子供の居場所としての塾

親のできることは限られている。
今だと、ジャンプのエロ表現について、性暴力的だという批判に対して、「親が性教育すればいい」という風に言う人が多いけど、親の影響は確かに大きいものの、社会の醸し出している価値観や規範のほうが、影響力は強いと思う。

高校生が、わたしに、ラノベを見せてきた。エロマンガ先生というやつと、肌色の部分が多い女の子の表紙のやつと。
「これ、エロい奴だと思いますか?」
と聞かれて、わたしは不快だった。
内容はそうじゃないかもしれないけど、嫌だった。
その子は、わたしに対して、「妊娠したならクラシックを聴くべき」とかお化けを怖がっている女の子に「そういうの迷信だから」といきなり割って入ってくるから、前からちょっと嫌だったけど、ますます嫌になった。
「知らないけど…」
「これ、学校で読んだらまずいですよね、終わりますよ」と言っていたから、エロいものだと見えるのはわかっているのだろう。
そして、わたしが嫌がっていることもわかっていて、なおかつ、人が嫌がっていても、エロに関することだったら、相手の女の人を嫌な気持ちにしても、かまわない、と思っているんだろうと思った。あとから、セクハラだと思った。

親御さんに会ったことはもちろんあって、とてもいい教育をし、子供にこれ以上となく向き合っている。
でも、親といるよりも学校にいる時間や、ネットをしている時間のほうが、もうすでに長いのだ。
そして、彼の価値観は、たくさんの肌色の女の子が描かれている本屋や、ネットで、補強されていく。
子供を教育するのは大変なことだ。

前置きが長くなってしまった。

わたしは、子育ては当然社会でするべきだと思っている。
公的な教育は、親のばらつきを是正して、子供の不利益を平等にならす役割があると思っている。
親に任せていたら、子供の能力の発達が、運のいい子と悪い子で、わかれすぎてしまうからだ。
親にとっても、自分の子供が人生のすべて、となることが良いことだとは思えない。

わたしの理想の塾は、勉強が自由にできて、おやつも食べられて、安心していられて、親御さんも、安心して預けられる場所だ。
知的好奇心を満たし、もっと知りたい、勉強したいと、やる気を出すような場所になってほしい。
最初は自分で塾を経営しようと思っていたけれど、同じ志の人が誘ってくれたから、雇われるという楽な身分でそれに関われるからラッキーと思った。
わたしは、結婚して、お金の心配も減ったせいか、「誰と働くか」「どんな理念か」のほうが、給料の額よりも大事になった。

c71の著書

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