できないことがたくさんあるけど、仕方がないと受け入れている。
でも、それは人に話さないほうが良いことなのかと思った。
わたしはできないことがある。みんなそういう部分があると思うけれど、それに折り合いをつけて生きているのだと思う。
わたしは、自分ができないところを機械化したり、人に頼んだり工夫したりしている。
その分お金はかかるけれど、快適に暮らすために必要だ。
支出を減らす方向で工夫するよりも、サービスにお金を払って、ハンデをちゃらにしようとしている。
だから、お金がたくさんいるので、たくさん働いている。
わたしがお金をたくさん使うのは別に自慢じゃない。なぜなら、能力がないことのあかしだから。
そして、お金を使うとよいものを使える。
サラサラのシーツや、手入れされた服、掃除の行き届いた部屋、というのはわたしのことをエンパワメントしてくれ、健康促進してくれる。
掃除機をかけるのが苦手だからロボットを導入した。
片付けが下手だから、プロの頼んで収納家具のアドバイスを動線のことを考えて教えてもらった。
わたしはサービスや助言に対してお金を払うタイプだ。
友達の助言にはお礼をするし、言う。
この前怒った出来事がある。ピュアだとか、もうちょっと頑張れとか、あなたのためを思っているからいうのだ、というようなことを言われたからだ。わたしはそういうのは好きじゃない。人にピュアだというのは失礼だと感じる。場合によるけれど。
わたしはできないことがある。
社会的生活を送りにくい面があるから、お金でサービスを買う。そうすることで、生活ができる。
自分でやる必要を全く感じない。
お金というのは交換のためのルールだから、どんな方法でも稼げるなら、稼ぐ。
交換するためにお金を払う。
友達にプレゼントするときには、お金を払いたい店から買う。そうすると、そのお店も喜ぶし友達も喜ぶ。内需が発生してだれも損をしない。
最近はオーダーメイドの作品を良く買う。それをプレゼントすると、その人の宣伝にもなるし、いいと思う。
そして、アドバイスもできるし。
できないことがあるけれど、できることもある。できることをして、できないことは避ける。そして、体力を温存する。
慎重に暮らすことが最近大事だと思う。