感覚過敏との付き合い向上

ミラーになっているサングラスを買った。ふちがないので、柔らかく軽い。
完全にミラーになっているから、身に着けるのは恥ずかしいかなと思っていたのだけど、普通のサングラスと違って、視界が暗くならない。
落ち着いたトーンに感じる。メガネやサングラスは、耳につく感じが不愉快でつけなかったのだけど、おとといから、サングラスをつけて外出するようになってから、ずっと続いていた、目のぐじゅぐじゅが治った。
目の周りの皮膚が溶けて、朝起きると、上のまぶたと、下のまぶたが、浸出液か、目やにか、何かわからないもので固まってしまって、なかなか開くことが難しく、手で開いていたのだ。
顔を洗うと、固まりかけた皮膚ごと流れてしまってやり直しだったのだった。
薬をつけても治らなかったのが、サングラスをつけるようになってから瞼が改善した。
そして、目が楽になった。
目がいつも痛くて、こすり続けていたのだけど、もしかしたら、紫外線のせいだったのかもしれない。
皮膚に関しては完全にそうだ。

最近は「休足時間」「樹液シート」を活用して、熱を取っている。
特に「休足時間」はシップと違って消炎剤が入っておらず、ただ、揮発して、気化熱で熱を取るだけだから、からだの負担感がなく、かぶれない。値段もシップより安い。
だから、足にもつけるけれど、腕にもつけている。腕のひじの根元から先は、肺につながっているらしく、肺がいつも苦しかったのが、少し楽になった。
樹液シートを張ると、いつもがちがちだったふくらはぎが柔らかくなり、歩けるようになった。
今日はさらにお灸をした。二日前、鍼灸師さんのところで、針とお灸をしてもらったら、ずいぶん体が楽になった。
家でもしようと思って、おなかや、かかと、足先、ふくらはぎ、おなか、胸の真ん中などにしてみたら、からだが楽になった。おなかにもした。おなかが苦しくてつらかったのが、楽になった。むくんでいる感じも減った。

たまにはドラッグストアに行って、からだによさそうなものを試してみるのもよいと思った。
物理でよくすることもバカにできない。
精神的にどうにかしようとするよりも、物理でアプローチして、刺激を減らし、体の熱を盗ったりむくみをとったりすることが、結局、自分の幸せにつながる。

音に関しては、デジタル耳栓を買ったものの、あまり使っていない。というのも、耳に刺さる異物感があって、なかなかなじめなかったからだ。でも、また挑戦はしようと思う。

昨日は清水寺と高台寺に行った。高台寺はお庭が素晴らしく、ねねさまの趣味のよさに感動した。とにかく、どんなに適当にカメラを構えても、写真が決まるのだ。素晴らしいお庭だった。

極楽浄土の絵と地獄の絵を見比べた。やる気の違いを感じた。地獄に対して、やる気がある。極楽は適当だ。素晴らしいところのイメージってつきにくいもんな。

シーツを毎日洗ってもらっている。さらさらで、安眠できる。ありがたい。
わたしは、六帖のケアをできた。助け合っているのはいいことだ。
六帖は自分の病気をかんじることがまだできないから、わたしが観察して、具合が悪そうだったら、ケアをするのが今はいいと思う。何年かかければ、六帖自身が、自分の不調に気付けるようになるかなと思う。

からだの感覚を遮断しないと、生きてくれない人が多い。
それは、一時的には有効だけど、長い目で見ると難しいことになる。
病気を表現できることや、病気や不調を感じることは大事なのだ。そうじゃないと、ケアができない。
こまめに、具合が悪ければ、こまめに、治療できる。それが大事だ。

六帖は自分の体調の言語化が苦手だから、わたしは観察して、彼を助けたい。

新しい仕事を始めるにあたって、仕事をしながら学ぶことがたくさんある。
療養が終われば、本格稼働をする。
六帖だけに働かせてはいられない。
わたしもプログラマーだから、ちゃんとできる。できることはたくさんあるし、何に需要があるかもわかる。
務めることはできないからあきらめたけれど、働くことはあきらめない。

c71の著書

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