成り行きは誰かの意思でできている

今日は、催眠とマッサージ行って、安定剤飲んで昼寝することができたのでたいへんに偉いです。

今は、支配について考えているのです。
言葉の裏表を読むことはできないけど、人間関係を、低いレイヤーの力関係で把握することができるんじゃないかなと。

楽しさは、結構危なくて、自分自身が一人で作り出すものなら大丈夫だし、対価を払う種類の楽しみなら大丈夫なのですが、人が「これは楽しいからおいで」といったときは注意が必要です。

アムウェイが代表するようなネットワークサービスは、「パーティ」「成長」「絆」をうたい文句にしていますが、それはやっぱり、人を支配するために演出するものなんですね。

人の苦しみや痛みや悲しみや痛みは人の輪郭をはっきりさせますが、楽しさは、それを溶かしていってしまう。

なりゆきは、受け手は「なぜかそうなった」と思っているかもしれないですが、発信者は綿密に計算している場合が多いのです。

それは、受け手の「欲」を刺激して、その代わりに、相手の境界に侵入する手口です。

誰かが「作為」を持って、「相手の欲」を刺激すると、作為者は、ほしいものを手に入れることができます。

殴る殴られるも、「殴るのにはなれない」人には、「殴られると安心する」という欲があります。
それは、子ども時代に殴られているから、慣れ親しんで安心するのかもしれないし、躁じゃないかもしれませんが、ひとにはとにかく欲があります。

その欲を見抜くと、相手を操作することが可能になります。
成り行きというストーリを用意すると、その欲に対して、歯止めが利かなくなり、そこに乗っかって、判断を保留してしまうのです。保留も一つの決断なので、流れに乗るというのは危険なことです。

稼がせてあげる、自由にさせてあげるから、だから、あなたのためを思って、ということを言う人が現れても、その人は違う何かを盗んでいきます。
一時的に儲かるかもしれませんが、最後には、作為者が得をします。
なぜか、人は自分のことがかわいいという原則があるので、作為者が本心から「この人のために何かしたい」と思っていても、自分がほしがっているものは、必ず手に入れます。そしたらその分自分の何かが減るわけです。

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