心配されることが重荷になる、家に帰るとほっとすると父に伝えたら、
「自立心が芽生えたんだね、前は、心配されると安心するみたいなところが見えたから」
と言われた。
「心配されるとありがたいと思わないといけないと思っていたんだよ」と答えた。
そうだった、そうだった。
今は心配されるとむっとする。
だけど、前は心配されると、心配をありがたく受け取らないといけないと思い込んでいたから、それを合理化するために、心配されて、言う通りにすると、責任を取らなくても良い自分を作り上げていたんだ。
だけど、言った相手は、責任なんかとってくれない。
過ぎた時間に対しても、選択に対しても、責任は取ってもらえない。
「ほら、言った通りになったでしょう」というのは、母親の口癖だったけれど、わたしは圏外に出てからこそ、その台詞にぞっとする。
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