わたしは楽しそうじゃない、わたしはけっして笑うものか。

わたしは、差別されたとき、楽しそうじゃない。
味方がいなくたっていい、楽しそうにはふるまえない。

楽しそうにふるまえというのは、男性社会の要請だ。

この前男に絡まれた。「納得いかなそうな顔してるな」と言われた。男連れだったのに言われた。
たいてい、男連れだとからまれにくい。それでも言われた。

わたしは不機嫌に無言だった。笑わなかった。
わたしは、楽しそうに「いや、そんなことないですよ」だなんて、言わなかった。
そういう自分が好きだ。
そういう自分になれたのは、フェミニズムのおかげだと思う。

そういうわたしの態度で、フェミニズムは楽しそうじゃないってイメージがついったって、かまいはしない。
わたしは自分が生きやすくするために、学んで、怒っているのだから。

ほんとうは無言じゃなくて、言い返したかった。
でも、わたしは殴られたり、いざこざを起こしたりしたくなかった。

相手はわたしといざこざを起こすことを恐れていなかったと思う。
言い返されることも、無言で無視されることすらも、予測していなかったと思う。
ただ、思ったことを言っただけなのだ。

わたしは楽しそうじゃなくていい。楽しくなくていい。不愉快な目に遭ったら、嫌な気分でいたい。
嫌な気分を尊重されたい。

わたしはけっして笑うものか。

c71の著書

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