運だった、ということです。
幸運というと変かな?変なような気がする。
女性が貧困に陥ると、まず、内面化された声が「水商売する?風俗する?」と問いかけるのです。女性が、っていうより、わたしはそうだったな…。
そして、クリーニング屋さんで働けるかなとか、コンビニで働けるかなとか工場で雇ってもらえないかなとかいろいろ試行錯誤したんですけど。わたしは親に助けてもらったので、そこが運よかったぽい。
まああとは、向いてないかな、とか、できない、とか、できない理由をいろいろ考えてたんだけど、今思うと、やりたくなかった、これに尽きる。あと、面接行くに至らなかったんだから本気じゃなかったと言うか、やっぱ本気じゃないよ。全然。ぼんやり思っただけ。
そして、それで、やりたくないから、やらなかった自分に、自己嫌悪を感じたりとか、セックスワーカーの人に、罪悪感を感じたりする自分がいる。
セックスワーカーに対する罪悪感の感じ方はとても奇妙だ。
わたしがなにか罪悪感を感じるのはなんでなんだろう?
わたしがわたしの選択をしたことで、罪悪感を感じる必要なんてないのですが、まあ、女として日本で生きている限り、セックスワーカー的側面(生活するために性を売る)ってあるからかな。それはあるよあるある。
コンビニで笑顔で接客するだとか、女だからと軽く見られて暴言を吐かれても笑顔でかわすとかね、まあ、似たような、区別できないような、ことなんだと思うわけです。生活のためにセックスするとかね、結婚だって、似たようなことだともいえるわけです。こびたりしないで生きていきたいけど、わたしはこびたりして生きているので、なんとなく、ぼんやりと地続きの自分を思うのだ。(セックスワーカーがこびているとか、こびるのが仕事とかと言う意味ではなく、こびたりかわしたりすることが必要になる場面があるだろう、はずだ、という意味で)
セックスワークの仕事の求人を見てみると、わたしが働けそうな、仕事は安いの。多分、高級店とかには入れんくて、そもそも、初期投資(ランジェリーとか)が無理だし、からだも絞らないとダメそうだし、それまでどうすんだ、って感じだし、触られない、お風呂に入らない、こっちがサービスして、抜くだけ、とかね、そういう仕事ならね、できる…、かも?と思ったけど、なんかきがのらんかった。待機時間とか、実働時間とか、生理休暇とかね、あるし、本指とかね、ああ、割にあわないな。計算したことあるけど実際働けるのって、月15日行けたら良いんじゃないかな。それもきついかも。(きついとの指摘)
そー、誰だ、風俗って楽に稼げるお仕事って、わたしはそうは思わないな。そもそも好きな相手とのセックスだって、疲れるし、相手にもよるし、選んでしているはずなのに、けっこう疲れるパターンの方が多いしいやになることだってあるし、楽しいこともあるけど、って感じだ。今でさえこうなのだからお仕事にしたらもっとたいへんだろー。たぶん。
わたしのセックスワーカー的側面が、亡霊のように「お前はセックスワーカーであったはずだぞ」とか「今もそれほどちがわねえ」とかいうのです。
わたしはセックスワークについて、高校生の頃興味があった。素朴に。どんな仕事だろー?と。
二十歳くらいになって、「こういう仕事だ」ということがわかり、同級生であの人やってるらしーと噂が立ったりし、「セックスワーカーは女性が搾取されているのだ」と思ったりもし。そして、大学の先生(ロバート元気かな)に「なくすなんていったらダメだ、もう、現実に存在して、実際働いている人もいるのだから、その人たちはどうすればいいの?」と言われて、「ああ、そっか」と思ったわたし。
「オランダでは、合法で、個人事業主として売春をしていて、税金も納め、ルールもあるから結果的に女性も守られるのだよ」とロバートが言うのでわたしの正義感はガラガラと崩れた。
「売春も買春も悪だ。なぜなら違法だから」と単純に信じていた若いわたしの主張は息絶えたのであった。「女性を守る、ってことなら、合法化する方法で何が悪いの?」とロバートは(英語で)言うのだった。(違法って何のためにあるんですかね、と今の私は思う。違法だからダメだ、ってことじゃ何も始まらないじゃん。法律を守るのは前提としても変えるべきだ。必要なら。それが民主主義だ)
生きていくために、いろいろな方法があって、生活保護もあって、いろいろな仕事もあって、専業主婦もあってニートもある。でも、わたしは自分が思っているほど選べなかったんじゃないかなと思うし、選べたのは努力じゃなくて運が良かったんだろうなと思う。
いろいろな仕事の中に、セックスワークがあって、そして、女の人なら誰でもアクセス可能なんだぜ、みたいに宣伝されている。他の仕事はそうじゃないのに。セックスワークだけは誰でも簡単にできる仕事みたいに言われている。それが特殊だ。
宣伝されているから、「いつかしないといけないんじゃないか」とわたしは思っていたのだが、他の職業と何も変わりなく、しなくてはいけない、なんてことはないのだった。そして、わたしがコンビニで働くに至ったように、わたしがコンビニで働く理由があるくらいと同じ意味で、セックスワークを選ぶ人がいる、ってことなんじゃないかと思う。コマーシャルに流されやすいわたし…。
コンビニって最底辺な時給の割に仕事は厳しいし、そんで、わたしがコンビニで働く理由となにが違うんだろうと思った。働くから働くんだよ!か。気分転換だよ、とか、しがらみだよ、とか流れがあって、とか。生きていくためだよ、とかあって。楽しいからかな…。(自分がどれかもわからない)
そして、コンビニ or セックスワーク or die ってほどじゃなくても、まあ、そういう分岐を、どのくらいの偏りで選んだのか、っていう違いなんだろうなと思う。
コンビニを選べるひともいたのにセックスワークを選ぶなんて!!!!!って人もいるし、生活保護を選ぶくらいなら、セックスワークしろ!!!!!って人もいるし、コンビニからもちろん夜の世界とか風俗行く人だっているし、じゃあ、オーディエンスの満足するように生きたら良いんですかね、そんなの無理ですよね自分の人生ですもの、ってことで、何を選ぶのか。
究極のところで、どろと塵とへどろだったら、どろのほうが清潔感あるとか、塵の方が乾いてていいとか、ヘドロの方が栄養価高いよ☆とか、そういう、もう、どうしようもないような、選択肢しかないところで「自己選択」とか「自分で選んだんでしょ」とか「自業自得」とか、「無理矢理やらされたわけでもないでしょ」とか言われるの困る感じがする。
いやその三択に行く前のところで止まっていたかったけど、ブレーキ、なくて、壊れてて、装備されてないから、まっすぐ、さらっと、地獄まで早かった。
そして、もっというと、コンビニが地獄なわけでもなく、普通に日常的にやっていける部分もあるように、セックスワークだって生活保護だってやってみたら普通の日常の顔があるんだろう。
それを同時に経験できないだけで。そして、「普通」の職業の人が「地獄だ」と書いている文章もいくらでも読めるし。
わたしは闘病していて、一日痛いの我慢してたら、あれ、一年経った、二年経った、十年経った、という経験をしていたので、社会生活に復帰するのがたいへんだった。社会は、経歴のない女に冷たいのだった。社会経験が初期の頃にないと大変なのだよ。
そして、そういう生きるの困難系の人が選べる道って、そんなに多くない。多くないのだ。
五体満足で経歴問題ない女の人がつける仕事ってどのくらいあるんだろう。事務とかね、営業、とかねなれるね。そして、それからどのくらい続けられる?専門性を身につけられる環境がどれぐらいあって、どのくらい認めてもらえる?上司は本当に性別にフェアか、そして、子どもを産みたいかどうか聞いたりしないか、とか。そういうことがあって、中断せざるを得ない状況、夫の転勤とか、子育てとか介護とかあって、戻れるかって言うと、戻れないよね、あまり。職業に。戻れる人ってどのくらいなの。正社員で、比べても、女の人の給料って、大卒同士で比べると半分くらいやんか。生活費が、女の人は男の人の半分しかかからん、ってことならいいけど、そんなわけもなく、家賃とか普通にかかる。五体不満足でつける稼げる仕事ってどれだけあるんだろう。
少ない中でどうにか、おりあいつけるんだろう。
日本社会はとても厳しい。
おりあいのつけかたで、あーだ、こーだ、言われる回数の多い立場って弱い。きつい。厳しい。
それに引き換えしっぷは優しい。痛めたしょうもない腰をも平等に癒してくれる。
注)間違ったこと書いてるかもしれない。怖い。でも、ときどき、この関係の話書かないといけない、って思う。非セックスワーカーのわたしが書くことの意味があると思う。
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