呪いのごぼうフィルター

呪いにはいろいろある。

お前にはこれができない、とか、苦手だからダメだ、とか、周りに相談しないとダメ、判断が出来てない、人を見る目がない、判断が出来ない、依存しやすいから気をつけろ、などなど。

でも、どれも、「事実をありのまま見る」ということができないように、フィルターを書けられる呪いが多い。
「勉強ができない自分」だとか、「人を見る目がない自分」だとか「お金を管理できない自分」だと思い込まされている。
だから、本当に出来なくなってしまう。

わたしにはこれが出来ないから、というのは、事実を受け入れているようでいて、そうじゃない。
自分に実際にはない限界をもうけているということ。

わたしには、苦手なことがある。それは、お医者さんと自分で少しずつ発見して来たこと。
それは、呪いじゃない。誰しも、苦手なことはある。
それは、現実だ。
でも、現実と違って、さらに、わたしに制限をかけてきたものがある。
それが呪いのごぼうだ。

でも、その過程で、自分が「こういう人間だ」と思い込まされて来た、思い込みを外すことになった。
それは、周りが言っている自分と全然違っていた。
周りが言っていた自分は「周りに利用されやすい、都合の良い形」をしていた。

実際の自分は、もっとしっかりしていて、できないこともあるが、けっこう良いところもある人だった。
嘘もあまりつかないし、親切だし、優しいところもある。
人を見る目がない、と思わせることで、得をして来た人間が、ごぼうを植えて来た。

dsp24ma.hatenablog.com

id:dsp24ma さんが書いてくれた記事を読んで、より、ごぼうについて、意識を深めることができた。

ごぼうはわたしだけに植えられているわけじゃない。
わたしが教えている子どもにも植わっている場合がある。
わたしはそれを抜く手伝いをしていたんだなと思っていた。

前に通っている塾で、「お前なんかにあの高校が受かるわけがない」という呪いのごぼう。
それを抜くことで、生徒を合格させることができた。
あなたにはできる、絶対にできる。そのためにはこれをして積み重ねていけば良い。
中学生から高校生にかけて、その生徒さんは偏差値が10も上がった。
だから、大学は今では選び放題だ。その生徒さんは、人生が変わったと思う。
ごぼうが植えられていたせいで、成績も下がっていた。
ごぼうを抜くことで、できることが増えた良い例だと思う。

呪いのごぼうを抜くことで、自分の可能性が広がる。
本当に苦手なことと、ごぼうのせいで「できない」と思い込まされていることは、大きな違いがある。
できないことは、しなくても良いのだけど、ごぼうを植えた人たちは、わたしに「これはしなくていいよ」と言った方が、都合が良いことを、わたしができないようにしむけていた。

だから、わたしの目には、ものごとを見ても、正確に判断できないフィルターがかかっていた。
実際に、頭が痛くて、重たい感じだった。
そのことを考えようとすると、ごぼうが作動して、考えられないように、制限してくる感じだった。

でも、ごぼうが抜けることで、視界がクリアになり、事実がありのままに見えるようになりつつある。
わたしには、人を見る目がある。ちゃんと観察している。
ごぼうが、利用してくる人を「この人は良い人かもしれない」という願望フィルターを作り上げて、直感が「この人は危ない」と言っているのをねじ伏せて来た。
ちゃんと、直感は作動しているのに、ごぼうが、直感と、わたしとの連絡を邪魔して来たのだ。
だから、生きづらかったのだと思う。

c71.hatenablog.com

(ごぼうは好きな食べ物です)

c71の著書

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