国民、ってコールしていると聞いた。
国民の言葉のどこがだめなの?と思う人がいると思う。
日本には、たくさんの日本国籍じゃない人が住んでいる。
仕事もしている。税金も納めている。あんまり知られていないことだけど。
そして、屈辱的なことに、彼らには、選挙権がない。
国民という言葉は、人を分断する。日本には外国籍の人がたくさん住んでいて、たぶん、日本に骨を埋める人たちが、国籍を持っていない場合が多いのだった。
日本語だって話せて、日本語しか話せない人だっている。
そういう人を、分断したら、だめでしょう。
戦争はみんなにかかってくることだから。
法律基礎論や憲法概論に、「市民」って言い方で載っていたことに、当時は驚いたものだ。
市民?なんで?国民じゃダメなの?
でも、そう、配慮してあったのだ。今思うとすごい。排除しないように、なっていたのだ。
教養は、人を排除しないために必要だ。
そして、教養は人を傷つけるためにも使える。心と、教養、両方あると、とても良い。
市民、って言い方が、絶対の正解だとは思わない。
だけど、国民、って言い方やめましょう。
追記
コメント欄から
たりさん より 引用
なぜなら、「『国民』は外国籍者を含まない」は、外国籍の人々の人権を損なっている政府の立場なのです。
逆に、そうではないとして権利獲得で闘っている人々にとっては、「『国民』には外国籍も含まれる」という主張が最大の柱の1つになっています。
例えば、以下の外国籍の方の参政権獲得を訴える訴訟の判決をご覧になれば、訴えた側の最大の拠り所が「憲法15条1項にいう『国民』とは国籍保持者のみのことではなく社会の構成員として日本の政治社会における政治決定に従わざるを得ない者をいうと解すべき」であることがわかると思います。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/2-1.html
なので、「『国民』には外国籍者も含まれる」が当然のこととして社会に定着しないと、いつまでたっても外国籍者の平等は実現しないことになりかねない面があるのです。
とのことでした。
とても複雑な問題です。
不勉強なことで申し訳ありません。知ったので、改めます。
ガイジン舐めんなともコールしてましたね。内と外とをわける差別的な言葉ですが、市民だって元々は男性しか指してなかったですからね。様々な実践が現場では行われてます。
たしかに、市民と言ったほうがよいですね。
市民(citizens)ではなく人民(people)のほうがよいのでは?
市民では都市で生活する人だけを指しているように思えます。市民ではど田舎で文明の力を排除して生活しようとしている人を排除しています。
ただ人民では共産主義とのリンクを連想してしまうというのが玉に傷ですが・・・。
終戦直後はそんな感じの議論がいくつもありましたね。「国民」「市民」「人民」「民衆」・・・・・・。
市民てのは参政権がある人のことを指すわけで選挙権がなきゃ市民じゃないってのをオブラートで包んで話してるんじゃないかな?
(人民てのも国民の言い換えでしか無いような気がする。)
成程ね。 国民精神総動員・滅私奉公とは云えても、市民って元々自立した個人を意識した概念だから、国家意志即ち権力の統制には馴染まぬ用語だよね。
話は逸れるけど、自立した個人として支配層意思体現の国家政策に対峙して是々非々で判断行動しよう、と云う含意の「プロ市民」って用語が、ネトウヨ デマゴギーに依って恰も儲け米塩の資に為すが為の発言乃至行動の如く摩り替えられてて、其れも用語としての「市民」忌避感情の繋がって居るかも。まあ少数乍も却って利権目当ての偽装右翼市民運動もごく僅か有ったらしいが。
はじめまして。
「国民」の用語の問題ですが、実際はもう少し問題が複雑だと認識していて、その点について少しコメントさせてください。
まず、憲法の英文対照をみれば一目瞭然で、既にご存じかと思いますが、制定過程などから憲法上の「国民」は本来「people」な訳です。
http://www.japaneselawtranslation.go.jp/law/detail/?prntID=&id=174&vm=03
制定時日本側がそれを国籍者限定と読みやすいように強引に国民の訳語を当てました。その点は例えば後藤氏の下記の論考などが参考になります。
https://twitter.com/tari_GT/status/617471541429694464
https://twitter.com/tari_GT/status/617471422974144512
従って、「国民」の語に問題があるのはその通りなのです。
ただ他方で、当然ながら憲法学的には国籍者限定の解釈はできない訳です。そうなると本来のpeopleとして憲法が想定する以上に人権を制約してしまうからです。
特に「『国民』の解釈は国籍者限定」だから使ってはいけない、とすると在住外国籍の人々の不平等の解消が実現しない可能性がでてきます。
なぜなら、「『国民』は外国籍者を含まない」は、外国籍の人々の人権を損なっている政府の立場なのです。
逆に、そうではないとして権利獲得で闘っている人々にとっては、「『国民』には外国籍も含まれる」という主張が最大の柱の1つになっています。
例えば、以下の外国籍の方の参政権獲得を訴える訴訟の判決をご覧になれば、訴えた側の最大の拠り所が「憲法15条1項にいう『国民』とは国籍保持者のみのことではなく社会の構成員として日本の政治社会における政治決定に従わざるを得ない者をいうと解すべき」であることがわかると思います。
http://www.cc.kyoto-su.ac.jp/~suga/hanrei/2-1.html
なので、「『国民』には外国籍者も含まれる」が当然のこととして社会に定着しないと、いつまでたっても外国籍者の平等は実現しないことになりかねない面があるのです。
「国民」の語の問題を扱う時は、その点も留意して頂けると非常にありがたく思います。
以上、いきなり長々と済みませんでした。お許し頂ければ幸いです。
「人民」はだめなんですか。
たりさん
教えてくださってありがとうございます。
わたしはこうしたことが不勉強なので、教えてくださってありがとうございます。
本文にも引用させていただきたいのですが。
他の皆さんもコメントありがとうございます。
わたし本人は人民でも公民でも、人々でも、なんでも良いと思います。
というのは、わたしはこの件について不勉強ですので、わからないからです。歴史的経緯も、わかっていない部分があります。
だから、他の皆さんの考えも知りたいと思っています。
「市民」はcitizenの訳語でもありますが、この語には単に住んでいる人というだけでなく市民権(ほぼ国籍と同義)を持っている人という意味がありますね。特に米国では普通は後者です。(Are you a citizen? と聞かれたら米国籍を持っているか聞かれている)。日本語でも両方意味がありますが、日本語の場合は市の住民を指すことの方が多いかなと思います。そちらはそちらで、上で指摘が出ているように、都市部以外に使うには違和感がありますね。
単に住んでいる人というだけなら住民(resident)でいいわけですが、そういう実務的なこととは違う文脈ですよね。
いっそ、「民」たみ、だけにしてしまうとか(古くさい?)
何も屈辱的じゃなくて、参政権がないのは当たり前なんだけど。
共和国でもないのに市民は嫌だ
共産国でもないのに人民は嫌だ
国民が一番しっくりくる
国が存在する限りは、国民という言葉を使っていいと思います。
問題は使い方で、
国民の中には多様な人間が含まれるよ、反政府の人間も国民だし、女性も障害者も国民だよ、という当たり前のことが配慮されればいいでしょう。
また、国の中には、国民でない人もいるし、いていいのだ、国民でない人間も、当然、幸せに生きていい、いろいろな事情を勘案されるべき。
まあ、これからは、われわれは、地球民になっていかないといけないのかな、とは思います。
だんだん国境が意味なくなっていくといいな、と思います。というか、国境が、今で言うところの県境みたいなものになっていくといいな。
郷土愛と地域独特の文化は大事に。