どんなに有名な人でも消える

ブログを久しぶりにかいてみたら随分気が楽になった。
例え誰からも嫌われていてもいいじゃないか。
わたしはわたしのしたいようにしているのだから。

わたしは全然有名な人間ではない。立派でもない。
つまらない人間だ。
これから何か為したいとは思っているけれど、なかなか実現しない。
でもいいんだ。

どんなに有名になったとしても、風向きひとつで敵と味方は変わり、表舞台から去ればすぐに忘れ去られる。

わたしはそもそも忘れ去られるどころか、知られていない。

言葉は空をさ迷う。どこにも届かないで消えるとしても、書きたいから書いてる。自分を支えるために書いてる。それだけでよかったのだということ。

書いているうちに思考が広がって、ネガティブにしか捉えられなかったことも、違う方に考えられる。
それは書くことの魔法だ。

わたしは魔法を使いたくて、言葉を使って、自分を少しでも違う角度から見るために書いているのだった。

それは有名になるためでもすごいですねと誉められるためでもなくて、自分のためだ。
欲を出せばきりがないから、もちろん認められたり、誉められたりしたい気持ちはある。

そもそも原点に立ち返れば、言葉を使って遊び、言葉から生まれる幻影をいつも追いたいから、わたしは書いてきたのだった。

自分に正直に、嘘をつかずに、誰に理解されなくても、理解されても、なにも変わらずにいたいから、続けたいのだ。

名声を追い求めても、それはいつか消える。
なにもかも消えるのだとしたら、わたしはわたしの芯のようなもののために書くのだ。

c71の著書

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