人を愛しても報われなかったら、どんな吹き溜まりで腐るのだろう

夜になると、誰にも好かれていないのではないか妄想が発生する。
わたしは誰にも愛されておらず好かれていないのではないかと。

でも実際は好かれていなくて愛されてなくても別に困らんのだ。
困らんのだが、「愛されてなかったら困る」フィルターが発動する。

実際には、わたしはそこまで好かれてもおらず愛されてもいないんだと思うのだけど、夜は不安になる。
問題なのは不安感であって、愛されているか否かの事実を争うものではないのだけど、そこが気になってしまう時間帯がある。

面白いことを書けばいいのかなとか、愉快なことを書けば文章がうまくなるのかなとか思うのだけど、まあそうはいかない。なにしろわたしは面白い文章を書けないのだ。いつも同じ調子である。

ブログを書き始めてからずうっと同じ調子。飽きもせず毎日毎日書いている。たまには好かれたいとか面白がられたいとか愛されたいとか邪心もわくのは仕方がない。普通のことだ。目立ったり、愛されたり、有名になったりもしてみたい。

つまらない人間であるわたしが書いている文章が届く人というのは、つまらない人間に興味を示してくれる、慈悲深い人々なのだろう。
慈悲深い人たちなのだから、わたしが落ち込んでも、見逃してくれるだろう。

なんだか昔のことを思い出して、つらくなってしまった。人を愛して、その愛が報われなかったとき、その愛はどんな吹き溜まりで腐っていくのだろうか。

c71の著書

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