依存をなくせ、というのは簡単です。依存をやめろというのは、一番簡単でいいことをしているような気がする行為です。
でも、やめられないから依存なのです。
なくせと言われたら、ますます没頭してしまいます。
なぜなら、依存の報酬としては「自己嫌悪」も含まれるからです。
人から言われて、自己嫌悪をしている間の時間も、「現実の問題」から逃避する役に立ちます。
だから、助言は、たいていの場合、依存を深めるのです。
自分自身で、切り替えるしかないのです。
言い訳をするのは、依存がなくなったら、「現実」と向かい合わないといけなくて、それをすると、「耐え難い」からです。
できない、と言いながら「自己嫌悪」をして、現実から逃げているほうが、生きやすいからそうしているのです。
依存をなくせ、という人は、たぶん、わかりやすいものに依存していないのです。
よく言われることですけど、健康な人は、依存先が多いので、一つのことに依存を集中させていないのです。
目立つ依存がある人は依存先が少ない。
そして、新しい依存先を見つけるのが下手なのだと思います。
人は一人で生きていけないとよく言います。
一人で生きようとすると、何かに強く依存しやすいのだと思います。
一人で生きていって、誰かに頼りたくない、という気持ちが、依存に結びつく場合もあるのではないかと思います。
人生にはつらいことがたくさんあります。それを「見ないことにする」とか、「紛らわす」とか、「時間をやり過ごす」には、依存するものがあると、「そのことに集中できる」ので、依存が止まらないのだと思います。
依存すると、依存先自体に快感を覚えたり、マヒを覚えたりするし、自己嫌悪をして、ぐるぐるすることで、「自分の本当の問題」に向き合わなくて済みます。だから、生き延びること自体には有効です。
でも、依存先の中には体や精神を壊すものがたくさんあります。そして、生活が、快適ではなくなります。
わたしの依存は、いくつかありますが、言いやすいところで言うと、散財と、過食です。
どちらも、それで、死ぬことはないので、どちらかというと、安全な依存です。
わたしは安全な依存を選んだので、運が良かったと思います。
嫌なことがあったりつらいことがあったりすると、過食をします。
過食をしている間は、つらいことを直接考えません。そして、過食の後の肉体的な苦しみが、精神的な苦しみを和らげてくれます。
散財も同じです。怖いようなすっとするようなスリルで、今現在の問題に向き合わなくて済みます。
依存がない時には、問題を直接考えて、向き合っていたので、今より情緒不安定で、死にたくなりました。
今は依存を介して、死にたくなります。同じようなことですが、依存を見つけたことで、多少、バランスが良くなりました。
今は、散財をしたり、過食をしたりすることで、生活に不利益が出ています。
だから、その他に、筋トレを加えました。
筋トレに依存しても、特に困ることはありません。疲れて眠りやすくなります。
過食の内容も、豆、野菜を取るようにスライドできつつあります。でも、本当に過食がひどいときには、「スナック菓子」を食べることに意義があったので、そのころのわたしに「野菜を食べておなかを満たしなよ」と言っても無駄です。精神的な問題だからです。
自己破壊衝動だからです。
嫌なこと、つらいことに直面すると、死んでしまうから、死にたいけど死にたくないから、過食をしています。
時間がまぎれるからです。
人と話をすることも過食を避けるのに良いです。でも、話し相手になってくれる人はなかなかいません。みんな忙しいからです。
でも、ブログを通して知り合った人と愚痴を言うことも増えたし、今までの友達にも、自分の問題をカミングアウトするようになりました。
そして、相手も自分の問題をカミングアウトしてくれることも増えました。
だから自助的に、愚痴を言い合うことができるようになりました。
自分の恥を言うのはつらい事です。でも、人を選ぶ必要はもちろんあっても、自分の恥を人に言えたら、支えあうことが可能だと感じます。
愚痴を言うのは無駄だと考える人もいると思います。非生産的だからです。
でも、苦しいことは勝手にやってきます。苦しいことは非生産的です。非生産的なことには、非生産で立ち向かわないといけません。
おしゃべりは、そういうことのためにあるんだなと思います。
散財についても、友達に相談しました。
今日もそのことについて話しました。
わたしは思い詰めていたようです。散財をすることのスリルと罪悪感で、より、現実がつらくなり、そして、散財行為に向かっていたんだなと思いました。
スクワットを一日200から300回やるのも、一か月続けられました。
スクワットをすると気持ちが落ち着きます。それができるんだから、貯金もいつかできるって言ってもらえました。
依存する人は快楽に弱いのではなくて、自罰的なのだと思います。
だから、受け入れられることが必要で、こうしたら、やめられる、っていうのは、難しいと思います。
依存が進んだら、人として見捨てられるので、受けれられることもなくなります。自分自身も自罰的に行っているから、自分を受け入れることもできないです。だから、依存から抜けるのは難しいのです。
依存をすると現実を見ないで済みます。
そして、その依存さえなければ人生がばら色だ、というような夢を見ていられます。
でも、依存がなくなったら、厳しい現実が待ち受けています。
だから、自分が依存しているということを、認めるのは難しいのです。
わたしは、厳しい現実の中で生きられるようになりたいです。それは、自立を意味しており、自立には自律が必要で、でも、自分を節制すると、自由になります。
依存しているものに振り回されず、自由に生きられることを目指したいです。
だから、わたしは、依存先を増やします。
わたしは自分が過食を選んだことをほめたいです。
そして過食の頻度をなくすには、依存を増やすことが大事だと思います。
過食の回数が減れば、過食をやめられなくても、体や経済的負担が減ります。
やめることも大事ですが、依存先を増やして、つまり、依存によって自己嫌悪になるのでなくて、依存を楽しめるくらい、個々の依存を薄めたいです。
依存は楽しいけれど、自己嫌悪をするから楽しくないというループをなくすには、自己嫌悪に達する前に、違う依存先にくるくるダンスをするように、依存先を渡っていくことが大事なのではないかと思います。
だから、わたしは依存をやめることを強く思うよりも、依存先を増やすこと、安全な依存を選ぶことを目標にしたいです。
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依存者は受け入れられることが必要?
私は幾度か裏切られたことがありますのでそれはできません。まぁ裏切られたことで私自身も教訓になりましたけど。
依存を薄めるというのは、使ってる薬が効かなくなったから別の薬を併用してるようなものだと思いますが…。現実逃避に変わりありません。
自分を知るために他人とよくお話をして指摘してもらった方が良いです。
根本の問題は自分にあるんですから、自分が成長するしかありません。
良い大人は依存を薄めてなんていません。依存することで結果起きる事を考えて即、止めるのです。止めたことで出た鬱憤の上手な吐き出し方もわきまえてますよ。
id:hesshi さんはそうなのかもしれませんね。
id:hesshi さんに受け入れろと迫っているわけじゃなにですよ。
指摘されたからと言って、依存をやめられるわけじゃないと思います。
ひとにはいろいろな事情があるので、簡単に成長できる人ばかりではないと思いますよ。
人の深い事情というのはなかなか話すことじゃありません。うっぷんを吐き出すというのも依存先を増やすことと同じだと思います。
依存をやめろ、ではなくて、薄めればいい、というのは初めて聞いた意見で、私はとても参考になりました。
何かに依存してしまう原因は現実に多々あって、全く何にも依存しないなんて無理だなと思いました。
依存という言葉が悪い意味だけでとられすぎているけど、良い依存を増やせればいいんですね、きっと。
お役にたててよかったです
依存をひとつにするとからだにも心にも悪いなーとおもいます
はじめまして。発達障害のことを調べていたらC71さんのブログを見つけました。安全な依存先を増やす、最初は意味がよく分からなかったのですが、全部読ませていただいて、少し理解できました。私は去年、自分が発達障害だと知りました。本やネットなどで色々と調べているのですが、発達障害の事が未だによく理解出来ていません。もっとも、本やネットの情報などは偏っていたりするので全部があてになる訳ではないのでしょうが…。文を読んでいて、私も同じことしているなって思いました。同情とかそういうのではなくて、気付かされたというか、私、依存が強すぎるんだなって…。
友達もいなくて、依存する人は夫や、会社の元上司だったり、かまってもらえないと、過食、買い物にはしって…食べても満たされなくなって、買い物しても満たされない、人に会いたくなくなって外に出たくなくなって、家族にさえ会いたくなくて部屋に閉じこもって…。こんな事を繰り返していつも周りに迷惑をかけてばかりで、自分が消えたらみんなはどんなに楽になるのだろうかと考える時もあります。いきなりこんな事話されても困りますね…すみません。ただお礼が言いたくて、自分の現状に事に気付けたのは、C71さんがこうしてブログを書いてくれたおかげだと思ったので。私はコミュニケーション能力が低くて、いつも一方的に話してしまうんです。今日も自分の事を一方的に書いてしまいした、すみませんでした。
C71さんのブログは、初めてみたので、まだ全部は見れていないのですが、これから、ブログ拝見させていただきます。
まだ、寒い日が続きますので、お体に気をつけてお過ごしください。
こんにちは
わたしも診断されて三年生なので、あまりよくわかってません。
でもわかってから、手を打てることが増えました。
できないことをしないで、できることをするとか。
わたしも同じようなときがありました。
今もそうかもしれません。
またきてくださいね。