トランス女性は女性だ、という言い方をする場合、性別の定義が変わります。
そのときに、社会に対する影響は大きいでしょう。
わたしはこれから、性別の定義の変更による、影響を受けやすい人たちの話をします。
それらの人たちは、弱い人たちです。
老人、障害者、子供、病人、勉強ができない人、言葉がうまく使えない人、そうした人のことを考えています。
例えば、90歳の女性に、今から性別の定義が変更になったので、この人は男に見えるけど、心は女だから女ですよ、わからなかったら、あなたは無知で差別者なのですよ、と言えるかどうか。
これは極端だ、と思うかもしれません。でも、性別の定義を変えるというのは、こういうことなのです。
心的外傷は、気の持ちようではよくならない
今、ツイッターで、トランス女性についての議論が盛んです。
そこで、おきざりにされている弱い人たちの話をします。
もちろん、トランス女性で、かつ、これから話す障害や疾患、犯罪被害に該当する人もいるのはわかっていますが、論点を明確にするため、いったん置いておきます。追記
トランスかつ障害者の話は、これからする話に包括されていきますし、また、トランスかつ障害者の話は、別の語るべき人がいるはずです。わたしはわたしに語り得る話をするという意味で、どうでもいいとは思ってません。思ってないから、わざわざただし書きを書いたのです。てか、わたしは自分の話を書く。わたしはトランス当事者ではないので語り得ない。
PTSDについて
これは、日本語で言えば、心的外傷です。
ベトナム戦争から帰ってきた兵士たちの精神状態が悪く、その症状がかなり共通していたため、それからPTSDというものが認識され、治療が始まりました。
今は、犯罪被害者やDV被害者、性犯罪被害者にも同様の現象が起きると認識され、医療、社会制度の変化、向上により、死ぬしかなかった人たちが、生きていられるようになりました。被害に遭いながらも生き延びた人々をサバイバーと呼びます。
サバイバーは、記憶のトリガーになるものを見聞きすると、現実が、犯罪が起きた現場に戻ったようになります。
におい、音、触感、痛み、光、そういうものすべて、五感のすべてで事件当時を再現するのです。それは、思い出すということとは違う種類の経験です。トリガーによって、サバイバーたちは、つらい過去を再び経験しなおすのです。それは回復可能と言われていますが、事件が起きる前と同じ状況を目指すことは不可能なので、違う人生を生きることを目標としています。
PTSDは、脳に傷がついたと同じようなことです。記憶する場所に傷がつき、元には戻りません。脳はすべての支配をつかさどる部位ですから、ここが傷つくと、体調も悪化します。不眠、摂食障害、気分障害が同時に起きます。
サバイバーは、体調の悪化、環境の変化、自分自身の変化と戦います。環境がなぜ変化するかというと、犯罪被害者の人間関係は、急激に変化します。離れていく人、近づいてい来る人がいます。パニック障害の結果、学校や仕事を止めざるを得ず、人間関係から切り離されます。自分のいる世界は、安全だという感覚が失われます。それで、常に極度の緊張を続けながら暮らすので、疲労しやすくなります。
サバイバーの恐怖が分かりにくければ、「恐怖を持つということは、具合が悪いということ」だと理解してください。好き好んで恐怖を感じている人はいません。
PTSDは、体の不調を含むので、それほど間違いではないでしょう。
犯罪被害者が孤立する理由
まず、犯罪被害者は、自分から人との交流を断ちます。被害に遭った自分を、知られることを恐れるからです。サバイバーは自分を責めます。そして、自分を責めるがゆえに、今までの交友関係に別れを告げます。
また、犯罪被害者と関わるのは、誰にとっても負担です。だから、離れる人が出ます。これは責められるようなことではありません。近しい人が、犯罪に遭って、性格や人格が変わってしまったという事実は、誰にとっても、ショックで、つらいことです。自分の知っている人が変わってしまったことに耐えられる人ばかりではないからです。経済的にも負担です。支えるというのは、体力気力ともに消耗することです。例えば、毎夜三時に、混乱して泣き叫ぶ人を、抱き留め続けることが、誰でもできるわけではないのです。感謝されることなく、ののしられ続けることに耐えきれない周囲の人ももちろんいます。
「生まれてこなかったらよかった、死んだらよかった、今死にたい、もう死ぬしかないのだ、自分が死にさえすれば丸く収まるし、みんな喜ぶのだ、問題は解決する」と毎日言う人と暮らせる人ばかりじゃないのです(これはわたしが毎日言っているセリフです)。
孤立したサバイバーを搾取する人もいる
そして、孤立したサバイバーの近くには、支援すると言いながら、近づいてくる人もいます。これらの人は、搾取するために来た人たちです。悪意があるとは限りません。自分はいい人間だと思いたくて、近づく場合もあります。
たとえば、アクセサリーみたいに。大変な人を支えていることで、自分を満たす人たちがいます。そして、これらの人は、賞賛を得ることも望んでいます。
しかし、感謝が得られなかったり、頑張って支援しているのにほめられなかったり、相手が思い通りに動かなかったりする時に、これらの人々は、サバイバーを侮辱し、罵り、傷つけます。
今までしてやったことを返せ、だとか、恩知らず、だとかも言います。お前のせいでどれだけ苦労してきたのかわかるか、とも言います。
また、自尊感情が失われた人は、心のバリアーがなくなったのと同じ状況なので、サバイバーを肉体的、経済的に搾取しようと思う人も現れます。サバイバーが、何度も同じような被害に遭うのはこのためです。
文化人が、metooの告発を支援しても、サバイバーの不安は一顧だにしない、恐怖の扇動と切り捨てるのは、「告発」は先進的な文化人のアクセサリーになるが、サバイバーの混乱に満ちた日常」の支援は、文化人としてのメリットがなく、アクセサリーにならないということなのかもしれないと思います。
サバイバーが被害を繰り返す理由
性犯罪被害者が、何度も被害に遭うのを不思議に思う人はいますか。
それをサバイバーの危機管理が緩いからだ、とか、本当は合意だったくせに後から覆している詐欺師だと言っている人をわたしは何度も見てきました。
違うのです。一度、犯罪に遭うということは、判断力、体力の低下を招くということです。
常に緊張していることが、判断の低下を招いて、自分を傷つける人を信じたいと願うために、被害に何度も遭います。
加害者は、「一度ほかの加害を受けたのだからもう一度加害しても変わらないだろう」と思うのかもしれないし、「ほかの人よりも簡単に加害できる」と思うのかもしれません。
混乱の中やってきた「あなたを助けたい」と言ってくる人をはねのける力が残っていないのです。そうした「あなたを助けたい」と言ってくる人の中に、加害する人がいるのです。
精神障害について
わたしは、軽いASDと双極性障害を持ちます。PTSDやパニック障害もあります。そして、精神障害の等級で言えば二級です。
これらは、気の持ちようでは、治りません。昔は、座敷牢に閉じ込められて生涯を送ったり、殺されたり、自分から死んだりしていたカテゴリーの障害です。
わたしは、ツイッターで「変化に弱い」「パニックを起こす」「男の形に恐怖を抱く」と発言しました。
恐怖は差別ではない
しかし、そう発言した結果「恐怖が差別を正当化している」「ルワンダ大虐殺や、南京大虐殺はこうした人のせいで起きる」「恐怖が差別を扇動する」と言われました。
(ちなみにこういう「大虐殺」みたいな言葉は、脳に張り付いたようになって、何日たっても離れません。しだいに、自分のせいで、本当に大虐殺が起きたのだと思うようになってきました。「ひきこもってろ」とかも。こうしたことで、わたしは語ることが次第に難しくなりつつあります。このブログ記事が読みにくいのはそういうわけです)
知的障碍者や精神障碍者は、性暴力の犠牲となりやすいです。それは身を守る力が弱いからです。
男の記号を持つ人を警戒するということ
男を表す記号を持つ人に、恐怖心を抱くのは、身を守るために必要なことです。警戒するために、男の記号を認識することが最低限必要と言い換えてもいいかもしれません。
しかし、それが許されなくなったら、わたしは、どうやって、人を男だと認識し、警戒すればいいでしょう?
性犯罪を起こし、刑に服す人の98パーセントは男性です。つまり、男性を警戒するのは、今の世の中で生きる上で、必要なことです。接触する相手が、女性ばかりならば、少なくとも性犯罪に遭う機会はずっと減ります。
そして、わたしは、すでにサバイバーでもあり、PTSDという困難を抱えて生きているから、恐怖しないのは不可能です。
恐怖のあまり、硬直して、相手の言うことを言いなりになって聞いてしまうこともあります。
そうしたことに、誰も守ってくれなくなる変化について、危惧していたら、差別者と呼ばれています。
精神障碍者、知的障碍者は、すでにサバイバーも兼ねている場合があります。こうした人たちは、気持ちを言葉にすること自体が難しかったり、言葉にすること自体で加害状況を思い出して、パニックを起こし、自分自身を傷つけたり、死を意識したりします。わたしもそうです。そもそも、自分の感情を認識することも難しい時があります。
わたしは今でも、外出時に混乱がひどい時にはユニバーサルトイレを使います。
トランス当事者で、「フェミニストは女湯とトイレにばかり興味があるみたい」と言った人がいますが、普段、服を着て、一メートル以上距離が取れる場所ならば、人が、女性であっても、男性であっても、それは、なんとか対応して、適応しないといけないと思っています。わたし個人に限れば、できていないときもあります。でも、適応しないといけないと思っています。無理な時は家から出ません。ほぼ引きこもっています(すでに引きこもっているのに、ツイッターで、引きこもってろと言われましたけど)。
しかし、服を脱ぐような場所で、それ以上の負担が起きると、わたしはフリーズしてしまいます。
わたしは、言語性の優位なASDで、しかも軽度ですが、例えば、「依頼するときの態度や言い回し」を一つのパターンしかもっていません。「お礼を言う時の態度や言い回し」「謝罪」もそうです。一つを使いまわしています。一つしかありませんが、それを身に着けるのは、苦労しました。今でも、使いこなせているかわかりません。うまくいっているかどうかは、わかりません。その「わからない」という部分が障害だからです。
また、言うべきタイミングをきちんと理解できているとはいい難い状況です。
「お礼を言う」というたった一つのことでも、分解して考えてみます。
「何かをしてもらったらしい」ということを認識して、それを「お礼を言う」ことに考えを結びつけ、結果、「ありがとうございます」と言う、という複数の段階があります。それがわたしには難しいです。
予期していない状況が起きると、わたしには、うまく話したり、逃げたりということが難しいです。まだ、経験していない、新しいことが起きたら、それについてじっくり考えたり、試行錯誤することが必要ですし、それによってパニックが起きるかはまた別で、これらから起きる負担は、体調を悪化させて、わたしを食べられなくしたり、眠れなくしたり、起きられなくします。
実際の経験から危惧していること
精神科に入院しているとき、自閉傾向が強い女性がいました。その人は、入浴したいと思って、誰もいないことを予定して、脱衣所に入りました。ところが、わたしが入浴していたことに驚いて、脱衣所の戸をあけ放って出て行ってしまいました。その人もパニックを起こし、わたしもパニックを起こしました。そして、自分を傷つけかねなかったので、筋肉注射を打ってもらいました。
入浴などの、服を脱いだ時に、誰がいるか、という合意が今までの経緯からあって、ルールがあっても、それでも混乱は起きるときにはおきます。
それなのに、そのうえ、その合意が変わる、つまり、性別の定義が変更になったら、ASDの当事者にとって、すべての場面で、生存が難しくなるでしょう。病院という安全が確実だとわかっている場所でも、苦しい状況が起きたのだから。
わたしの会ったことのあるDV被害者は、骨を折られていたり、関節を壊されていたり、脳に影響があったり、極度に痩せていたり、内臓をダメにされたりしていました。
そうすると、普通に働くことは難しいので、みんな貧乏です。DV加害者が、会社に乗るこんでくることや、住所を調べて追ってくることもよくあります。
DVに遭ったことが、身内の恥だからといって、周囲の人に縁を切られる人もいます。迷惑をかけられないと言って孤立する人もいます。読み書きができない人、50歳になるまで、家にずっといて、親が死んで、兄弟がそれを負担に思い、DVに発展するということもあります。外国から日本に出稼ぎに来て、読み書きどころか、話すことが難しい人もいます。
社会の大勢を占めているのは、普通の人です。そして、こうした人を守る場所は少ないのです。
こうした人たちが、男の記号がない場所を求めることが、どうして責められることなのでしょうか?どうして、差別と言われるのでしょうか。排除と言われます。権利の衝突が起きているのだから話し合うということすら認められない。
仮に、女性を守るためのシェルターにトランス女性が利用者としていくとします。それは権利です。しかし、そこで、トランス女性を受け入れる余裕がある人ばかりではないことが、双方に対して、わたしは心配です。
また、トランス女性が、労働者として、シェルターのスタッフになることは可能か、可能ではないとしたら、どんな理由でか、など、心配なことはたくさんあります。
トランス女性は女性だ、と、それ以外の考え方は差別なのだ、という風に弱い人の考えを切り捨てると、病気や障害を持った人にとって、それが適応可能かどうか、トランス女性が労働者として働くときに、同性介助はどういう風に理解されるのか。たくさんの危惧があります。
わたしは、本当に、だんだん、言葉を使うことが難しくなってきました。それは、投げつけられる言葉の悪意が、脳に張り付いて、わたしがしたわけではない「悪いこと」が自分のせいだと思えるからです。だから、このブログ記事は、わかりにくいだろうと思います。でも、書かなければ、ないことになるので、書きました。
弱い人は、見えにくいかもしれませんが、存在している、ということに留意して、話を進めていただけたらと思います。
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