痴漢にインタビューした珍しい記事。
女性を意志のない人形のように感じた、だから、悪いことをした、傷つけた、ということが腹に落ちるまでには長い道のりがあったとのこと。
怒りよりも何よりもまず、それが知りたかった。そして、やはり、そうだったのだ、と思った。
女に、というよりも、痴漢という行為に欲情しているのだ、ということは、なんとなく、感じていた。
わたしが高校生のときに痴漢にあったと話すと、「魅力があったんだね」「犬に噛まれたと思って」「自慢?」と言われた。痴漢を容認する空気があると感じた。
自分以外を、人間だと思えない、という感覚はよくわかる。わたしにもそういう感覚がある。そして、そう理解することになんの得があるのかとも思う気持ちもわかってしまう。究極的には、損得でさえ思えないんじゃないかと思う。
相手を人間だと思っていなければ、得も損もない。理解することで、自分がしていることが、「加害」だとわかってしまったら、自分の権利=痴漢する権利を侵害されたと感じるはずだ。それは、疑うこともないほど、当たり前のこととして、存在する権利なのだ。
わたしが他人を人間だと理解しているのは、他人がわたしを攻撃するからだ。そういう身もふたもない結論が出てしまう。他人を軽んじて、扱うと、痛い目を見る。他人を大切にすると、感謝や、行為など、甘い気分がかえってくる。そういう原始的でつまらないことを学んで来たから、相手を尊重するわたしがいる。
でも、その経験がない人がいたとしたら?男性中心の社会で、生きていると、そういう経験をしない人間が出来上がる可能性はあると思う。自分の世界から出てこなくても、安全な繭の中で、生きられてしまうから、自分の価値観が崩れない。
痴漢というのは、加害だ。
その簡単な事実さえ、認められない現実の中で、この記事が出たのは、本当に有意義なことだ。
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