定型の人の無防備さ

定型の人は、外部から得た価値観を内面化して、鵜呑みにして、苦しんでいるように見える。
自分の中の意見よりも、周りの価値観を大事にするから、そこからはみ出した事態になったときに、行き詰まる。
わたしには、生きにくさは、そういう意味ではない。
自分しかいない世界なので、自分の価値観だけに準じて生きている。

こうしなければいけないといわれたら、それを鵜呑みにして、「なんで?」と思わないから、外部からの価値観を疑えない。
そして、なんでと言われることが嫌い。
自分で自分を不自由にしている。

わたしは、疑問を持ったり、怒ったりする。そうすると、生きづらそう、もっと穏やかになればいい、適応したらいい、と言われるけれど、それはわたしの快適じゃない。疑問を持ったほうが、自分らしく生きるための指針が建てられるので楽だ。

定型の人の中には、疑問を持つ他人を見ただけで腹を立てる。常識に対してとても素直だと思う。
そして、生きづらくなっている。

目に見えないものを信じて、幽霊みたいな世間体に沿って、嫌なことを我慢する。
我慢してもいいことがないのに。そして、自由そうなわたしを攻撃することだってある。

定型の人は自分たちの気持ちをお互い察することができると夢見ているけれど、そんなことはないんじゃないか。
よく愚痴を聞くもの。
お互い話し合って自己開示すれば避けられることも多そうだし、嫌なことをさっさとやめればいい場面でも我慢するから何十年でも無駄にする。

わたしは、嫌なことはちっとも我慢しない。すぐに逃げてしまう。

自閉症が障害だといわれる。そう、もちろん、障害特性に沿った生きづらさはある。
でも、定型の人に生きづらさがないかというとそうじゃない。
自分で認識できない分、苦しいのではないかと思う。

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