勉強を教えるときは、はきはきしゃべりません。
のんびりしゃべります。
あまりしゃべりません。
ぼーっとしているようにします。
あまり、必死なところを見せたくないと思っています。
わたしは勉強ができます。だから、教えることができるのですが、それと直接はつながっていないと思うので、工夫していることを書きたいと思います。
勉強ができると言っても、一個一個つまずきながら勉強したので、生徒の気持ち、惨めで悲しい気持ちや焦りや集中できなさがわかります。
わたしは人間の方が苦手だったのですが、比較の問題だと思います。
勉強は人を傷つけないので良いと思っています。
ぼそぼそ小声で教えて、あまりしゃべらないです。
生徒が盛り上がっていたら、盛り上がって話しますが、雑談です。
あとは、事実を探して褒めます。以前に比べてできるようになったことを褒めます。
部分だけでもできたら褒めます。
なぜそうするのかというと、生徒は勉強が怖いからです。
そして、テキパキ教えられたところで、頭の中には何も残りません。
テキパキした人は良くしゃべります。
生徒は、質問ができません。
なぜなら、しゃべっている人は、聞く暇がないからです。
わからない人は、どこがわからないかもわからないので、のんびり、ゆっくり時間を取る必要があります。すべてが曖昧模糊としているからです。
だから、それに時間をたっぷり取らなくてはいけません。
わからないから来ているのであって、わかっていたら来ていません。
一度教える側がぺらぺらしゃべったくらいで、理解できるなら塾になど来ないのです。
だから、わたしは小声でぼそぼそちょっとだけしゃべります。
今日、生徒さんに教え方がうまいと褒められました。
それに、一回授業を受けてくれた生徒さんが、回数を増やしてくれました。そういうのは認められたような気がして嬉しいです。
わからないことを、なんでわからないのとか、おかしいとか言っても、その人はわかるようになりません。
怒ってもそうならないです。
なんでなんでと責めてもならないです。
だいたい、テキパキした人はなんでと言ってから、いろんなことを持ち出してきます。あれもわからないしこれもわからないし、これもこうだから、と。
生徒はものすごく混乱します。ひとつ目のことを考えているうちに二つ目が来るからです。そうすると、物事が右から左に流れます。
生徒さんは最初の質問の「なんでわからないんだろう?」を一生懸命考えてフリーズしています。
それなのに、その質問の答えを待つ人は少ないです。そういう風にされると誰でも傷つきます。
だから、わたしはなんでとかは聞かないし、どうしてできないかも聞かないです。
できないものはできないのです。
そして、できないことをバカにしません。
わたしはたまたま勉強ができるけれど、他のことは全然できないからです。
教えてもらうときには褒めて、良いところを探してもらった方が嬉しいです。
そうすると萎縮しないで済むからです。
萎縮するとできることもできなくなるし、理解も遅くなります。
合理的に考えて、優しく教えるというと語弊がありますが、ぼそぼそと覇気のない感じで教えた方が、わかりやすいと言ってもらえるような気がします。
でも、これは、親じゃなくて他人だからできると思っています。
お金をもらっているから、忍耐力を持って穏やかにできるのです。
こうした教え方は頭を使うので、ものすごく体力を使います。
一言で、理解できるように疑問点の答えをまとめることもそうだし、相手の気配で困っているところを見抜くこともそうです。
生徒は先生は怒らないよね、と何度も確認します。
傷つかないようにここができないね、とは言わないよね、と言います。
だから、わたしは要望に応えます。
もちろん、元気がないという理由で外されることもありますが、相性は誰にでもあるなあと思います。
勉強を教えるのは好きだから、いろいろ工夫をします。
好きなことだと考えるのが苦にならないので、工夫しやすいようです。
萎縮すると何でもダメです。
今日は、付き合っている人が料理を作りに来てくれました。
嬉しいです。
今人参とピーマンを切っています。
参画コーナーを知らなかったので教えました。
そんなこともわからなくてごめんね、と言っていたので、三角コーナー使わなくて直接ゴミ箱に入れることも大いにあるよ、と教えました。
かわいいねえ、と褒めたら、なにが?というので、何もかも可愛い、強いて言うと素直さかなと伝えました。
昨日はつらかったけど、良いこともあります。
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反省と自戒…(笑) こういう伝え方が出来るようになりたいです。
論理的に話したことより、わかってもらいたい熱意だけが伝わることも多いので(それは肯定的に捉えてもらえることが多いのですが)、もっと教え上手になりたいです。
良い記事をありがとうございました!
まさにテキパキ要領良く話されるとさらにちんぷんかんぷんになり、右から左にスルーしちゃってました。
先生も友だちからも「〜ってことだから分かるよね!?」と強く言われてしまうと、分かんなくても「はい」と答えざるをえない感じを思い出しました。
学生時代に戻れるなら、c71さんに勉強を教わりたいです。
通りすがりに座り込みましたさん
そうなんですよね、熱意が伝わっても情報が伝わらないと意味がないのです。
意味ないこともないけど、お金払って来てもらっているから、社会人のパフォーマンスと違って、情報の伝達が必要になるです。
あと心のケアもですけど…
あいじさん
コメントありがとうございます。
わたしはテキパキしている人が苦手なことに最近気づきました。
テキパキの余裕がありつつ、周りを気遣える人は素敵だなあと思うのですが、単にテキパキしている人は怖い。
ってことだからわかるよね、ってひとは、つっこまれたら答えられないから先手を打ってるんだと思いますよ…。あまり良い指導者とは言えないと思います。
今からでも教えますよー。スカイプとかで。別にお金はとりませんし。
わたしもテキパキしてる人がちょっと苦手です。
仕事でも、わたしは頭の回転が早くないので置いてけぼりにされることがありましたが、みんなが理解していないと業務上わたしだけでなくあなた方にも迷惑がかかるのになあと思っていました。
自分1人で努力するには限界があるため、周りに迷惑をかけてしまう理解力に乏しい自分を責める日々を思い出しました。
c71さんみたいな指導者がもっと周りに増えれば、わたしみたいなのが生きやすくなるのになあと思います。
学生時代は物理、化学、数学を苦手としていたので、今は問題に直面することがあまりないのですが、また何かありましたらご相談に乗っていただければ幸いです。
すみません、無理に相談を作らなくていいですからね…
わたし根本的におせっかいみたいです。
テキパキしている人が苦手な人はけっこういると思います。
おっとりしているよさ、というのも確かにあって、人を怯えさせないとか、人をのんびりさせるとか、そういう風なところがあると思っています。
テキパキしないで効率よくする面白みもあると思います。