ヒールとか、化粧とか、バカは死んでも治らない

去年わたしは職場にとちくるったカッコウをしていった。
生徒にはあざ笑われていたが、あまり気にしなかった。

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こういう服です。

化粧も仕事に行くときにするときとしないときの比率は、1:9の割合でしません。
口紅も塗りません。理由はめんどくさいからです。

思えば、わたしは、華やかなはずのキャンパスライフでも化粧をしていなかったし、就職活動でも化粧をしなかったし、短かった会社員時代にも化粧をしていなかった……。

当たり前だが、化粧をしないと、いい目を見ない。就職活動ではまあ一応塗ったけど、普段塗ってないので逆効果だったと思う。そして、関係ないけど、シュウカツメイクというやつはオヤジ受けが悪いので、普通の可愛いメイクの方が受けると思う。とにかく、可愛くないと、就職活動では不利だ、おっさんの思う「可愛さ」に合致してないと不利だ、と思ったのが、新卒の就職活動だった。
そういうわけで、わたしは新卒の就職活動では、最悪であった。

(中途採用の面接は、そういうことがなくて、何が出来るかだけ見てもらったから、新卒のときよりずっと楽だった。みんなが言うことだけど、転職の方が就職活動楽だから、みんな気軽に転職すると良いよ。)

化粧を気にしないのは一社だけ、外資の会社、go×leくらいだった。

人がどんなパフォーマンスを出せるかどうか、考える会社の方が、先行き伸びるんだろうな、と思った。
でも、たいていの日本的な会社は女の人が花のように美しくて従順かどうかを測っているように思えた。

ということはなにを指しているかというと、「男様による男様の社会」では女の人は「花」みたいなものだから、「花」らしくしてくれないと、「評価しませんよ」ということである。シンプルな話である。
そういうシンプルな話なので、一人の男が「俺は、女の人、化粧しなくてもヒール履かなくても良いと思うなあ」というのは、なんの効力も持たないのである。
問題なのは「男様による社会」という制度にあるからである。その制度においては、女の人は花のように、容姿を評価される客体なのである。男たちは、女の人をあくまで「綺麗だな」と眺めたいだけなので、女が主体を持ってはいけないのである。主体を持った時点で、その女は「うるさい花」になるからである。うるさい花、なんてものは、はっきり言ってホラーである。

その、剥奪された主体を取り戻したい、取り戻すっていうか、主体は、そもそもあるから、自分らしく振る舞いたい、というのはもっともな話である。
だから、ヒールを履きたくない、化粧をしたくない、もしくは、ヒールを履きたいときだけはきたい、化粧をしたいときだけしたいし、TPOにかなってようが、かなっていまいが、主体性を持って、自分の好きなときに好きなカッコウをしたい、というただそれだけの話である。

ヒールは痛いし、足も変形するし、だからデートのときだけで良いと思うし、化粧は高くてめんどくさい。時間があってやりたいときにだけ楽しかったらしてやっても良い、という感じ。

ただそれだけのはなしなのだが、それをすると、仕事上評価されない。男様による男様の社会は男の気まぐれによって運営される。男様は綺麗に着飾って弱々しく見え、言うことを聞きそうな女が大好きだ。それに見合わない女は、生活を干される。そういう仕組みがある。だから、規範から外れることができない、と言う風に、主体的に振る舞いたい女たちは苦悩するのである。

それが、「フェミな女は文句ばっかり言って、幸せに見えない」とののしられるゆえんである。
本当は逆で、幸せに生きたいのに、世の中の規範が、邪魔をしているので、文句を言っているのである。なのに、フェミだから不幸になると言われるのは心外である。こちらは世の中の制度にものを申しているのだから。

化粧をするのは礼儀ですよ、というが、わたしは化粧をしていなくても、特に気づかれない。何も言われたことがない。温泉で顔を洗ったときに、「c71ちゃん化粧してなくても顔変わらないねえ」「もともとしてないからね」という会話をするくらいなので、気づかれていても、問題視されてないか、気にされてないかどちらかわからないが、ともかくそうなのである。

でも、化粧をするのは礼儀なのである。そういう風に顔を塗ること、それが礼儀なのである。ヒールを履くのも礼儀なのである。常識なのである。女の人が化粧をしているのかが、現実的に見分けられるかどうかは関係なく、とにかく、化粧をすることという建前が守られるのが大事なのである。
そういう圧力がある。

そして、人生を主体的に生きたい女たちが何を問題にしているのかというと、「化粧は礼儀」「ヒールは礼儀」という社会規範そのものである。その規範を壊したい、壊せないにしても自分だけは無関係に生きたい、それが幸せになる一歩なのだと考えているのである。
化粧、ヒールの押しつけが象徴しているのは、女を客体とする、というまなざしだからである。
だから、親切な人が、「社会的常識なのでした方が良いと思いますよ」というのは、社会規範をおしつける行為なので、主体的な女は、それをすでにわかった上で、それから脱出したいと思っているのだから、それは無意味なやりとりなのである。無意味っていうか、つらい、地獄。

まなざしから、抜け出して、自分らしく生きる、ということが、大事なのである。
が、その「まなざし」の有無自体、感じられる人にはあると感じられるし、ないと思っている人にはないのだから、そこからして、話が全く通じない。

わたしが、ワンダーロケット的な服を着ているとき、営業のパフォーマンスは、最大であった。どのくらい最大であったかというと、目標の値を軽々と上回っていたのである。わたしが好きな服を着ていたから、機嫌が良かったのだろう、生徒にも好かれていた。
あのときは、なぜか、わたしの服装をとがめる保護者の方もいなかった。わたしがどれだけ変な服を着ていても、言っていることがまともで、生徒の成績を伸ばすことができており、親御さんの悩みを聞いて共感する、という職務を果たしていたら、まあ、良いかと思ってくださったのだろうか。

わたしが服装を注意され始めたのはその半年後である。直接教えている生徒からはなにもなかったけれど、わたしを見た、他の先生の生徒が、疑問を感じたとのことで、塾のイメージが悪くなると言った理由で指導された。それは、どういう指導かというと「靴下をはいて」「肌の露出を控える」「おとなしい服装にする」ということである。ここにいたっても、わたしは、化粧をしていないし、ノーヒール、ローヒールの靴を履いている。

女性相手の接客だったら、化粧していなくても、服装が多少変でも、言われるほど、規範に沿っていないから、といって、営業のパフォーマンスが出ないわけでは限らないのだ。
それにこだわるのは「えらい会社のえらい男性」「男性の規範を内面化した女性」という結論がわたしに出つつある。

規範が脅すことには、営業をするからには毛穴を隠して、ヒールを履かないと失礼になるから、商品を買ってもらえない、とのことだが、実際にはそうではない。
接客と営業の仕事であるわたしが、ワンダーロケットを着ていたって、営業が取れているんだから、カッコウは、本当は関係ない。「男の人」だと違うのかもしれないけど「お母様」「お父様」という立場の、「花」を求める立場じゃない人からすると、そういうのは必要ないらしい。
わたしが主体的に生きていることの方が、よっぽどパフォーマンスに影響する。
主体的に生きていたら、相手のことを親身になって考えて、状況を分析して、営業するってことが可能だからね。
客体として生きていたら、即時に適切な対応取れないじゃないか。

接客ですら、洋服や化粧でパフォーマンスが変わる、というのは、思い込みだって言うのに、他の仕事だったらもっと思い込みだと思う。
相手が失礼だと思うかどうかなんて、やってみないとわからない。みんなが少しずつ、相手が好きなカッコウをしているからと言って、「失礼」だと思わないようになれば良いのにね。
相手が「こういうカッコウしているから、自分を軽んじられた」と思うのは、はっきりいって、自意識過剰です。そういうのが、少しずつ治れば良いなと思う。

また、男である俺はヒールなんて履かなくていいと言っているのに女は、勝手にヒールを履く、というのも、現実の社会の力関係を無視していると言わざるを得ない。主体的な女が問題にしているのは、一人の男がどう思っているかではなく、男という制度にのっている男がどう思って、査定するのか、ということである。

女の人は、化粧をしたり、ヒールを履いたりを、いやいやしていたら、本来持っているパフォーマンスを出せない。また、女の人を「花」だと思っている職場では、パフォーマンスを出すことを嫉妬されるので、より、出せない。出したら、いじめられるのである。そうすると、本来、残っていられるはずのない、男性が良い給料をもらったりするだろう。それは、本来優秀な人がもらえるはずだった給料なので、不平等だ。
日本の半分が女の人で出来ているのに、その人たちが、正当に評価されない、賃金が低い、適切な場所に配置されない、というのは、本当に経済的損失だし、それ以上に、女の人の幸せを奪っている。
日本の人々(主に男性)は、対等な同僚として女を扱えないから、日本の社会の生産性が低い、との意見がBCCなどでも報道されたという(ソースはどっかいった)。

化粧がいや、ヒールがいや、だというと、そんないやだったら、それを強いる会社から出れば、そういう文化のある日本がいやなら、でていけば、という意見が絶対に出る。
そういうのって、本当に攻撃的だし、何も解決していない。
女が主体的に生きられれば、良いことがいっぱい起きる。
労働生産性が上がるし、女の人は幸せになるし。日本の半分の種類の人が、幸せになりやすかったら、とても良いことだ。
国家はそもそも、日本に住んでいる人を幸せにするために存在しているんだから。

女が主体的に生きる社会を作るために、せっかく問題提起している人がいるのに「いやなら日本から出て行けば」といってしまえば、日本が良くなる機会を逸してしまう。それって、日本を愛している人にとっては、痛手だと思うのだけど。

わたしは、ヒールも化粧もいやだったら、仕事を変えた。これは、運がよかった。みんながそうできるわけじゃないし。今いる場所で変えられれば一番良い。

「礼儀」だと言う人は、親切かもしれないが、主体的に生きたい人のことを全く考えていないから、迷惑な存在である。
だいたい、人のスッピンを「失礼だ」というのは、その顔の持ち主に対して、失礼なことを言っていると思わない神経がすごくずれていて、もうダメだ。
顔はその人自身の一部なのだし、それについて、外野がどうのこうのいうのは、本当に、失礼なことだ。

よその国に行けば、と言っているうちに、女の人がどんどん国内からいなくなって、滅んでしまうのもまた一興だと思う。本当にそうなれば良い。
ヒールと化粧と、好きにすれば良いじゃん、ってのが、わからない「礼儀だ」人って、多分死んでもわからない。

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ヒールとか、化粧とか、バカは死んでも治らない」への9件のフィードバック

  1. 男性も無精ヒゲぼーぼーで営業を行えば成績に悪影響が出ますので毎朝面倒でもきっちり刃を当ててから出勤しなくてはならないのですが、
    そういった身だしなみそのものが抑圧であり、規範の押し付けであり、主体性を奪う評価だということでしょうか。

  2. 「ご自分で考えてください」と書かれたところに、私の意見を挟みますが、すみません。
    男性も、無精ヒゲぼーぼーで、
    営業の成績に影響がない自信があったり、
    営業の成績に少しくらい影響があっても良い、という考えなら、
    無精ヒゲぼーぼーで良いのでないでしょうか。

  3. 無精ヒゲを、顧客相手がどう思うかが大事で、
    (無精髭が気にならない、あるいは、無精髭が好きな顧客層を開拓するチャンス)
    顧客がどう思うか関係なく、規範を押し付けられることが問題なのでないか。
    身だしなみを、規範の押し付けでなく、主体性を持って行える社会に、もう少しなれたらいいんでないか、ということなのかな、と私は、理解したのですが…

  4. コメントへのレスポンスが真摯でもなければ浅すぎてがっかりしました。さようなら。

  5. 春於さん
    真摯なお返事ありがとうございます。
    私は元々このエントリを重大な問題定義だと認識しました。
    たとえばパンツ一枚で外を出歩いたらどうか?刑法のわいせつ物陳列罪には該当しませんが、「社会的規範」(という名の差別)に抑圧されることは間違いないでしょう。
    女性のヒールも、化粧も、男性の無精髭も、スーツやネクタイも、そもそも(特定の)衣服を着なければいけないことも、押し付けられたものであれば主体性を奪うことと同義であるというc71さんの意見には同意です。(それを確認したかったのですが、コメントをいただけませんでした)
    実際に海外ではヌーディスト達が衣服を着なければいけないという社会的規範(常識の押し付け)に抗議活動をしていますから、
    もしかすると日本社会でも近いことが起こるかもしれませんね。

  6. ナナリさん
    さようならということですが、春於さんあての文章を読んで少し理解できたので書きます。
    わたしは、ナナリさんの発言を揶揄だと思ったのです。なぜなら、ブコメに揶揄が多かったから、その流れだと思ったのです。かなりストレスがかかっていたと思ってください。情状酌量にはなりませんが。
    それは、わたしの読み間違いだったのですみません。申し訳なかったです。
    意図を説明しますと、
    ご自分で考えてください、というのは、メンズリブは、わたしの方面ではないので、メンズリブについては、ご自分でしてください、ということでした。
    身だしなみについての抑圧ですが、女性についての方が、抑圧が高いと思います。
    しかしながら、男性にも抑圧はありますね。
    ひげそりは、かなりストレスが高いものだと推察します。けがをする恐れがあるものなので、危険ですね。
    肌も痛めますし、苦痛だと思います。そういう慣習がなくなり、自分で選べれば良さそうですね。
    わたしは、ある程度清潔だったら、ひげぼーぼーでも、アロハを着ていても、短パンでも、なんにも問題はないと思います。
    個人的には、衣服を着ていただければありがたいという思いはありますが、わたしも肌ガで過ごすのが好きですので、ナナリさんが、おしつけられたカッコウが抑圧だと感じるのだったら、もちろん、自由になるべきです。
    わたしも職場の環境が許す限り、自由な服装をしたいと思っています。

  7. ところで。
    メンズリブのことは、メンズリブの方で考えてほしいのです。こちらに丸投げすることなく。
    その意図を、浅いと言われたのは心外でしたし、さよなら、といいつつも、ここのコメント欄を使って、私信をするのは、わたしに対して、甘えというか、問題外の行為です。
    わたしから、コメントが返ってくるとは限りませんし、コメントの内容が気にくわないからといって、「浅すぎる」「がっかりした」「さよなら」と書くのは、失礼です。
    わたしがコメントを書くのは自由ですしその内容もまた、自由ですから。
    わたしはナナリさんを受け止める義理は一切ないです。

  8. c71さん
    私は本当にがっかりさせられたのです。それで、思わずさよならと書きました。
    しかし、確かに失礼であったと思います。仰る通り、真摯なレスポンスがいただける保証など何も無いのですから。
    それから何が誤解されているようですが、私は男性ではありませんので、当然メンズリブ活動家ではありません。(フェミニズム活動家でもありませんが)
    ですので、実際に髭剃りの苦痛を体験したことはありません。夫が毎朝行っているのを見ているだけです。
    c71さんの主張に共感できたのは、私が化粧が上手くないため、そもそも面倒と感じているために苦痛であるということ、そもそもマナーとはなんなんだ?と常々考えていたことからでした。
    少し残念なのはあちらはあちら、こちらはこちらというスタンスでは、人類の半分は男性ですので、最終的に孤立するだけで広く理解が得られないであろうということです。
    わずかなコメントから仮想敵認定されたままでは、私はc71さんのことを誤解し続けたままだったと思います。
    私個人のことで言えば、最近は少しずつ自由な格好をするようにしています。パート先に化粧をして出て行く頻度もぐっと減りました。
    また男性のスーツ姿は好きですし、できれば仕事にはスーツでいてほしいと気持ちはあったのですが…鏡写しで、そういった考え方自体が押し付けであると最近は自覚し直そうと努力しています。
    長くなりましたが、コメント返しをありがとうございました。これからも頑張ってください。

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