以前、「トランス女性のことは女性と認識している」と書いたけれど、自分でよく考えてみて、「認識してないな」と思ったので、その理由を書く。
(そういう風に認識しているならトランス女性という言い方をしないで女性だけで済ませるはずだという指摘を受けた)
わたしは、mtfのことを考えるとバグる。
その理由は、
- mtfは、おそらく男性として扱われて育ったので、女性として味わった差別的な経験を共有できるのか疑念がある
- パス度が高ければ、そもそもmtfだとこちらが気づかないのだが、その過程で男尊女卑的な考え方を強化していないか疑念がある
- パス度が高い低いを社会が求めているのはいいことじゃない。わたしは、女らしくあれと言われていることが嫌だという価値観を持っているから。しかし、パス度が低い人を、無警戒で女性として受け入れる自信がない。それは矛盾している。
という三つである。
今回は上記の上から二つを論点として書きたい。
本来なら、「女性にも女性差別をされた経験がないという人いる」「男尊女卑的な考え方を身に着けた女性も掃いて捨てるほどいる」で、終わりだ。
けれど、ひっかかっているのは、以前に、「女だから理解できないだろう、適性がないと受けられなかった授業があった」と女性が発言したのに対して、mtfの方が言った「高専だったけど、英語を勉強させてもらえなかった」という反応に傷ついたままでいるからだ。
どちらも、勉強をする権利を奪われたことに変わりがないのだけど、前者は女性差別のよくある例なのに、その前提を踏まえられていないのが悲しかった。
それで、わたしは、それとこれとは違うということを説明したが、理解されなかったので、「男性として育てられたから、教育については、男性特権を享受してきたため、見えないことがあるのではないか」と批判した。
こういったとき「彼女」が無理解だった、と終わらせるべきだったのか、「mtfだから無理解だったのだ」と範囲を広げてよかったのか、いまだに迷っている。
わたしは「mtfです」と言われたとき、わたしの頭の中では、この人は「m」だった、「m」として扱われてきた、という歴史性が存在するのだ、という発想が生まれる。その人が、その歴史をどう考えているか、その歴史があっても、女性の子供時代に遭う差別に対してのリアリティを共有できるか、とても気になる。
そのうえで、その人が、男性的な価値観で、加害的な言動を取ったときに、わたしはバグる。
批判していいのか?マイノリティに対する、マジョリティからの攻撃なんじゃないか?
そもそも、わたしは、女性の権利を向上するために戦いたい。
そこで、本来はこうすればいいんだろう。
女性の権利向上に反するものは、たとえそれが女性であっても、mtfであっても批判する。わたしは、前述の発言者を「彼女」と呼んだ。だから、守るべき権利を持つ彼女の女性としての権利を守りたい。一方で、女性差別に無理解であったり、女性差別的であったら、批判する。
ただ、わたしは、現実問題として、実際には、女性差別的な価値観を身につけた女性に対して、ほとんど批判しない。彼女たちこそ被害者だと思うからだ。平等な社会だったら、差別に対して、生存のための適応をしなくていい。
また、わたしは前述の発言をした彼女が不意に出した、男性的な価値観が恐ろしかった。女性だと思おうとしていたとき、「やっぱり男性なのかもしれない」と思うと警戒してしまう。わたしに関していえば、それはトランスフォビアと呼ばれてもそれは仕方がないと思う。けれど、同じようにおびえる女性に対して、「それはトランスフォビアだ」と言いたくない。わたしは、その恐れを理解できるし、それはもっともだと思うからだ。そうなったら、絶対に、わたしは、「シス女性」の味方をする。そういう風に決めている。
結果、わたしはバグる。(どちらも女性なのに、シス女性を優先する。つまり、わたしは、シス女性を優先すべき「女性」と考えているのだ)
以前、「あなたは、mtfのおすみつきをもらおうとしてきょろきょろしている。苦しんでいる女性はあなたを見ている。あなたは、女性のために戦ってほしい」と指摘された。
それも事実で、指摘を受け入れるのは、無性に苦しかった。それからずっと悩んでいる(長いやり取りをしてもらって指摘に感謝している)。悩んでいるのは「正しくありたい」という欲のためだ。
悩んだ結果、わたしは、「女性」を優先することに決めた。わたしはシス女性で、自分の権利や、同じ状況の人のため、権利を向上させたい。
結果として、ほかの人々が生きやすくなれば一番いいが、それは結果として伴えばいいくらいのことで、わたし自身戦うのは、女性のため。
一番いいのは、誰かが、「男性的な価値観」をとりだして、人をおびえさせたら、そのこと自体を批判することだ。その誰かの属性を考慮せず。
でも、実際には、わたしは、発言者の属性を非常に考慮する。それが女性か男性かとても気にする。社会構造の産んだ被害者なのか、加害者なのか、それに適応して防御しようとしているのか、ただ、加害しようとしているのか、それによって、批判内容が大きく異なるからだ。
だから、やっぱり、わたしは、「mtfです」と名乗られた上で、男性的な、加害的な価値観や考え方を表出させられたら、その属性を考慮しうえで批判するだろう。ただ、それも、マイノリティに対する過剰な要請である可能性も捨てきれない。
こうやって、整理をして、方針を立てようとしても、現実の流れで、ネット上でも現実でも、具体的な個別のケースで適切に対応する自信がまだない。
これを公開するのもさんざん悩んだけれど、自分にとって、大切なことなので、公開する。
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