生理用品は外出する自由を保障する

あけましておめでとうございます。

今年は、健康に過ごしたいと思います。

生理用品は自由を保障する

もし、生理用品がなければ、私たちは外出できなくなります。

でも、私たちは生理用品を自分で買わないといけない。

それは、生理が個人の責任でなんとかしろよ、ってことになっているから。

でも、それが、外出すること、自由を求める最低限の権利ということになったら、水と生理用品が同じように捉えられると思う。水だってただじゃないけれど、水くらい安くなれば、みんなとても助かると思うんだけどね。

外出する自由があるから、学ぶこと、働くこと、経験することができる。

生理用品は、だから、社会が負担するべきだって思う。そうすることで、女性が資源化されて、搾取されているという不公正な状態を脱することができると思う。

生理用品がなければ、血まみれで歩かないといけないし、それって公衆衛生にも悪いし、そして何よりもみじめで恥ずかしい。

認識しなければなかったことにされてしまう

女性が資源化されているってどういうことかというと、簡単に言えば、妊娠出産家事育児に関する労働力を社会がかすめ取って、女性の利益に還元しないってこと。妊娠出産家事育児が女性の生きやすさに結びついておらず、一般的に言えば、生きる上での困難や不利益に結びついているのが、不自然だと思う。そこに喜びはあることは全然否定しないし、私も楽しんでいる部分はあるけれど。産む体だから、賃金が抑えられたり、性的な加害の対象に選ばれやすかったりする。

「それ」をかすめ取るためには、女性が「それ」を認識しないのが一番いい。認識しないのはないのと同じだから。だから、今の世の中では「女性差別はもうありません」っていうんでしょう。これをポストフェミニズムっていうらしいけれど。女性差別はまだ全然あるから。あるんだよと言いたい。不満も不利益もないんだってふりをされてそれを信じ込まされているのが今って感じがする。

女性「らしく」ふるまうから差別されるんじゃなくて、「女性」だから、差別される。振る舞いの問題に還元するから、ジェンダーって言葉は嫌い。ジェンダー平等もジェンダー差別も、女性差別を覆い隠して見えなくする効果がある。どっちもどっち、男性も苦しんでいるんだからみたいに。

「女性を資源として扱う社会」を認識する

Socialist feminism関係の論文をある方から勧められて途中まで読んだので、それ由来の考えたことをちょっと書きます。

マルクスは、資本家と労働者階級を分けたのは知っていたのだけど、余剰を得る側を資本家としてとらえた、というところをよくわかってなかったのでそれがおもしろかったです。

労働によって、投下した資本よりも多くの利益が出たとき、その余剰を資本家が手にするので、資本家はますます富んでいく。

それと同じことが男性と女性にも起きているって考えがある。それがsocialist feminismらしい。

以下、私が勝手に考えたことです。

女性の負担へのただ乗り

女性の体由来の負担って、だいたいは、妊娠出産に方向づけられた負担で、例えば生理痛があったり、生理痛がなくても、生理中は自分の体がちょっと違ってしまう。

生理用品も必要になる。生理用品は、一回の生理で、だいたい600円から1,000円ちょっとかかるのかな。それがずっとかかる。これを買わないと女性には外出する自由がなくなってしまう。

妊娠にまつわる負担は、母体の生死にかかわる負担、ケガ、病気などもいうまでもなくある。そして、働くときには、それが障害になるし、働けない期間が1年くらい出てしまう。働けない期間があることを忌避する企業は多いので、働けない間のお金がないだけじゃなくて、その後も安く買いたたかれる理由になる。

子供を持つのは男性も同じだけど、なぜか男性は休みを取らない。子供を持つことで、仕事上のハードルが増えないのが男性の特徴だ。

これは、男性が女性の負担にただ乗りしているだけじゃなくて、男性を雇っている企業も、女性を雇っている企業にただ乗りしているといえる。

女性の労働力は安いものってことにされている

だから、企業は女性を雇い控えようとしたり、安く雇ったりする。

だから、最低賃金の問題が起きる。昔は、最低賃金で雇う会社はあまりなかった。それ以上で雇っていたから。でも、女性は「扶養内で」働かせられるので、賃金が安く抑えられた。今は、女性がしていただろう仕事にも、男性が参入するようになったので、問題になっている。一人で自分自身を養っていた女性も、安く買いたたかれていたのだけど、その時には、このことは問題にならなかった。「問題にしてもらえる」のは、男性まで問題が波及してからだ。

企業内でも男女の雇用体系や給与体系が同じでも、理由をつけて安くする場合がある。このことをみんな知らないわけない。たまに知らないって人がいるんだけどなんで?知らないふりしているだけ?

給料が上がらないような部署に回すとかある。

女性の体ゆえに、女性は「何かを産みだす」役割を期待される。それで、女性は、妊娠出産以外にも、「子育て」「家事」もするように迫られる。出産以外は女性じゃなくてもできるんだけど。

出産家事育児を女性が負担しないと、社会はとても困る。社会っていうか男性が困る。この場合社会と男性がイコールで結べる。構造的に。

それを、自己責任でさせるっていうことは、資本家が労働者に労働を求めて余剰をかすめ取るのと被る。女性に対して、社会は最低限の負担しか負わないけれど、女性の産みだすもの(シャドウワーク。つまり、ケアワークや、子供、安くて高度な労働力)を手に入れることができるから。

社会は、女性の負担にただ乗りしている。

社会っていうか男性。

いろいろな形で女性はずっと働いているけれど、その働きはないがごとき。ダブルインカムでも、女性のほうが家事時間は長い。

それもただ乗りだ。女性が家事をしないと家が回らない、とみんなが考えているからこういうことが起きてしまう。

女性が我慢していることは、そのまま社会の資源になっている

女性の体にまつわる負担は、それがそのまま社会の資源になっている。負担を女性の責任にして、女性だけになんとかしろ、そして、何食わぬ顔をして男性と同じように働け、というのは、女性の負担に社会がただ乗りしているってこと。

人類の半分は女性なのに、女性の抱える原始的な問題が解決していないのは、社会の問題である。それを放置していたほうが、社会にとって楽なのだ。少子化は当然だと思うし、だれも無理に産む必要はないけれど、産む体、産むように作られているとみなされる「性質」が搾取されているのは公正じゃない。

それをどうすればいいかというと、社会が負担すればいい。

会社にマミートラックを本当に本気でやめさせるとか、健康面ではバックアップできなくても、健康を害しても、仕事からのけ者にされても、女性が安心して子供を産めるように金銭面で社会が負担するとか。自己責任にさせない。自己責任にさせることが、女性差別を温存させていると思う。

生理用品も国が負担するとか。国が生殖に介入するまずさはあるとしても、社会が本気を出して女性の抱える負担を減らせば、女性が資源であり続けることは減らせると思う。

女性が女性であることを理由とした搾取がなくなるといいなと思う。

それは、だれにとって得だとか利益があるとかじゃなくて、女性が、女性の体を持っているが故に結びつけられる不幸の減ることが、人間にとって人間にとって大切なことだと思うから。人類の半分が女性を資源化し、それにただ乗りしている世界っていうのは、良くない。

女性差別をなくすこと、それが人類の踏み出せない一歩なのだと思うから。

なかったことにしていたら、問題としてはなくなるけど、解決もされない

女性差別はなくなってない。なくなってないけど、なくなった、と思っている人は多い。学校で習ったから知ってますみたいな人もいるけれど。ちゃんと目を開けてみたら、そこかしらにへんなことはある。それを疑問に思うかどうかはセンスだけど。企業の偉い人や政治家がほとんど男なのは変だなとか、警察や司法の男女比が違うとかそういう風に思えるかどうか。

差別はありません、というのを今の社会で言うのはどういうことか。

女性が忍従していれば、表ざたにならず、それはなかったことになるってこと。

そういう意味では女性差別はなくなったといえるのかもしれません。とんちかよって思うけど素でそう思っている人はいる。でも、認識してないと解決もしない。

言葉を失うと、その言葉が持っている問題解決への道自体が絶たれてしまう。みんなが見ないふりをしたら、一見問題は見えなくなるけど、解決したわけじゃないから、やっぱり困る。そして、言葉がないので、困っていることが言えなくなる。

「認識しなかったら、それはないのと同じこと」とする考えが多い。だから考えない。自分が差別をしたと考えるのも、されたと考えるのも、問題を認識することは苦しいことなので、認識したくないという人が多いのはわかる。

社会が女性への不利益を許している

女性が一人で出歩くときに、緊張して気を付けなくてはならないことが男性よりも多いのは、女性に対する危害を社会が許容しているからだ。女性の体に対する医学が進歩していないのは、男性の体が中心に考えられていることが理由だ。地方での女性の進学率が低いのは、どうせ嫁に行くのだから、学があっても役に立たないと考えている人がいるからです。男と女、二人兄弟で、一人しか大学進学させられないのなら、男を選んで大学に進学させる家はまだまだあります。また、本人も、育つ過程で、勉強をしても意味がないと思い込まされている場合もあります。それも、社会の問題です。

女らしく、女のくせに、女の子でしょうという言葉は、たいてい、女の人を小さくかわいく優しくあるように求める言葉です。でしゃばってはならず、優秀であってはならず、でも気が利いていて、きれい好きで。女子力という言葉がわかりやすいでしょうか。それも、女性を資源化する言葉です。

労働力としてあてにするけれど、翼は与えない。

女性がそれに気づかないように、ちやほやはするけれど、女性が苦しんでいても、気にかけない。

もし、女性の苦しみを社会が気にかけているのだったら、生理から始まる女性の負担を軽減するようになっているはずだけれど、そうはなっていない。安全な水が人の権利であるように、生理用品も、女性が生きるために必需品なのだから、これも権利になっていてよいはず(だって血まみれで歩けないでしょう)。

これを書くと、男性の射精についていう人がいるけれど、一週間絶え間なく、射精が続いて、射精しながらじゃないと歩けない男性っています?いたらそれこそ生理用品を当てて歩くしかないのだと思うけれどどうでしょう。

生理用品は女性の外出する自由を守るものです。

実際、生理用品が不足しているために、学習機会を損失している子供のいる国って確かあったはず。

今の社会では、女性の体を持つというのはそうとう不利なことだ。

社会のバランスを変えよう

体を変えることはできないけれど、社会のバランスを変えるのはできるはずだ。

社会が、出産しない労働力を前提にしているから、女性が働くうえで不利になる。妊娠出産の時期があるから、実際に妊娠出産しないつもりでいても、女性の体を持っている限り、「結婚しますよね」「何歳で出産を予定しますか」と値踏みされて、安い労働力として買いたたかれる。

だから、それを雇う側にやめさせるだけでは十分ではなくて(雇う側を罰しても雇わなくなるだけだから)、社会でどんな風に負担するか考えていかないといけない。みんなが考えたらいい案が出ると思うんだけどどうでしょう。

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