わたしは若い頃「虐待」という言葉を自分に対して使わなかった。
耳に入らなかった。
毎週精神科に行って「あなたのおかあさんが異常です」と言われていたのにも関わらず。
若い頃に気がついていたら、死にたくなることの理由も分かったのになあと思う。
虐待されていると世界に対する信頼感が奪われてしまって、それで、死にたくなっている側が「病気」で「問題を抱えている人」になって虐待をしている側が「正常」と世間的には呼ばれるのだ。
でも、家にいるとどうにも苦しくて死にたくなるから不思議だなあと思っていた。
自分に虐待と言う言葉をあてはめることを思いつかなかったのだ。
まさか、自分が虐待されているなんて。
思いもしなかった。その行為に名前を付けられなかった。
主治医が教えてくれても、耳に入らなかった。
脳が拒否して。
おかあさんといると、死にたくなる。
でも、それは「あなたが異常だから」と言われて、そうだな、と思って受け入れていた。
スケープゴードの本とか読んでいたのに。というか、母も読んでいたのに。
母は自分が虐待されていたことに関心があったけれど、わたしを虐待している自覚はなかったのかなんなのか、知らないけど「育てにくい子どもを持ってかわいそうな、わたしは、努力しています」というアピールは欠かさない人だった。
感情を論理的に提示する。
虐待と言う言葉を持っているのに、それを自分に使えないこと。
わたしは、迂遠な道ながら、感情を論理的に提示する方法を試行錯誤して、何年もたって、人からよく気持ちをこんなに書けますね、と言われるようになっても、自分の親に対して、「虐待」という言葉を使っても良いんだ、と思うに至るのにはすごく長い道のりが会った。
虐待と言う言葉を持っていても、使えなかった。
親といると体調が悪い。それに気づいたのは、記録をつけたからだ。
だから、体調が悪くなる原因を切り捨てた。
健康になった。
それから、虐待と言う言葉をおそるおそる使えるようになった。
切り捨てることで世界が広がった。友だちもでき、仕事にもつけた。お客さんはわたしの体調を心配してくれるので、いつも感動してしまう。ひどいことも言われず、褒められて、感謝される。
あんたは何にもしないね、とか言わない。素晴らしい。
親のいない道を行こう。
そこには孤独が待っているかもしれない。
さみしい人生かもしれない。
でも、さみしさも孤独も悪いものなんて誰が決めたの?
さみしくて孤独で、わたしは健康になった。
ねえ、わたしたちは行こう。健康な道を行こう。切り捨てていこう。
素敵な道のりになるよ。
子どもを作ったり家庭を作ったりすることには間に合わないかもしれない。
一人暮らしをするのにも、一人で稼ぐのにも間に合わないかもしれない。
だけどでもなにか社会と接点をもつことがそれさえできていたら、きっといつか素敵なことが起きて、わたしたちは生きていける。
わたしはもう、子どもじゃないから、許す天才になんてならなくていい。
すべての子どもよ、かつて子どもだった人たちよ、わたしたちは、生き延びるために天才であった。
だけれども、今は天才ではなくていい。
わたしたちは、生きることのサバイブすることの天才でいよう。
心地よいことを追及するための天才になろう。
工夫しよう。
生きる価値がないと思い込まされたのは、虐待の結果だから、真実じゃないと言い聞かせよう。
生きる価値があるのかなんて、わからないけれど、わたしたちはこの道をいこう。
捨てた分だけ軽くなって、新しいものを手に入れる。
わたしたちは天才をやめよう。
わたしたちは、自分自身を快適にするための工夫だけしよう。
この道を行こう。