不愉快な内容を書くので、読まなくて良いです。ほのぼのしていません。
「女子をこじらせて」を読みました。
途中まで読みました。共感できなくてびっくりしました。これから書くことは、雨宮さんとは関係のないことです。本の内容ともほぼ関係がないです。
雨宮さんのことが嫌い、という意味ではないです。
これから思ったことを書きます。
共感できないことは悪いことじゃないです。
なぜなら、別の人間だからです。
わたしは、そもそも周りのひとに見下されても気づきません。
だから、気になりません。他人に、評価されなくても気にしません。それはないものと同じだからです。
中学生のときは、片腕で腕立て伏せを百回できるような運動部だったので、ひょろひょろしたヤンキーに絡まれることはありませんでした。絡まれても、ぼこぼこにしたと思います。わたしは背も高くがたいも良く腕力も強く、けんか慣れしていたので、そういうことは起こりませんでした。
直接嫌いだと言われたら、おまえのことが嫌いだと言い返していましたし、学校の先生には嫌われていましたが、その分成績が良かったので、別にどうって言うこともなかったです。
この本を読んで、定型のひとの方がつらいのではないかと思いました。
わたしはスクールカーストなるものに気がつくような感覚がありません。ないので、気づきません。生徒さんを見ると、スクールカーストを気にしているせいで、成績を落としているひともいますが、他人と自分が違っているのだから無駄だといつも思います。
友だちの男と寝たせいで、大学にいづらくなるというくだりもびっくりしました。
たかだかセックスです。セックスなんて、したいと言えばだいたいできるものだと思っていました。男は、お姫様願望があって、女から口説かれるのを待っています。それは、自分がイけているとどこかで幻想を抱いており、鏡を見たことがないからです。いつも物欲しげに待っている男なんていくらでもいます。そういう男と何かしたとしても別に面白くもおかしくもないですが、やらせて、と言っておけば、だいたい、思った通りになるものだと思っていました。美醜はあまり関係がなく、男をいい気分にさせるだけです。
セカンドになることに傷つくのもよくわかりませんでした。目的がセックスならそれで別に目的が果たされているわけだから、どうして不満に思うのかわかりません。セックスして、デートしたいんだったらそうすれば良いし、他の女がいるのを知りたくないなら、知らせないでくれと言えば良いし、言葉が通じないなら獣だなあと思えば良いと思います。
セカンドの何が悪いのかもわからないし、彼女が彼女面して偉そうにしているのもよくわかりませんでした。
ルールを守らない、内面が美しくないとか、自分を責めることなど何もないのにと思いました。
別に男をレイプしたわけじゃないのに、ここまでどうして落ち込むのかよくわかりませんでした。
人の男、という表現が出てきましたけれども、誰かが誰かを所有できることなどないので、おこがましいと思いました。それは、彼女の方もセカンドの方も、所有されているつもりの男もです。
恋人を作るのは難しいけれど、それは信頼関係を築くのが難しいからです。セックスするだけの関係にも信頼関係は必要です。そのへんがごちゃごちゃしていると思いました。関係性によって、それぞれの信頼関係があると思います。それは自分で決めないといけません。
わたしは自分の輪郭を形作るために、「おまえのことが嫌い」と言います。
嫌いなものは嫌いだから仕方がないと思います。
好きなものを探すよりも嫌いなものを探した方が手っ取り早いと思います。それはとても楽なことです。
わたしはむかしから誰かが「好きなもの」と言っているものを「でもわたしは嫌い」と言ったら非難されることが理解できませんでした。
わたしは自分が好きなものを嫌いと言われても否定された気持ちにならないからです。
わたしが親のことで悩んでいることを共感できない人がいるように、わたしは女子をこじらせることが理解できません。わたしは女だし人間だしそれは自分で勝手に決めます。
自分でお互い理解できない世界があると知れて面白かったです。
そして、定型の人に、わたしの発達障害をブレンドしたらちょうど良くなると思います。
そう思いました。
わたしは共感できると言われるとびっくりします。他人だからです。でも、少しは、お互い共通点があるからわかる部分もあるのだと思います。
そして、共感しますと言われても、わたしは共感できないと思うこともあります。
でも、ひととうまくやるために、そう思ったことを言わないで済ますこともあります。
わたしはたったこれだけの譲歩でも、ずいぶん頑張ったと思っていますが、人には、真実を追究すると言われます。もっと隠して生きていけばいいのにと言われます。
でも、別に困っていないのでいいと思っています。
おまえのことが嫌い、と思えると、そして、関係がないと思えると、自分がとても楽です。
自分が楽な状態を維持すると、楽な時間が増え、生きるのが楽になります。人を嫌いになるのは悪いことじゃないです。
人を嫌いだと、かえって、いやだいやだと思うから、良いところを見ようという意見もあるのを知っていますが、はっきり嫌いだから、接点を持たないと決めてしまうのもいいことだと思います。
大人になったら人間関係を選べるのです。
お互いにお互いのことが嫌いで良いです。
そして、接点を持たずに生きることが大事だと思います。

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つねにほのぼのしていなくても良いですよね。とがった気持ちを持つのも大事だ。この記事を読んで、じぶんで色々考えたり人と話したりしたんですけれど、嫌いなものについてよく考えるのは重要だなあと感じました。嫌いとか面白くないとか退屈とか、一般にネガティブで隠すべき感情だとされるものにこそ、人の輪郭を形作るのに重要なエキスがつまっているのかもしれません。わたしは自分が嫌いなことの話を他人にして、そういうネガティブな事を言っちゃ駄目だ、君は嫌いなものだらけだね、と咎められて落ち込んだ経験がありますが、なぜ嫌いなのか真面目に追究するのは必ずしも悪い事ではないと思うようになりました。
ネガティブなことを避けるのって必ずしも良いことじゃない気がするんですよね。
そればっかりでも困るとは思うんですけど。
嫌いなものから逃げるのは大切だと思います。生き物はそうです。
嫌いなものから逃げるという選択肢を持っておく事は大切ですね。逃げちゃだめだ、と言われて、頑張ろうとしてぶっ壊れた経験があるので痛感しています。わたしは、板ばさみになって苦しんでいる人に「逃げても良いんだよ」と言えるようになりたい。
ちょっとは闘ってみたほうがいい場合と、さっさと逃げたほうがいい場合と、常に適切に判断できるといいんですけどね。
わたしは、愛想良くするかどうかで最近悩んでいます。
中年になったから、愛想よくしても、たいへんにならないかな?と思って来てはいます。