願いは家内安全

昔はもと家族の健康を願っていた。
年末からいらいらしていた。もと家族は、イベントごとに、怒鳴り散らしたものだ。
仲良くしなくてはならない、きちんとしなくてはならない、理想に遠すぎたので、いらいらしていた。
焦りと後悔ほど無駄なことはない。
焦りは未来を先取りしようとするあまり地に足がつかなくなるし、過去を後悔すると、今を食べてしまう。

先送りするしか、対処方法はない。それは気休めではなくて、目が覚めたら、新しい抜け道を思い付く可能性にかけるということだ。

わたしは、気持ちが穏やかじゃなく、なにか焦っている。
でも、気晴らしにほしいものを考えたり、編み物をしようとしたりする。
それでも、もっとほしい、もっと早く作らないとと焦るには変わらないのだけど、比較的被害が少ない。
人に当たり散らすよりずっとましだし、あとで自己嫌悪しにくい。

今祈るのは、何者かになりたいというより、家族が平和に暮らせるようにだ。
昔はそんなこと、思いもしなかった。
堕落だと思っていた。

わたしは、受験に合格しても、喜んではいけないと言われていたから、なにか成功しても喜んではいけないという癖がついて、成功しても喜んではいけないので、努力にきりがなく、ずっと頑張り続けていた。

わたしの感情を奪った人は、絶対反省しない。
自分が被害者だと思っている。
だから、わたしが親に会わないのは、虐待をしてしまう人への親切だ。虐待しないですむ環境をつくってあげることが親孝行だ。

もと家族には家内安全がなかった。
今はわかるようになった。それが幸せ。

c71の著書

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