過干渉の母

母は過干渉だった。

今思うと他にやることがなかったんだと思う。わたしをトロフィーにしたいのと同時にわたしに嫉妬していた。
うまくいきかけると、壊すようなことをするし、うまくいくと育て方が良いからといった。

妹はさっさと家出した。

わたしは家出しなかった。

義母はよい人なのだが、縛られて牢屋に入れられていたわけではないのだから、逃げなかったのはわたしの意思だと言った。

半分そうで、半分違う。

心が牢屋に入れられていて、お母さんはおかしいと思うたびに、「あなたは、頭がおかしい」と言われていたので、わたしのこころで鳴る危険を教えるアラームは、誤作動ということになったのだ。

そのせいで、わたしは逃げられなかったし、心の自由がないこと、洗脳されること、の恐ろしさはそこにあると思う。

おかしいと疑問に思うことを封じられて、最後に顕れるからだの不調も母の不幸さを他人にアピールする道具にされた上、病気であっても頑張れと言われるから、やっぱり逃げられないのだった。

病気になると人との関わりもなくなるから、おかしいといってくれるひともいなくなる。

過干渉はよい母だと思われる。献身的に見えてしまう。だから、娘は孤独になる。

わたしは、心のアラームを取り戻した。

わたしが、なんとか逃げられたのは、勉強をして、本を読んで、友達がいなくても、心のなかを広くして、本のなかの人との会話ができたからだと思う。

だから、世間に出て、助けを求めるときに、説明をできたし、他の人の意見を聞けることができた。

父とも義母とも仲良くなれた。

逃げるのがとても遅くて、恥ずかしいし、悔しいけど、でも、一日を三倍くらい幸せに思ったら、一年が三倍になって、十年で三十年くらい幸せになれると思う。

c71の著書

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