母を恨んで

母がおかしいのは、わかっていた。

けど、「世間体を気にする人だ」とわかった瞬間、「ウォーター」という感じになった。
知っていたことよりもさらに深いところを知ったという感じ。

母は、「わたしは世間体なんて気にしないのよ」といつもいっていた。そして、近所に苦情を言うなど、もしくは、人の悪口を言うなどの汚い仕事はわたしごしに行うという習性があった。
あまりに嫌すぎて、考えるのが面倒になって、というより、いうことを聞くまで繰り返し繰り返し繰り返し、同じ話が延々と延々と続くので「自分さえ我慢してこれを乗り越えれば終わるはず」と思って自らの手を汚し、言うことを聞くというパターンができていた。

ウォーターの瞬間のときは「そうか、二度と会わないところにいけばいいんだ」と気づいた。頭がスコーンと抜けたような感じがした。耳に入っていた水が抜けたときみたいな感じを百倍にしたようなすっきり感。目がはっきり見えた感じ。
そのあと、ノータイムで、母に対するどうしようもない怒りが、恨みが、火山みたいに噴火して、どろどろーと出てきて、自我が壊れそうになった。

わたしの今までの人生どうしてくれる!という感じになった。

それでいて、途方に暮れた。

今まではこうしたら正しいということを言っていた母親と離れて「正しくないこと」をしてしまったら、取り返しのつかないことになるんじゃないか、という不安に取り付かれていた。

失敗は今までもたくさんしてきたし、そのどれもがなんとかなることだったのに「誰にも何も言われず、人知れず、失敗する」ということは未経験だったからだ。

でも、それも圧倒的な怒りがなんとかしてくれた。

最初は百円の買い物をするのにも、罪悪感がひどくて、何時間も悩んで、疲れきって一日寝込むということもあった。
その合間に怒りがどっかんどっかん出てきた感じだった。

わたしは、母親が本当はしたい反社会的なことを、わたしにさせておいて「にやにや」している感じのことを思い出せば、そんなことは全然乗り越えられる感じだった。

不安と、怒りでいつもぐらぐらしていて、今までの人生を悼む悲しみが強すぎて、「殺してやるしかない」と思った。
入院している間は、母親のことばかり言っていた。
しかも、「この年になってお母さんのことばかり言っている自分」というのもわかっていたので、そういう自分がさらに嫌いになった。

その状態は絶対終わらないと確信できるくらい、怒りのパワーは強かった。

今は、「会ってやってもいいかな」と少し思うけど、そのすぐ後で、「うわああ、やっぱいやだ」となり、湿疹が出てくるので、やっぱり無理だし、したくないし、こういう風に、母のことを考えるのもできればやめたいくらいだし、会いたくない気持ちは変わらない。

けど、怒りのパワー自体は減らなくて、そのパワーが生活再建の方に向かいつつあるのを感じる。
忘れていっている自分がいる。
それは正常なことで、本当に喜ばしい。
でも、忘れる前に、書き記したいことがあることも確かだ。

家を出るまで、赤ちゃん言葉で話しかけられたこと。
就職することを辞めろと止められていたこと(ニート強要)。
友達奪い取られ事件。
下着の自由がなかったこと。ブラジャーを買ってもらえなかったこと(お年玉をためて買った。お小遣いはなかった)。
常に人の悪口を言われていたこと。
体にやたらべたべた触られていたこと、など。
母に抵抗すると「反抗期」といって節をつけて歌われたこと。
なんの前触れもなく、いきなり怒鳴ること。
わたしが泣き始めると、気違いといい、家中の窓を閉めはじめ、ばたばたと足音をわざとたてること。
気に入らないことがあると、風呂にも入らず、三日間部屋に閉じこもって、会話をしないこと。
何か怒っていて、誤っても許してもらえず、怒っている理由を言ってこないで、コントロールしていたこと。
そして、正解を言い始めると、演技がかかって、いきなり、怒鳴り始めること。

そのとき、わたしがどんな気持ちだったのか、みるみるうちに忘れていっている。
それは、とても正常なことだ。
だけど、どこかに書いておきたい気持ちもあるので、書いてみた。

c71の著書

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