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このエントリを読んで、セクシャリティについて考えました。
わたしは、ポリアモリーに挑戦してみましたが、今回は失敗しました。
相手によるのかな。
家族はいいものだ、という気持ちになったのは、六帖といいコンビだからです。
でも、六帖は他にいないので、他の人にも六帖を勧めるわけにはいきません。
細かく考えることが大事です。
細かく考えると、「家族」がいいもの、というよりも「六帖と家族なのでいい」ということです。
六帖が私のところにきたきっかけは、恋に落ちたからです。それがなかったらどうだったのかな。
でも、六帖に対して、恋愛感情がない時点でも、一緒に暮らしたいと思いました。
彼が真摯で、真剣だったからです。
彼は、恋がなくても、わたしのことを天才、理解して、ケアをしたい、といったと思います。
でも、恋はやっぱり行動を起こすための大きな原動力だったので、恋がなければ、「いきなり会いに来る」という行動力を発揮しなかったとも思います。
わたしはヘテロセクシャルです。複数恋愛もちょいちょいしていました。浮気、という感じじゃなくて、何年もなんとなくセックスする相手がいて、でも、他に恋人ができたら、しばらく会わないでいて、別れたころにまた会う感じ、というつながりがある人がいました。今はその人とは切れていますけれど。
しばらくは、これだけ続くのだから、運命の相手なのかな、でも、しょっちゅうは会いたくない、と思っていました。
男がぶつぶつ言う、という現象をあまり見ないなとは思っていたのですが、ぶつぶつ言われたらその場で出て行ってもらうし、家事をしなかったらやっぱり出て行ってもらう、もしくは自分が出ていく、ということだったので、記憶になかっただけみたいです。
性的マイノリティの、特に女性は、経済問題があります。
一人で生きていくにはお金が足りないという問題と、場合によっては、性的マイノリティであるため「普通の世間の形」にはまれないため、家族とうまくいかない原因にもなるので、性的マイノリティであるだけで、貧乏になりやすい、ということがあると思います。生まれ育った家族を頼れない、という問題ですね。
ロマンティックラブイデオロギーに乗っかっている人だと、性的マイノリティでも、二人で稼げるので、お金は困りにくいみたいです。それと、性的マイノリティだからと言って、いい人とは限らないので、搾取の問題は、同性同士だろうが、異性同士だろうが、関係なく起こりますね。パンセクシャルでもバイでもね。ビアンでも、ゲイでも。トランスでもなんでも。
アセクシャル、ノンセクシャル、デミセクシャルの場合は、一人で死ぬまで生きていくプレッシャーにさらされやすいと思います。
恋というのは、家族やパートナー、同士、協力関係を作るうえで、きっかけになりやすいです。
でも、そうじゃないから。それがないと、難しい。
実際のところ、ヘテロセクシャルでも、恋をきっかけに家族になった後、相手に対して不満たらたらになって、具合が悪くなったり、ストレスでうつになったりします。
年配の人だと「女の人がすべて世話をする」という規範に添ってしまい、物理的な労力を割かないといけないから、それもきつい。これは、年配関係ないか。「女の人がすべて男の人の世話をする」という規範は、物理的労力を奪います。
一人分の面倒を見るのも大変なのに、他の人の面倒を見ないといけないのだとしたら、家族なんていないほうが楽だ。
アセクシャル、デミセクシャル、ノンセクシャルは、ロマンティックラブイデオロギーに触れるだけでも削れる部分があるから、体調が悪くなりやすいと思います。
ストレスだろうなと思います。わたしだって「子供つくれ」「結婚しろ」「入籍」と最近言われて、具合が悪くなりました。
マジョリティが思っているよりも、こういうセリフは、体や心を壊します。「世間」「普通」発の価値観で裁かれると、反論するにも、オープンにしないといけないし、オープンにしたところでわかってもらえないどころか、さらにもっと削れることを言われます。だから、黙るしか選択肢がない。
だから、マイノリティは、体調が悪いんじゃないかなと思います。
わたしはポリアモリーっぽいところもあるし、いつまた戻るかもわからないけど、今のところは、六帖で十分という感じ。
でも、もしかしたら、他の人とセックスしたくなる時があるかもしれない。そういう意味で揺らぎはあります。
わたしは、セックスしたからと言って、誰かの面倒を見ることはないんだけど。
真剣に付き合ったとしても、面倒は見ない。見るのが嫌だから。真剣に付き合うイコール面倒を見るわけじゃないと思います。
自立した大人と大人が二人で一緒にいて、話し合ったり、交流することで、視点や、考えが深くなる機会になったり、楽しかったらそれでいいと思います。だから、複数恋愛も人が言うほど負担には感じません。もちろん、話を聞いたり、相談に乗ったりはするとは思いますけど。それ以上の労力はきっとこの先も払わないと思います。
そもそも、わたしは、恋愛関係にあろうとなかろうと、かかわりを持った人に、労力を割きすぎるきらいがあるから、これもあてにはならないんですけど。
パートナー2とつきあったときは、なんだか楽しかったし、一緒にいて幸せだったし、うきうきしました。別に彼が優れているとか素晴らしいとかじゃなくて。そういうことで恋に落ちたわけじゃないんですよね。
ただ、彼が心を開いてくれた気がして、それがうれしくて、こちらも自己開示をして、それを理解してくれていた感じが良かった。だから、彼のことが素敵に、かわいく、かっこよく見え、スタイルがいいとか、筋肉質だとか、そういうところもよく見えた。興味がなければ、かっこよく見えなかったと思います。かっこいいだけじゃ、恋に落ちません。
セックスと恋は別に考えています。重なるところも多いですし、今は重なっていますが。
好きな人とセックスできないときは、適当に調達していた頃もあります。
セックスしたいときは、清潔感があって、乱暴じゃなくて、嫌なプレイをしなければ誰でもいいとも思いますし、実際そういう風にしていました。それほど、経験人数が多いわけでもないんですけど。
若いころは、恋と執着と依存が混ざっていて、自分でもよく分かっていなかった。発情と、恋の区別すらついていなかった。
今もついているか怪しい。
今は、六帖といい感じにバランスよく依存していると思っています。お互いが不自由にならないように、補い合うことができていると思います。
これから、どうなるのかな。自分でもよくわかりません。
でも、誰かを搾取したり、利用したり、そういうために、セックスも恋も利用したくないなーって思います。
家族とはセックスできないっていう昔の意見はバカみたいだと思う一方で、家族である六帖以外とセックスすることもあるだろうな、と思います。
そのへんは、誰に相談するというより、倫理がどうというより、六帖自身と相談したいです。
性的マイノリティの話は、とにかく、個別で、細かく考えていくことが大事なんじゃないかというのが、今思っていることです。
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