マッチョ思考と甘えたさ

マッチョは好きです。筋肉ブラボー。

でも、マッチョ思考は嫌だ。それは、甘えの思考だから。

甘えるのは大事なことなんですよ。でも、「おれの甘えを察して、あたかも自分は甘えていないていを装って、甘えたい」というのはだめだと思うんですよ。

マッチョ思考である自分を維持しながら、人に甘えることは不可能と言わないけれど、貧しい。

マッチョ思考の人を甘えさせる人というのはいて、それは、「意思を持たないのがかわいいといわれているので実践している女性」なんだと思うのだけど、その人たちも「察して」の文化だから、マッチョ思考の人と「察して合戦」をしてしまうので、満足度は低いと思います。

意思を持たないのがかわいい女性は、意思をむき出しにしません。だから、マッチョ思考の人と一見うまくいく。マッチョ思考の人は「自分が引っ張る」妄想に取りつかれているから、一時的に満足できる。トロフィーを手にしたかの如く。

でも、常に、百パーセント「察してほしい」に応えられるわけはないから、お互いいらいらするんじゃないかと思うのですよ。
それに、マッチョ思考の人たちは「仕事中心の生活」に逃げて、「ほかの自分の生活」を充実させる気力がない。お金にならないことやコスト意識が高すぎて「コスパ高い」ボットになるんじゃないかなーと思います。

彼らの問題は「自分の気持ちを把握できていないこと」だと思います。
そもそも把握できていなかったり、自分の気持ちを無視することに慣れすぎて、「自分の気持ち」があるかどうか、わからない。
だから、自分がなんとなく不満を持っているけれど、誰にぶつければいいのかわからない状態なんだと思います。

それで、目についた「弱音を吐ける属性」の人を攻撃する。その属性というのは「女」ってことですけど。

実際には、「弱音を吐ける」というのは、属性によるものじゃなくて、自分の意思一つなんだと思うのですが、マッチョ思考男性というのは、マッチョ思考男性同士でコミュニティを作っていると思われるので、文化的に「男は弱音を吐かないこと」というのが身についてしまっていて、ラベリングでしか思考できないみたいなんですよね。関わり合いがないので推測になるんですけど。

今の世の中は、マッチョ思考で、回っていって自分の肯定感を強めるということが難しい時代です。
だって、女も男もそれ以外も、自分の意思を持って生きているから、いちいちマッチョ思考の人を「すごいねえ」と言って立てる筋合いもないわけです。
マッチョ思考は、立てられておだてられないと死んでしまう致命的な欠陥を持っています。誰かの上に立つとか、とにかく、外側の「えらさ」にすべてが立脚しているので、「自分に都合のよい他者」がいないと死んでしまう弱い生き物なんだと思うのです。

マッチョ思考を持っていても、おそらく、私と同じ人間なので、日常的につらい思いやしんどい思いをしているんだと思います。でも、前にも書いたように、自分自身で自分の感情を見つめるという作業をしたことがないもので、言語化以前の問題で、把握できていない。だから、不満がたまって、「女なんて馬鹿だ」と、社会的に見下してもいい相手を見下して一応すっきりするんじゃないかと思うのです。

でも、実際にそれで問題が解決するかというと別で。見下されたほうも人間なので「見下された」ことをそのまま受け入れて、「よしよし」してあげる筋合いもないどころか「はあ?なにそれ」という感じで反撃したり、「こいつ馬鹿だな」という感じでスルーしてはいはい、って聞くだけなんだと思うのですよね。

マッチョ思考のメリットってもともとなかったんだと思います。男が偉い、ということで、男自体も得はしていなかった。
偉いと持ち上げられるからには、責任が伴います。でも、自分自身の人生以外に対して、責任を取るのって、納得がいきにくいと思う。それが生きがいの人は否定しませんが。

現代のマッチョ思考の人は、偉いと持ち上げられたいと思いながら、でも、その偉さに伴う責任は取りたくない、もしくは、取れないと感じていて、そのためうっすらと「自分にはできない」「弱音を吐く人が妬ましい」「責任を果たさず自由にしている人がうらやましい」ってことになると思います。今現在、マッチョ思考の人が取れる責任というのは、そもそもないとも思うんです。だから、永久に乾いている。
偉い、と持ち上げられながら、その責任を果たす機会が失われている、もしくは必要とされていない、というのはきついのでは?と思います。

でも、自分がマッチョ思考である、と気が付くためには、一回マジョリティな文化から外れないといけなくて、そして、それが一番マッチョ思考の人には難関なんだと思います。
自分がマジョリティで、普通の人で、でも変わっているところもあって、というのが、マッチョ思考の人を支えていると思うので、マジョリティ=自分が当たり前だと思っている価値観、を疑うのは、死ぬのと同じくらい思いつかないんじゃないかなーと思います。

本当は、甘えられたらいいし、甘えた分、人を甘えさせたらいいんだろうけどね。

マッチョ思考の人の問題は、とにかく自分の気持ちの言語化を怠っていることだと思います。怠っているというか、思いついていないというか。自分に感情があるということを認めてすらいないんじゃないかな。

哲学でも、理屈/感情という風に分けられていて、スラッシュの下側に感情があるのは、偶然ではないと思います。感情を低く見積もっていて、感情的であるものは、低いもの、感情を表す女はレベルが低い、と思っているうちは、楽になりにくいんじゃないかなと思います。

c71.hatenablog.com

c71の著書

スポンサーリンク
広告

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください