おにぎりのついてのあの記事は、女性の役割を強化するという点で、不正義だった。
彼女がおにぎりを作ることは不正義ではない。
ただ、彼女がおにぎりを作らないといけなかった、その経緯には不正義が含まれているかもしれない。
それは、女性が「女性らしい」と思われる労働を、未成年のうちにかなりの量やることになり、そのため人生の選択が変えることができる、ということを彼女に見せてしまったからだ。それは周りの大人がしむけたことだとも言える。
彼女が普通クラスに映ったことは、不正義ではない。部活で学業を犠牲にしたと言う感じよりも、もともt最難関コースに違和感や、ついていけなさを感じていたための選択でもあるのではと思った。推測でしかないけれど、そうでなければ、最難関コースに入れ、娘に部活をさせる余裕のある親御さんが、それを止めなかった理由がわからない。
だから、あの記事は、彼女の総合的判断を矮小化して伝えているように読めた。
彼女がマミタスと呼ばれてしまったのは彼女のせいではない。
彼女が、良い大学に入る以外の道を見つけたならば、尊重するべきだ。勉強ができること、良い大学に入ること自体には大きな価値はない。それは結果であって、目指すものではないと思う。
やりたいことがあって、学びたいことがあって、大学は目指すべきだ。
なぜなら、大学は勉強するところだからで、就職を目指すところではない。結果として、良い就職をできたなら、それは運が良いことだ。
良い大学で良い就職ができるほど、人生はうまくいかないし、良い就職が良い人生や、幸せを保障してくれるわけでもない。
彼女は退学を選んだわけじゃなくて、クラスを変えただけだ。これは、あとからいくらでも取り返しがつく話だ。
彼女の無償の労働を、搾取した大人は悪い。おにぎりを握るという、女性に課せられがちな労働を未成年の女性にさせることによって、モチベーションやおにぎりという成果物を得たのなら、それは搾取だろう。
彼女のアンペイドワーク、シャドウワークを搾取した大人は悪い。それは高校野球を消費する大人が悪いと言う意味だ。その構造がなければ、この件は起きなかっただろう。
生身の未成年に物語の提供を求め、彼らを消費している大人がいるから、こういう事件が起きる。
未成年はこういった構造を知らないから、無垢に、青春を捧げる。
捧げたことで、得るものはたくさんあるが、失うこともたくさんある。
彼女の選択には、こうした、彼女をそそのかした大人の罪があって、彼女の選択に大勢の大人が加担している。高校生の彼女にはそれらのことはまだ見えない。
そして、彼女の選択はもちろん尊重されるべきだ。これは彼女の人生だからだ。
彼女は愚かな選択をしたかもしれない。だけど、これは彼女の人生なのだ。
からだを壊したり、精神を壊したりするような選択をしていないから、これは誰かが非難することも、否定することもしなくていい話だ。
彼女はもちろん、あとで後悔することもあるかもしれないが……、それはわれわれみんなそうだ。
愚かなことをして、あとで後悔する。
でも、だからといって、人に、失敗しないように、すべての選択を選ぶように依頼していたら、自分が生きる意味が亡くなってしまうんじゃないだろうか?
自分がなぜ生きるのか、わかっているためには、いつも自分が選択しないといけない。失敗するかもしれない、失敗しないかもしれない、それはわからない。でも、選択しないといけない。二年後に後悔しても、十年後にはやって良かったと思うかもしれない。わたしはそれの繰り返しで生きている。一番後悔したのは、自分で選択しなかったことだ。自分の人生を生きていないと感じた期間について、一番後悔した。
だから、彼女は後悔しないんじゃないだろうか、と思う。
彼女が後悔してもしなくても、彼女がその選択をそのときしたと言うことが、大切だ。彼女が自分の人生を生きた、ということだからだ。
自分を大切にしている、ということだ。
大人のわたしからすると、おにぎりを握ることはつまらない。美談にもされてしまう。これは良くないことだ。彼女がおにぎりを握った、その結果として、記事になったのは良くないことだ。
でも、子どもの論理はそれとは違う。子どもは、一生懸命やりたかったら、あとのことなど考えずに一生懸命やる。
教訓があるとしたら、ジェンダー強化に、国が加担しないために、教育にジェンダーやフェミニズムを取り入れていくことが大事だと思う。
そうしたら、若いひとたちに、新しい、違う視点を与えられると思う。
彼女が困ったら、わたしたちは責任を持って助けるべきだ。彼女は子どもだから。
私たちのできることは、教育と、見守ることだ。
追記
彼女が愚かな選択をした、とわたしが思っていることは、彼女には関係がないので、消します。
実際には愚かな選択とは言えないでしょう。
一生懸命考えて、選んだことだから、わたしが愚かだと断じてはいけないと思い返しました。
彼女がとった「部活のサポートのため、クラス変更をしてまで労働力を提供する」という選択にどんな意志が潜んでいるかはわかりませんが、周りの大人が、これぞ美談!内助の功!女子の鑑!…っていう感じで紹介するのは、性役割のおしつけに繋がりかねなくて、イヤだなぁと思いました。食事の用意なんて、外部業者に委託したほうが合理的だし衛生上も安全なのに、無理にドラマをつくろうとしてんのかなぁ、と邪推してみたりして。教育は大事だと思います。
この場合、本人を攻撃する意図がなくても、攻撃みたいになってしまうのが難しいと思います。
確かに。私も本人の選択や行動自体は攻撃するつもりは全く無いのに、この話すると攻撃してるみたいになっちゃいます。難しいです。
難しいですね。生身の人間がいると、議論がしにくいと思います。議論しなくても良いのかもしれないと思ってきました。