汎用性のある人間

定型の人間は、どんな状況でも対応できる人が多いイメージがあった。
あったのだけど、そんなことはないなと思い始めた。

わたしは、とても天候に左右されやすい。少しいやなことがあると、近視眼的になるので、悲観的になる。体調のコントロールも難しいし、気も利かないし動きもとろい。動作性の能力が低いのだ。
言語性の能力はワイズでほとんど満点を取れるのだけど、動作性が低いせいで全体ではちょっと高いレベルにしかならない。

ブログも、わたしの知性は世界に還元しないといけないから、と思って、なぞの責任感のもとに書いていた。
優れた人間は、たまたま、その時代の要請にあった能力が備わっているだけで、運が良かっただけだと思っているからだ。
時代が変わって、運動能力が評価される時代だったら、わたしは生きていけなかっただろう。

わたしの身の回りの人はクローズなのを加味しても、きっと、定型の人が多い。
しかし、それらの人がみんな汎用性が高くて、どんなことでも対応できるかというとそうじゃなくて、向き不向きがある。
わたしの場合は、その向き不向きががくっとある。
だけど、個性を生かせる職場にいれば、そのことはハンデにならない。

定型の人は、無理をして、適応してしまうようにみえる。
もちろん、わたしもそうだけど。
向いていないことをわざわざやって、克服しようと考えてしまう。

でも、実際には向いていることをした方が良い。
できないことを伸ばすよりも、個性が生きる場所で過ごした方が楽だ。
ストレスが少なければ出来ることも増える。出来ることが増えなくても少なくとも快適だ。

ただ、そういう環境を手に入れるのは、定型だろうと、そうでなかろうと、難しい。

しかし、汎用性のある人間になることを目指すのをやめることからしか始められない。
とにかく、今、いやなこと、不快なこと、したくないことをひとつでも減らすことから試して、気分が変わるかやってみたい。

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