良い人だって思いたい

他人のことを「この人は悪気があってそうしているはずない」「本当は良い人」「本心は違うはず」と思いたいときがある。
そうすると、見る目があっても、濁ってしまう。
行動がすべて。
行動でしかその人をわからない。直感と、観察したことがその人を表している。
わたしが、その人を「良い人だと思い込みたい」というのは欲だ。
そうであってほしいというエゴだ。

エゴがあると、見たいところしか、見なくなる。そうすると、人の本質に触れない。
だまされやすくなる。
傷つけられやすくなる。人の混乱に、引っ張り込まれやすくなる。

良い人だから、助けて上げたい、と思ったとき、良い人だったら、そういうことをわたしに言ってくるかな?とか、してあげたあと、わたしに何かかえってくるのかな?と思うことは悪いことじゃない。
自分の身を守るために必要なことだ。

この人は良い人なんだ、わたしの身を挺して守らないといけない、困っている人は助けないといけない、そういう気持ちが、わたしの世間を狭くしていた。

ただ、そのまま、人の邪悪も、ずるさも、見ていて、その中に、その人を好きか嫌いか、見るべきだ。
自分にとって都合の良いものばかり見ていたら、相手にも自分にも良くない。

相手が、わたしに合わせている可能性や、合わせることでその人が得るメリット、そういうことも考えて、用心深くする必要がある。
良い人だと思いたい人、というのは、すでに、何か悪い予感がある相手だ。
悪い予感は必ず当たる。

c71の著書

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