セクシャリティについて

友達のAちゃんとご飯を食べながら、セクシャリティの話になった。
そして、「ヘテロではない人……」と言ってから、うっとなった。

今化学を勉強しているから「ホモ」っていうのが最初の語彙としてきた。
化学の語彙だとヘテロに対応するのはホモなのだ。
でも、文明人だから「ゲイ」という言葉を知っている以上、ホモという言葉をあえて使う必要はない。
で、Aちゃんが「ゲイ?」と言った。
「そうそう、そうなんだけど、ゲイ、といった瞬間に、イメージするものが、レズビアンやそれ以外の人も含まれるイメージの人と、そうじゃない人もいるじゃんね」
という話になった。
「そうそう、それで、ゲイやレズビアン、という言い方をしたところで、こぼれる人はいるわけだから、LGTBsという言い方をしようとするんだけど、そこにも含まれていない人いるし」
「セクシャリティで分けると、マジョリティなのはヘテロでシスになるけど、マジョリティマイノリティで分けると、経済的にはゲイが強いよね?という話になり、どこで見ているかで、言葉遣いが変わる」
「かといって、シスでヘテロであるという意味のマジョリティの人間が、せくシャリマイノリティについて語らなくなるのも、それはそれで問題があるわけで、周縁化してしまう」
「自分のセクだけを語ればいいって話もあるんだけど、そうすると、どんどん追い詰められるし」
という話になった。

障碍者もそうなんだけど、障碍者だけが語るようになると、語られないという作法自体がすでに差別なのであって、目に見えなくさせられている時点で、差別の強化に加担していることになるのだ。

セクシャリティを当事者じゃない人が語ろうとすると、「うっ」と詰まってしまう問題があるなあ、と思った。
語るべきことを語らないと、どんどん構造というのは強化されてしまうし、そうすると、丁寧に語るしかないよなと思った。

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