家事やりながら同時に仕事はできない。
仕事しながら家事もできない。
家事をやっているその瞬間はほかのことできない。
そして、家事はしないと生きていけない。
1人暮らしの家事の量は、少ない。洗濯だって量も少ない。人と暮らすと、においも出るし、汚れも増える。子供もいればなおさらだ。
稼ぎにくい性別の人と、稼ぎやすい性別の人がいる。
同じ時間働いていても、もらえる額が違う。経済って、能力があって頑張っている人がたくさんもらえる仕組みじゃない。儲かっている場所にいられる人が設けられる。そして、マイノリティは、儲かっている場所に近づくパスがない。
だから、マイノリティは貧乏だ。
女の人は、非正規で働きながら家事もする。ひどい男の人は、収入の多寡で、家事の多寡も決めるという。収入の七割を稼いでいたら、家事も三割しかしなくていいみたいに。で、その人が三割だと思っている家事は、名前のつかない家事を含めると、実は三割どころか一割に満たないみたいなこともある。
女の人は、それをいちいち言って、機嫌を損ねるのが嫌だから、ほめて称えておだてて、その一割未満でもやってもらうように感情労働をする。そして、ひどい男の人の誤解は解けない。
家事はやればやるほど生活のクオリティが上がる。生活のクオリティが上がれば健康を保ちやすくなり、たくさん働くことも可能になる。
毎日食事を作れば、外で食べるよりも安い。健康も保てる。それが例えば毎日味噌汁一品とご飯だけだとしても、外で食べるよりも栄養もあって、安くて、食べる側も楽だ。
お金に換算しにくいけど、働ける人が働けるのは、家事をしている人がいるから。
家事をしている間の時間を代わってもらえているから。
だから、収入の半分は自分が稼いだとしても、その残りの半分は、家事をしている人が稼いだと考えるのが正しいと思う。わたしはそうする。
家事なんて一緒に暮らしている人がほめてくれないと、結果も見えにくい。そとで働くと、お金という形ですでに結果は見えるし、ほめてくれる人もいるし、報われる場面は多い。だから、損に感じたり、引け目に思って、みじめな気持ちで家事をする場面も出てくる。
(食事に関しては、それでも家計簿つければ比較的結果が出やすいけど)
家事を劣ったことだと考えて、家事に手を出せない男性だっているだろう。
世帯収入は二人の財産だというのは、そういう考え方だ。協力して、ようやく稼げているってこと。
民法で、結婚している二人の財産が、共同財産ていうのは、そういう、二人で稼いだってことと、女性の保護(女性が現実的に男性と同じ額を稼ぐのは難しい、賃金格差も就職格差もあるから)も兼ねている。ちゃんと理由がある。
(家事育児外での労働を全部ひとりでしている人は、頑張っていて、頑張りすぎだから、何とかなってほしいと願っている。願うだけで何もできてないけど)
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