呪縛 奪われていたわたしの人生

わたしは長女です。
家では、いい子をやっていました。
母親には家庭の問題を外に話すなと強いられていたので、友だちはできませんでした。心を許す相手と言うのがいませんでした。

母親はヒステリックな人で、怒鳴ったり、暴れたり、引きこもったりしました。

成績優秀、文武両道、それがわたしに課せられた役割でした。

妹は早いうちにドロップアウトして楽しくやっていました。
門限が何時間も違うので、親に聞いてみたら「お姉ちゃんは家出をしないけれど、妹ちゃんは家からいなくなっちゃうでしょ?」と言われました。

妹は、比較的早く結婚をしていました。母は結婚を許した自分の寛容さに酔いしれていました。

わたしは高校生のときに良い子をやめました。そのせいで、付き合わなくても良い連中と付き合い、きつい人生を送りました。秘密がなければ、普通の女の子と友だちになれたのに、と今は思います。それでも、わたしは枠を破れたので、漫画の女の子よりはましだったかもしれません。良い子をやめましたけれど、悪い仲間と付き合ったので、ひどい目にもたくさん遭いました。
それでも、夜の日に見た桜や、夏のにおいをかげたことは、わたしにとって大切な思い出です。

母親はわたしの人生に何一つ責任を取ってくれないのだ、と知ったのは、二十七歳のときです。二十歳そこそこのとき、「頼むから就職しないでくれ」と頭を下げられて、わたしは就職活動をせず、結果的に自立できませんでした。二十七歳に初めて働くことになったので、就職はとても大変でした。

わたしには、こんな風に思える子ども時代がありません。うらやましいなと思います。わたしは子どもの頃重圧に押しつぶされそうでした。これからどんなことがあっても、あのときの絶望、重圧、未来などないという感覚にはなりそうもありません。
今は大人だから、自分で自分の環境をコントロールできるし、逃げることも、戦うことも、できるからです。
こんな風に子ども時代を振り返る人がいるとは新鮮でした。こういうのを見るとうらやましいと言う気持ちがわきます。

わたしは、長いこと患っていました。許可を得る形で、精神科に通うことになったのは、「どうなろうと自分で責任を取りなさい。興信所で調べられて、結婚も就職も不利になるけれど、それでも良ければ自分の責任で行けばいい」と言われた二十歳を過ぎた誕生日月のことです。母は「病院に行かせてあげるわたしに感謝しなさい」とも言いました。「精神科に行かせてやる親なんかなかなかいないよ。普通はだめっていうからね」と言いました。

母は精神病に限らず外科ですら、わたしが病院に行くことをひどくしぶり、わたしは中学生の頃からひとりで病院に行っていました。家の外で倒れて、救急車で運ばれ、点滴を打っているときに、胸ぐらをつかまれたことがあります。入院するときは、大人になってからは特に、ひとりで入院して、ひとりで退院しました。お金も自分で払いました。そのお金は父からもらいました。

わたしが健康でなかったことを、母は憎んでいたように思います。けれど、わたしが健康になってしまったら、母と暮らしはしなかったと思うので、母は不健康であるわたしのことを支配する機会として利用していました。厄介なことに無意識に。彼女はそれに対して、意識的だったら改善したと思います。でも、もしかしたら、意識的にそうしていたかもしれません。彼女は頭は悪くない女性でした。

わたしは二十七歳のときに初めて就職しました。その自由に驚きました。労働環境は悪かったのですが、媚を売って生きていたそれまでと比べ、大人として認められ、自由なお金があることは素晴らしかったです。長患いしていた病気はあっけなく治りました。母と離れる効果は大きかったです。

それでもすべてを支配されていたわたしは「何が正解で、何が不正解か」にとらわれ、自分で判断して何かすることができませんでした。
百円均一で何かを買うことが恐ろしくてできませんでした。
笑われたらどうしよう、またおかしなものを買って、と言われたらどうしよう、と思いながら、脂汗を流しました。
服装も、いつも二十年前のお下がりを着ていて、いつも外に出るのが恥ずかしかったので、友だちと遊んだりもしませんでした。
妹はいつも新しい服を買ってもらっていました。
お姉ちゃんは、服に興味がないからね、そう言われていました。

わたしは母からも妹からも、頭がおかしい、病気だ、人格性境界例だ、と言われて育ちました。おしゃれじゃない、友だちがいない、そういうことを責められて生きていました。妹には「お姉ちゃんイ虐待された」と責められていました。虐待していたかもしれません。わたしにはもう思い出せないし、処理もできません。していたのでしょう。
でも、わたしは虐待されていた、と相手を責めることなく家を出ました。言っても、意味がなかったからです。
わたしはいくら泣いても、誰も助けてくれないと信じて生きていました。

母には、墓守を頼むと言われていました。
妹はそれを言われたことがなかったと思います。
いつも、お姉ちゃんは良いな、おかあさんと話せていいな、わたしは相手にされていない…わたしはネグレクトされていると言っていました。

勉強をすることは生きる上で、罵倒されるよりも安らかな逃げ場でした。
勉強は、わたしに、何も言ってきません。頭が狂っているとか、おねえちゃんはおかしいとか、あんたは非情な子だ、と言ってきません。祖母は、わたしに非情な子と言いました。

そのときのことが今仕事で役に立っています。だけど、わたしは二番目のおかあさんの言うように、その経験に感謝することができないでいます。そして、感謝せよ、と言われると胸がざわめいて悲鳴を上げたくなります。
わたしはあんな経験をしたくありませんでした。したくなくても、せざるを得ませんでした。子どものころも、大人になってからも、逃げられると知らずに生きていました。
大人になってからも、新しい価値観を知らず、「正しい/正しくない」の世界でいました。
病気になって、病気が深まることで、ようやく逃げられたと思います。
死にそうにならなかったら、わたしは見切りを付けられませんでした。

わたしはだめな長女でした。長女らしく、妹を守りはしませんでした。それでも、わたしは長女としての型にはめられていて、そこから逃げるのに人生のほとんどを捧げました。

わたしは振り返ってはならないと思います。振り返る時間が、あの家族と関わる時間になってしまうからです。もう逃げたのに、頭の中がその世界に戻ってしまうことは、苦しいと思います。わたしはいやです。

母親は大学時代もわたしを束縛して、長期休みのほとんどを家で過ごすことを強いました。わたしは若い時代を母親をかわいそうだと思って過ごしました。

今ではわたしがかわいそうだと思っています。
一分一秒でも、母親に時間を上げたくないと言うのが今の気持ちです。
奪われていたわたしの人生は、若くて楽しいはずだったわたしの人生は、絶対に帰ってきません。母親はわたしに責任を持ちません。

わたしは、若くなく美しくもない中年としてこれから生きていきます。若くて楽しかったはずの時代を、奪われたことを考えるときが狂いそうになります。でも、前を向いて生きていかないといけません。そして、その決意自体が、本来はいらないものだと感じて、息苦しいと思います。そうした決意をしないといけないこと自体が、わたしを苦しめます。

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呪縛 奪われていたわたしの人生」への5件のフィードバック

  1. いつもあなたは良い文章を書くなあ、引き込まれる文章だなあって思いながら読んでいます。
    でも今日は一段と苦しそうに感じました。
    私も母に抑圧された長女だから共感してしまったのかもしれません。自分の気持ちを大切にすることは実は大変なことですよね。

  2. こんにちは
    cocoronia さんコメントありがとうございます。
    文章を褒めてもらってありがとうございます。
    自分の気持ちを大切にすることは大胆さが必要な気がします。

  3. 親に感謝とか、今の環境に感謝とか、無理に感謝しなくてもいいなぁと最近思います。
    憎しみも苦しみも、無理して押し殺す事はないのかもしれません。

  4. 非常に共感します。 私も長男で、弟はそれは奔放に育ちました。なんとはなしに弟と一緒にいたくないと思い、中学は県外の学校を選び親元を離れての生活を始めました。当時ははっきり認識できていませんでしたが、 このままでは親の期待から逃れることができない、と感じていたのだと思います。家を離れてからですら、親の期待を完全に無視することはできませんでしたが。 高校生の終わりのころにようやく、「口では自由にしろといいながら、心の中で何かを期待するような姑息な支配の仕方をするのはやめて欲しい」と親に告げた瞬間を思い出しました。あれでようやく自立できたと思っています。親が子に期待するな、というのも酷な話ですが、それくらい言わないと、幼少のころから 親の期待する枠に(進んで)入ってきた癖は抜けないのだと思います。 ときとして期待は呪いになると思っています。

  5. peetangさんコメントありがとうございます。
    でも、やっぱり。こういうことを書くと、人を傷つけてしまうなと思ったり。
    わたしって、優しくない、意地悪い、と思ったりします。
    jmato911さんコメントありがとうございます
    親の期待って難しいですよね。自分も親になったら、親の期待をしてしまいそうな気がします。
    自分が楽しくやっていたら、あまり期待しないものかもしれません。
    自由になるといろいろ見えてくるものがあると思います。

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