自分の価値に揺らぐ

自分を大切に思うことはとても難しい。

自分がこういう人間だと認識しながら、それでも、自分を大切に思う、ということを両立するのは難しい。
ついつい、乱暴に扱いたくなる。自分なんてどうだっていいと思う。人の役に立つのなら、自分を投げ出してもいいと思ったことがある。
それをすると、ダメージがある。そして、そのダメージは生きている限り自分でなんとかしないといけないので、そういう付けを払うことはやめた。
だから、自分を投げ出したりはしない。
でも、そこと自分を大切にすることとの間には差があって、なかなか難しい。くだらない人間であるわたしが自分を大事にしたところで滑稽じゃないかって。

でも、不愉快なことがあると、嫌な気分になる。それは避けたい。避けたいと思えるように成長した。だから、避ける。
嫌な思いをしないように前もって準備をする。楽しいことをできるように準備をする。楽しさにも心地よさにも不快さを避けるにも準備が必要だ。コンディションもよくして、精神状態も安定していないと難しい。

みんな、生きることだけじゃない人は、こういうことをしているんだなあと思った。準備は大切だ。準備をしていると暇もつぶれる。
悲しいことは仕方がないけど、苦しいことは避けたい。

趣味をするのにも準備がいる。最初からうまくいく趣味はない。興味を持ってからお金をかけて、それから実行して、上達するまで趣味は面白くない。だから、時間とお金と心の余裕がないと難しい。子供のころにいろいろなことに興味を持っていた人は、趣味にたやすくアクセスできる。
小さいころ、縫物や、編み物を教わっていたから、簡単なことはできる。料理もできる。

自分を豊かにすることは、何の意味があるのかと思っていたけど、実際には、時間を楽しく過ごすためだということを実感した。
生きるのは幸せになるためだ。
自分を豊かにするのは自分のためだ。幸せのためだ。倹約する時期もいつか来るのだろうけれど、今は充実していたい。
楽しい、彩を増やしたい。

c71の著書

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