適当に書いた記事が思いもよらぬヒットをして、びびっているわたしがことの経緯を改めて書きます。
わたしは書いてある通り、自分の病識を記録するためにブログを書いています。
もちろん、たくさんの人に読まれたら良いなと思っています。
この大騒ぎになる前は、一日に百人から二百人来たら、「おお、今日は多いな、何があったかな」と思う程度でした。気になってくれる人が読んでくれたら良いなと思っていました。
それが、一日に、二万ビュー、五万ビューと来て、単純に言って、百倍に露出が増えました。
わたしは最初は嬉しいと思っていました。はてなブログのトップのお勧めになったときには、写真を撮ったり、アクセス解析を写真に撮ったりしていました。
でも、だんだん、呆然として来ました。この勢いだと一万越えるんじゃないか…?
一万という数は感覚的に言って、想像を超えてます。何かのホール一杯分の人が読んだと言うことです。なにそれ。
怖い。
九割九分の人が褒めてくれました。でも、一部の人はやはり辛口です。
そりゃあ、適当に自分のために書いてあるのだから、あらもあるし、不十分なところもあります。
そもそも、わたし自身が欠点と偏見だらけの不完全な人間です。
不完全な人間が書くものが、誰からも見て素晴らしいってこと、あるわけないじゃないですか。
わたしは、自分と似たような心境の人に一時の連帯と安らぎを与えられたら、この上もなく嬉しいし、それで、このブログの果たす役割とわたしの世界に果たせる役割のいくぶんかは、終わるんだと思っています。わたしは十分やったよ…と思えます。
それにしても、多い。五万は多すぎる。五万六千ビューは多すぎる。一秒間の間にも誰かが読んでるって言うことだ。恐ろしいことです。
わたしが一本の記事を書くのにかかる時間は長くて三十分です。
この記事をここまで書いたのにかかった時間は十分です。
八百字書くの十分なので、二千字書くと、だいたい推敲も入れて、三十分です。
だから、その程度の文章で「ここまでの長文を書くなんて」みたいに言われたのにはびっくらこきましたし、意味わかんないと思いました。
また、表現上の問題で、アルバイトをすることを「降りる」と書いたことを、まだ価値観が変わりきっていないのではないか、と書かれたことにも「そんなこといっても、一般的には正社員が良いと思うのが主流だし、わたしの個人的な価値観で、正社員が良いと思っていた自分がいたんだから、そこから変化したことは、つまり世間の考え方みたいな幻想から脱却したことは、降りるっても良いと思うし、降りるという言葉自体にネガティブな意味を持つのがおかしいよ」などと、いちいちブコメを見てぶつぶつ思っております。
それだけでなく、ツイッターで、どういう言及をされているのか、URLからたどってみてしまっています。どうですか、気持ち悪いでしょう。
わたしは自分を気持ちわるっと思いました。
でも、無理もないです。
自分に関わることに関して好奇心を持つのって、健全なことだとも思うんです。
ただ、健全じゃない気分になるのがわかりきっているだけであって。
それでも、ツイッターでも、ほとんどネガティブな意見はなく、共感したとの言葉がほとんどでした。
今まで注目されていなかった人が急に注目されると、ブコメをつくづく読み込んで、影響されるという見苦しい事態にも発展します。
ここは涼しい顔をして、感想なんて興味ないわよ、ふふふ、と書いておきたかったのですが、嘘偽りのないことを書いておこうと思いました。
これから先、精神疾患を持ったブログを書く人が同じ目に会ったときに、これを読んで、「なーんだ、わたしよりもだめな人がいるじゃん、気が小さいな、ぷっ」と思ってもらえたら本望だからです。
正社員だったり、健康だったりする人でも、わたしと同じように苦しんでいる人はたくさんいて、その気持ちは普遍的なものなんだな、と思って、感動しました。
つらいのはわたしだけじゃないと思うのが、健康的なのかはわかりませんが、それでも、つらい思いをしていることがお互いわかり合えば、優しくし合えるのではないかと思ったのです。
そういう可能性を感じました。
それは嬉しいことです。
精神病の人が言うことなんて、自分には関係ないなんて思う人はほとんどいないんだ、と思いました。
雇用形態に関係なく、企業の規模にも関係なく、職種にも関係がなく、働くことは楽しかったり、つらかったりするんだ、みんな少しずつ共感し合えるんだ、と思ったのは嬉しい驚きでした。
古いパソコンからぽちぽち書いたことが、世界に大きな影響力を持つなんて、思いもよりませんでした。
書くことはわたしにとって、完全な趣味で、書くと自分がすっきりするし、おまけで読んでくれる人がいて、そして、その上でよい気分になったら、おまけがつくなあという気分で書いていたので、そうじゃない事態が発生して、びっくりです。
実際、何が怒ったわけでもないのに、眠りが浅くなりました。
自意識過剰なんだと思いますが、どう思われているのか、どう読まれているのか、気になってしまったのです。
一番良いのは気にせず今まで通り書くことだと思います。そういうスタンスで書いて、ヒットしたんだから、それが求められているのだろうし、わたしができることもそれだけだからです。
自分ではぴんと来ていませんが、素晴らしい経験だったことは確かです。
めったにない経験です。貴重です。一生ない人だってたくさんいるだろうし、わたしにもなかった経験です。
でも、渦中にいると、その素晴らしさがわかりません。
たくさん読まれていることが嬉しいことなのか良いことなのかもわかりません。
でも、誰も買い物に来ないお店ってさみしいし、お客さんが来て商品を買ってくれるのは嬉しいことだから、それと似たようなことかなと思います。
商売じゃないし売ってもいないですけど、そうかなと思います。
普通に地味に暮らして、インドアが趣味で、ぼちぼち文章を書いているだけの人が、一日五万以上のビューを記録したとき、どんな気持ちだったか、書いてみました。
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