一度虐待されると虐待されることに安心してしまう

一度虐待されると、そのことに慣れてしまう。
そして、虐待されることに感謝するようになる。
この人は自分のために、厳しくしてくれているんだ、この人がいないと自分はだめになると思い込んでしまう。だから、虐待から逃れられても、また、新しい虐待主にくっついてしまう。嫌なのに、安心してしまう。

人間は、自分が今までいた環境と別の環境を選ぶときに、今までいたところと似たところを選ぶ。
だから、虐待されたことのある人は、虐待されやすくなる。

でも、生きる力が強ければ、虐待から逃れることもできる。
虐待されて、慣れても、だんだん学んで、この人も虐待していると気づけるようになる。
これは、希望だ。

虐待されていることに気付くには、知識がいる。
虐待されている人が愚かなわけじゃない。虐待されていることを選んでいるように見えても、その人がバカなわけじゃない。ただ、センサーが鈍ってしまっているだけだ。

自尊心を破壊されるのは洗脳されるのと同じことだ。自分が無価値だと学習してしまうと、他者に利用されることで自分の価値を確認するようになってしまう。

でも、虐待から逃れることはできる。嫌なことを我慢しない。逃げる。同じことを繰り返しているようでも、だんだんと逃げることがうまくなる。

だから、一度虐待されたらもうおしまいだと考えるのではなくて、そこから一度でも逃げられた自分の生きる力を信じてほしい。

c71の著書

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