「傷ついたら何をしてもいいと思っているのか」と複数の人に言われた。
わたしがしたことは、加害の経緯を明らかにしたことだけなのに、どうしてそれを言われるのだろう。
ゴヒエツコこそ、それを言われるべきだ。
菅野完氏も、性暴力を訴えられたことで、活動や言論、生活を破壊されたが、なにも反論できなくなった
傷ついたからと言えば、何をしてもいいと思っている。
わたしに対して、秘密の強要、沈黙の強制、言論への裏工作、ただ働き、暴言、対話拒否、嘘、使い捨てをした後、わたしが経緯を明らかにし始めたら、匿名でネットストーカーをする。
ゴヒエツコは、「性被害者」を盾に、人を利用した。そして、反論をすべて「二次加害になる」と言って封じた。
二言目には「セカンドレイプだ」と彼女は言う。わたしたちは、黙る。
問題点は二つある。性被害を主張する相手に、言論をもって立ち向かうことが困難なこと。
今回、わたしに向けられた非難は「セカンドレイプをするのか」「被害者保護はどうでもよくなったのか」「傷ついたからと言って何をしてもいいと思っているのか」だった。経緯を明らかにしただけなのに。
経緯を明らかにするだけで「何をしてもいいのか」と言われるなら、性被害者を名乗られて、加害をされたら、沈黙を強制されるしかなくなる。
ゴヒエツコは、言論統制を二つの形でした。反論を、性被害によって封じたこと。裏工作によって、人のいう発言が、「何かに頼まれてしている発言」なのか、わからなくしたこと。人の発言の信頼性を損なったこと。
また、今まで、性被害者たちが訴えた「二次加害をしないでほしい」という要望を、彼女はフリーライドした。
フリーライドしたうえ、その訴えを無効化した。
セカンドレイプと言いさえすれば、相手を思い通りにでき、黙らせ、ただ働きをされられると彼女は学んでいる。
わたしたちがずっとこつこと、「被害内容に触れないでくれ」と言い続けてきたことを利用したのだ。
だから、わたしは、ゴヒエツコの被害内容に触れざるを得なかった。
「被害内容を詮索しないこと」というルールを利用して、わたしに沈黙を強いたから。
だから、わたしは、それを壊すために、彼女の被害内容に触れた。彼女が、性被害者の願いを踏みにじったことは許せない。
今でも、わたしは「何を言ってもいいと思っているのか」「被害者の被害内容に触れるのか」と言われる。
わたしはゴヒエツコに加害されたのに、それでも、守られるのはゴヒエツコだ。
ゴヒエツコはネットストーカーだ。思い通りにならない相手には、ネットストーカーをする。ほかにも、この問題を扱った人にネットストーカーをしている。だから、ゴヒエツコはストーカーをする人間だ。
菅野氏にもストーカーをしたんだろうと、推測することは、そんなに悪いことだろうか。
無関心か、わたしのしていることに「傷ついたら何をしてもいいのか」という人たちは、性被害を、言論統制に利用されたことに対して、怒らないのだろうか。理解しないだろうか。
性被害者の願いを踏みにじられているのに、「傷つけたら何をしてもいいのか」とわたしに言っている場合だろうか。
性被害者の願いや尊厳を、踏みにじられ、性被害者も、加害者だと名指しされた人も、沈黙を強制される事態を作られてしまったのに。
追記
http://ericd.seesaa.net/s/article/440483016.html
こちらのブログからヒントを得ました。
この方の意見としては、
「被害者非難をしてはいけないという形を丸のみしているため、論点が見えなくなっている。
被害者非難をしてはいけないということで、思考停止になっている。
被害者非難をしてはいけないなら、ゴヒエツコの、被害者である、c71を、非難することは矛盾している。」
という指摘がありました。
週刊金曜日からこのような声明が出たようです
リンクもありがとうございました。
承知しています。