罪を許したときのこと

ストーカーにあったときの話をします。

だから、フラッシュバックを起こしそうな人は読まないでください。

わたしは、小学生の時、筆箱を男子に投げられました。輪になってパスするので、取り返せませんでした。

だから、小刀をもって、刃の部分をしまって相手を脅して止めさせようとしました。

殺しても良いと思いました。

怒られたのはわたしでした。

からかわれたとき、机を投げて暴れました。
からかわれにくくなりました。

靴を隠されました。捨てられました。傘を捨てられました。

探しても探しても出てこず、心配顔をした人が首謀者でした。

だれも罰せられませんでした。

わたしは泣きました。

大事だったからです。

だんだんやり返しても無駄なのだと学習しました。

平気になったのかと自分でも思いました。

その後、ストーカーと知り合いました。
彼は加害を反省して泣いて、謝りたいと言いました。
わたしは彼を慰めました。

その後、彼はわたしのストーカーになりました。
つきあってくれないと死ぬというので付き合いました。

今わたしは、学習性無気力、ストックホルム症候群、自他の境界がなくなるほど、弱っていたからと知っています。

でも当時は誰にも言わず苦しみました。
自分が苦しいと感じることも禁じていました。

なぜならば、わたしに価値がないのだから、わたしが犠牲になることで、人の命が助かるのなら、命を投げ出そうと思いました。

離人になりました。夢の中にいるようで、感覚がなく、生きているのかわからなくなりました。

わたしはそれからもいろいろな症状で苦しみました。
それが他人のせいだと言えませんでした。
自業自得だと思いました。

わたしは大人になったので人のせいにできるようになりました。

わたしは悪くありません。

わたしは繰り返し人に迷惑をかけました。

でもわたしは悪くありません。誰のことも加害していないからです。

わたしは自分の規範や境界を取り戻すことにかなりの労力を払いました。

わたしは、悪夢をみます。
でも今それは現実ではありません。

起きても悪夢のなかにいたとき、わたしは生きていると言えませんでした。

わたしはあのころ、わたしのことが大事ではなかったから、人をかばいました。

わたしはそうさせた人たちが憎いようになりました。

わたしは今は小刀をもって戦える自分だったころに戻りつつあります。

小刀をもって、立ち向かったことは悪いことです。
でもわたしはあの勇気が懐かしいです。

靴も筆箱もわたしにとっては大切なものでした。
ランドセルを踏みにじった男子をわたしは今も許しません。

あのとき守ってくれなかった大人も許しません。

わたしは、わたしのことを守れる大人になりたいです。

わたしはとても悲しいです。
わたしは、わたしに暴行した本人が、わたしに謝ったとき、子供だったので許しました。

その五分後には、お前が誘うからおれはあんなことをしてしまったのだとなじられました。

わたしは謝りました。

本当に悪いと思ったからです。
その後、わたしはその人をかばいました。
頼まれもしないのに。
彼の人生が終わることを防ぎたかったのです。
わたしの人生は終わっていたから。

規範は容易く力関係によって歪みます。

本心から許しても、その言葉が本当であっても、その後の自分を傷つけることはあるのです。

わたしと同じような人がもう二度と現れなければ良いのに思いました。

でも、そうはいかなかったようです。

わたしはとても悲しいです。

わたしは世界中の誰が敵でも、あのとき小刀をもって、大勢の暴力に立ち向かった子どもだった自分のことが一番好きです。
誰に否定されてもです。

c71の著書

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