すーちゃん まいちゃん さわ子さん 感想

すーちゃん まいちゃん さわ子さんを観た感想

ドキドキしながら観た。これを考えたひとはどれだけ自分以外のことを考えられるのだろうかと思った。すごいと思った。

人と人とのおずおずした距離がくすりとした。そして、胸がぎゅーっと苦しくなった。

さわ子さんのおばあちゃんにあいさつに行くところ、恋をすること、離れること、別れること、執着すること、嘘をつくこと、泣くこと。

明日も明後日も一人だろう、死ぬまで一人かもしれないと思う人生と、自分の名前を消す代わりに誰かの庇護下に入り、さらに誰かを庇護することのどちらかを選ぶこと。
そういう選択の前に立つことが女のひとには必ずある。それは、毎日の生活のなかでじわじわある。

わたしは仕事を辞めることがとても怖い。何が怖いかというと社会との接点を失うこと。
もちろん、旅行だってしたいし、いつも自由でいたい。そういう意味では、社会と関われれば仕事は辞めてもいい。お金があれば。自分を生きられなくなることが怖い。
でも誰かの世話をして、自分の名前を呼ばれなくなる人生はとても怖い。

三人ともかっこいい。仕事があるのがかっこいい。さわ子さんが診断書のことで、うんと言ってから、で、あなたは?と激高するシーンはかっこよすぎる。かっこよすぎるかもしれない。わたしはさわ子さんになれない。さわ子さんになれない自分が悲しい。
わたしは怒れないかもしれない。半笑いしてしまうかもしれない。

三人はどこか情けない。
恋人がいないとなんとなく情けない。だからか三人とも情けない。情けなさとかっこよさは両立する。三人はかっこよい女性でもあるし、情けなくもある。
そして、恋人ができてもやっぱり新しく情けない気持ちになる。
仕事があっても、頼りにされてても、やっぱり情けなくなって、泣く種になる。
それが嫌で、新しい決断をしても、新しい情けなさはやってくる。そして、古い情けなさが素晴らしいように、懐かしく思われる。

先の遠い未来を考えすぎて、心配しすぎて、今を決めすぎないことが大切というのが、メッセージだった。三人の友情より、一人でいることを受け入れることが、大事、みんな本当に大事なことを決めるとき、悲しいときは一人だった。ベタベタした友情はなかった。
生きていることを確かめあうことが嬉しいというような友情だった。

そういうことが描かれた映画だった。

c71の著書

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