社会のルールが平等じゃない

わたしは、女性が男性と同じように働くべきだとは思ってない。

なぜかというと、この社会は男のルールでできているから、女性には最初から不利だ。
それを「男女は不平等だ」という言い方をする人もいる。現実を見ろとか、現実を教えろという人もいる。
現実を追認するのと、現実に対応しながら、変革を試みるのは違っていると思っていて、わたしはできるならば後者でありたい。

女性が、男性と同じように働くには「頑張る」必要がある。
その時点で、同じ土俵に立てていない。見えない天井も壁もある。女性の下で働きたくないだとか、女性には出世の道がないだとか。ベンチャー企業に勤めた女性がいるのだけど、彼女は同じように働いている同期の男性と、二年で給料に差がついていたといっていた。

それもそうだし、女性には、出産に関わるコストがかかる。働く前から「あなたはいずれ出産しますよね?」と言われる。
出産するしないに関わらず、月経があり、月経は人によって、動けないくらい体調不良を招く。それがもともとない人間と同じようには働けない。
だから「男のほうが優れている」という風な結論を導き出す人も多い。
人類が滅亡しようとなんだろうと、どうでもいいんだけど、「人手」というものは、どこかの女性が十歳前後から血を流しながら体の準備をして、四十週吐きながら体の中で育成して、死にそうになりながら、産みだした誰かなのだけど、そこのところは見ない人がいますよね。フリーライダー。

だから、わたしは男性と同じように働くことはしないし、あきらめてもいる。

男のルールの社会は、たくさん人が死ぬし、人が生まれにくくなるし、育ちにくくなる。それはおかしいんじゃないの?と思う。

つわりがひどい間、「この間、普通、産休取れないんだよね、耐えられない人は、仕事をやめるしかなく、そして、出産を機にやめた人は、ほとんど、パートにしかなれないんだよね」という暗澹たる気持ちになった。母親がしんどい時、父親になる人の睾丸が同期して腫れ上がるとかになればいいのにね。

c71の著書

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