少子化が問題になっている。
個人的には、日本の子供が少なくなったとしても自業自得なので、子供が減るのは当然だと思っている。
少子化対策と銘打たれているものは、すべて、女の責任を問い、結婚を促進すれば子供が生まれるとの考えの上で、動いている。
女が子供を産むとき、さまざまな苦痛を直面する。
つわり、体の変化、妊婦の間のだるさ、仕事を思うようにできないこと、母親になったとたん、人格を剥奪され「母親」らしく生きることを強制される。そんな強制などないといえる人はおめでたいだろう。
結婚をしなくても、子供はできる。ちんこをまんこに突っ込めば、子供はできる。
でも、生むかどうかは、女が決める。
婚外子が少ないから、結婚することで、子供を増やそうとするのは間違いだ。婚外子が差別されない状態で、男と暮らさなくてもいい状況だったら、生んでもいい、ケアや助けがあれば産んでもいいと思っている人もいるだろう。でも、そういう人たちは、「あばずれ」「常識知らず」と責められる。苦境に立っても、自分の決断のせいだと、言われる。
女に子育てを任せることで、男社会は、そこにフリーライドする。
女性を雇っている会社は、出産や子育てにかかるコストを負担する。男性を雇っている会社はそのコストを負担しない。その分利益を上げることができる。リスクを負担したくない会社が多いだろうから、女性を雇用することを避ける。
女が子供を産まないと、二十年後に労働者の数が減る。だから、男社会は女を責める。
実際には、女がフリーライドされることを忌避しているだけなのだが。子供を産み育てるというコストを払わず、出来上がった成年を社会人として雇用する人々は、子供を育てるというコストから逃れ、成果物だけを受け取る。フリーライドしている。
男と女が子供を作る。でも、その後、男は、その負担自体に気づかない。そして、女は生産性が低いと責める。女が産まないせいで、少子化だとも責める。
子供は社会が育てるものだ。男性も、もちろん社会の成員なのだから、育てることに加わらないといけない。
男性が、子育てにかかわることで、フリーライドは緩和される。
女が子供を産まないのは、男社会のせいだ。
女が自分の力で生きていけない社会構造を作り上げたのは、男だ。
母親になろうとなるまいと、おんなには女の、それまでの歴史から培った人格がある。母親だということをアイデンティティにする人もいる。でも、もちろん、そうじゃない人もいる。そうじゃない人も子供を産んだり、産まなかったりする。
妊娠出産の苦痛を肩代わりをすることをできない男ができるのは、母親になった人のケアをすることだけだ。それでも、変わることはできないのだけど。
自分の人生を自分らしく生きることが人生の目的だと思っているわたしは、「母親」という属性になったとしても、人格を放棄するつもりはない。子供の成長がかわいくても、それとは別に、わたしにも人生がある。
子供に人生を押し付けたら、子供は窒息するだろう。
女が子供を産まないのは、女のせいではない。
女は、生き方を選べる。
そのことに気が付かないまま、少子化対策をしても、何も変わらないだろう。
結婚は、小づくりとイコールじゃない。何の担保にもならない。結婚をして、子供を産んでしまえば、男が、横暴でも逃げることが難しくなる。そのリスクをわかっていたら、子供を産むことに踏み切るのは難しい。
身体的な苦痛と、精神的な苦痛、経済的な損失を考えて、子供を産まないのは、合理的な決断だ。
いくら、女を脅しても、そのことは消えない。
身体的な苦痛を、軽減することはできなくても、ほかのことは社会が動けば変わる。
基本的に少子化に問題を感じないが、もし、本当に、少子化を何とかしたいのであれば、女のせいだ、と責めることをやめなくては、何も始まらないだろう。
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