病気になっても良いことなんてひとつもない

病気になっていいことは何一つないし、人生で得ることもないし、真理もわからないし、つらい思いをした分、優しくもなれないと思っています。

つらい思いをすると、「その経験が人を優しくするのよ」「無駄な経験なんてない」などと慰められますが、別に優しくなりたくもないし、不幸な思いもしたくないし、無駄な不愉快はたくさんあります。

たとえば、暴力を受けたときに得た経験ってなんでしょう?人権蹂躙されるとこんな感じ?そして、警察ってこういう組織なんだ!

人間不信ってこういう気持ちになれるんだ、わあ、人間の闇を見られたから嬉しいなあ。こんなにも傷ついても人は死ねないなんて、生命力の神秘だ。
など、新しく知ることは山ほどありますが、もっと楽しいことで新しく知りたいことの方が多いですね、わたしは。そうじゃない人は、そうじゃないんでしょう、たぶん。

人を信じられないから優しくすることにも価値を見いだせない日々が続いていくと、「わたしって呼吸しているだけでも環境を破壊しているから死にたい」と思えるようになり、「寝て紛らわそう」と思っているうちに筋力が低下するので消費行動が落ち、消費税を払うことすらなくなるので、社会貢献的には最悪です。

生活保護公共事業と同じように経済を回すことになるので有益です。息していたらお金使うので、税金払うことになります。

医者にかかっているやつで行政のお世話になっていない人はいないし、ガス電気水道なども税金からでているインフラの部分がないわけではないので孤島にひとりで行きているのではない限り人に迷惑をかけて行きているわけです。死ぬと遺体が発生するので誰かの手間をかけさせます。

そんなとき「死ぬっていう最大のイベントをこなしたんだから、この人はすごく優しいのに違いない」と思う人は頭がおかしいでしょう。

それと同じように病気をしている人に対して「この人は病人だから甘えてもいいんだ」となぞの思考回路になる人は頭がおかしいです。

頭がおかしいと言うのは筋が通っていないという意味で使いました。

病気をしていると、その病気を治してあげようと民間療法の人がお金を搾り取ろうと近寄ってきますし、ロハスだとか自然とか好きな人が、「その色素沈着は現代医療の弊害だ」と指摘してくれて人の自尊心をへし折って「やっぱり気にされるんだ」と家から出られない気持ちにしてくれるので、ロハスだとか自然だとかで病気が治るんだったら苦労しないし、薬の毒はあるだろうけど、病気そのものの毒、みたいなものに無頓着なのはどうなの、と思えるので、おすすめです。嘘です。何もおすすめじゃないです。お金を搾り取ろうとする人たちの闇を見ることができて、人間の深さを知ることになりよりいっそう人に優しくするのが難しくなりました。人情とは。お金とは。

しかも、お金を稼いでいない時代が長く続くとお金の価値がわからなくなり、金銭感覚が狂って、そういうのにお布施してでも病気を治したいと藁にもすがる思いになるので、人間をだますのって、弱ければ弱いほど狙われるし、その原因がそもそも病気だからなので諸行無常だと思います。

現代医療のお医者さんは色素沈着があっても、医学的にいかにそれを気にしないですむかアドバイスしてくれますし、薬の適切な使い道を教えてくれるし、最小限のお金で済むように考えてくれるし、食事療法の指導もしてくれるので、素晴らしいです。

それはともかく、今日はヘルパーさんが来て、掃除をしてくれたので気分がやや落ち着きました。
家が綺麗だと嬉しいです。

そして、カボチャのポトフを作ってもらったので、塩とすだちで食べました。手羽元を入れて野菜入れて煮るととにかくおいしくなるのでとても良いです。

c71の著書

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病気になっても良いことなんてひとつもない」への2件のフィードバック

  1. 色々な話題の広がりがあって、面白く読んだ記事でした。なんか、いやなこと・苦しい経験は必ず価値があるはずだ!だから甘受すべきだ!みたいな風潮がありますが、苦しい経験は工夫をして避けるに越した事ないですよね、やっぱり。話とびますが、無痛分娩を毛嫌いする論説なんか読んでると、そう思います。

  2. こんにちは、コメントありがとうございます。
    疲れすぎて頭がとっちらかったまま書いたので自分でどうなのかわからなかったので、読み手の意見をもらえて嬉しかったです。

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