自由な妖精マレフィセントは、盗人に恋をする。
そして、裏切られ、許し、そして、また裏切られ、翼を奪われる。
盗人は王になる。
飛べないマレフィセントは、憎悪の固まりになる。
王の娘が生まれたとき、マレフィセントは、王の娘に罪はないと知っていた。
けれど、彼女は呪いをかけた。
彼女自身も呪いを受けた。
誰からも愛されるオーロラ姫は、マレフィセントも虜にしてしまった。
マレフィセントは、オーロラ姫を愛してしまった。
この物語は、一見ただしそうな人間の王家が邪悪で、邪悪だと
思っていたマレフィセントが清らかだということも示しているし、マレフィセントは、邪悪さを楽しんでいることも、示している。
マレフィセントは、男に裏切られても、人生が終わったりしない。
彼女は、それどころか、憎悪さえ楽しんで、邪悪な人生を楽しむ。
わたしはそれが気に入った。
オーロラ姫は無邪気に、マレフィセントを小さな指で抱擁する。マレフィセントの心は溶けてしまう。マレフィセントはオーロラ姫を守る王子だ。ゴッドマザーだ。
マレフィセントが時折見せる邪悪そうな流し目に何度も心を奪われてしまった。
からす人間のユーモアも、マレフィセントの、邪悪さを彩り、不完全さを補って、完全にしている。
レリゴーは、正しい娘が、自由になる物語だった。
マレフィセントは、正しい娘が邪悪になっても幸せに生きる、どころか、二国を統合してしまう。最終的に、彼女はほしいものをすべて手に入れる。
オーロラ姫とは真実の愛で結ばれ、愛しい、オーロラ姫は善良そうな伴侶を得られそうだから、マレフィセントは心配も何もない。
マレフィセントは、邪悪でありながら、正しく、ユーモアもあり、ひとを愛すことを知っていて、自分の生きることを楽しむ。
人間の女にはできないが、人間の女が邪悪なままで幸せになれるのだと示唆している。
スポンサーリンク