わたしは傷つけているし、傷つけられている 発達障害のわたしと健常者のあなたの関係

「ごめんなさい、自閉症スペクトラムの人とは疲れる」というツイートを見かけたのだけど、そりゃ疲れるよな、と思った。

わたしだって、健常者と話すと疲れるもん。非言語コミュニケーションとやらとか、無意味なあいづちとか、ちょっとした笑顔の変化とか声のトーンとかそういうの、わかんないし読み取れないもん。

文章だって文字通りに読むから、文脈をとりきれていないからいちいち聞くから、そういうのうざったいと思う人だっていると思う。

でも逆に、健常者の人は、無意味に距離を詰めてこようとするし、無神経に、人のプライベート聞いてこようとするし、わたしには興味のないことを一方的にまくしたてたりするよね。
だからまあ、お互い様って感じているんだけど、わたしにとって一対多だけど、健常者にとっては、普通はこうなのに、あの人だけ違ってる、って思うから、腹もたつし、お互い様とはなかなか思えないのかもしれない。

本当は、同じ現象の裏表だよね。お互いにお互いを苦手だと思ってる。性質が違うから、お互い傷つけ合ってしまう。だから、苦手に思う。
だけど、ごめんなさいが入ると、同じ現象の、裏表ってことじゃ済まなくなってしまう。

わたしは、奇跡のように言語能力がすごくすごく高いから、もう、ほんと、美しいほど高いから、なんとかなってる(と思ってるし、まあまあ補っている)けど、そうじゃなかったら、無理だもん。そして、疲れるもの。

疲れるから、一日、十四時間くらいぐったり、眠ってしまうし、むやみに光や音の刺激に弱いから。

でも、健常者だって、わたしから見るとおかしいよね。どうして、こんなに言語能力と読解力がつたないのかって、思うことだって、ある。でも、それは、人間だから、弱い能力があるんだと思ってるよ。

わたしから見ると、この人、こんなに言語能力弱くて大丈夫?って思うよ。
それじゃ、自分の感情を言葉で整理できないから、ストレス貯まるよね、苦しいよね、と思う。
心配になるよ。

それは、大きなお世話なのだけれど、わたしは、自分のところを普通だと思っているから、でも、世の中に対して照らし合わせたら異質なところもあるとわかってもいるから、そういう感想になる。

今の基準だと言語能力がわたしより低いことは、障害の対象じゃないけど、もしも、わたしみたいな人間がマジョリティだったらと想像したら、わたし程度の言語能力がないひとは障害者手帳が配られて「この人は思ったことが正確に言えないので、汲み取ってあげなくてはいけません」と言われている可能性だって十分ある。

健常者は、ノンバーバルコミュニケーションにたよっているから、言語能力がそんなには重要じゃないし、育たないんだと思うけど、だから、わたしの意識では「汲み取って上げよう」という気持ちが強い。

昔は、縮こまって、「健常者さまにあわせなくてはいけない」と思っていたけど、今や、「ああ、わたしが大人になって差し上げなくては」と思ってる。

そしたら、わたしのことを「そのままでおもしろーい。説明がうまいし、ユーモアがある」と言ってくれる人が増えたよ。

「二十x歳って言われると五歳足したら、年齢ぴったりじゃんって思う!」とかね。「ああ、そう返せば良いんだ」とか言ってもらえる。

でもね、わたしは、自分で「勉強もできる」「言語能力高い」「タイピングが早い」というけど、それをたいしたことだと思ってないのも事実なんだ。
自分に当たり前にできることって、わざわざすごいって思わないからね。
後から手に入れた能力だったら別なんだろうけど。
だから、評価されても、肩をすくめて笑顔になって、ありがとうで終わりさ。
ただ、そう、でも、自分にはそういう能力があることは気をつけておこうと思う。
他人を傷つけないように。こんなこともできないのか、なんて、思わないように。

わたし以外の人はわたしにはできないことができるんだから。

わたしの言葉は矢のように鋭くて素朴で、相手のところをまっすぐに貫きにいく。

だから、人をぎょっとさせたり、人を傷つけたりする。痛いところもつく。

でも、逆に、健常者の人はあまりにも鈍いから、わたしのことを傷つける。
それって、同じ原因に起因した、同じ現象の裏表だよね。だから、わたしが小さくなる必要もないし、健常者の人が、遠慮して、「ごめんなさい」と言ってから、「自閉症スペクトラムの人は苦手だ」と言わなくて良い。ただ単に、「苦手だ」って思っていれば良い。
わたしも、あなたのことが苦手だと思ってるから、全然、大丈夫。

お互い合わないってことあるよね、それは全然不幸なことじゃない。それよりも、幸せなことなんだよ、と思う。
わたしたちは、お互い、相性の良い人と付き合う幸せがあって、選べて、そういう世の中で生きている。

わたしは、もっと学んでいけるし、そうしたら、相性の良い健常者の人たちの輪が広がると思うし、わたしにだって、苦手な自閉症スペクトラムの人はいるし、自閉症スペクトラムだからといって、同じ障害の人を全部受け入れているわけじゃないよ。同じだよ、全然。

わたしには不器用な面があるよ、あなたと同じように。
ただ、その特性が違うだけなんだ。

わたしは、なるべく自分の特性を理解して、例えば、矢のような言葉を、綺麗な包装紙に包んで、優しく手渡しするすべを学んでいくことができる、と思ってるよ。そうしたら、もっと、わたしの言葉が受け取ってもらえるかもしれないからね。
そして、世界が豊かになったら素晴らしいし、もっと、美しい景色を見ていけるかもしれない。
わたしは、広い世界を見たいんだ。そういう夢があるんだ。

でも、健常者のあなたは、どうかな?あなたは、自分の特性を理解して、わたしのことを傷つけないように、なにかしているかな?

そういう意味では、健常者の人は、あまりにも自分が正しいと思いすぎていて、そういう工夫をするチャンスが失われているよね。もったいないよね、そういうの、気の毒かもしれない。

本当は、健常者にももっと可能性が開かれているはずなんだ。そうしたら、健常者が苦手な、バーバルコミュニケーションが向上して、健常者の人生もより開かれたものになるはずなんだ。

異文化である、わたしと、健常者の人が衝突したときに、それは、お互いの人生をよりよいするものにする、チャンスであるってことを、忘れないでいたいよ。

だから、ごめんなさいは、いらないよ。
「ごめんなさい、自閉症スペクトラムの人とは疲れる」じゃなくて、
自閉症スペクトラムの人は疲れる」でいいよ。
ごめんなさいって、上から下に、拒絶しているニュアンスがあるでしょ。
でもね、そんなことしなくていいし、思わなくていいんだ。
あなたは上の立場じゃない。
あなただって、障害者予備軍なのだから。年を取って、体が衰えたら何かの障害を得るから、わたしたちはそれほど隔てられた存在じゃないよ。
わたしが、「健常者は疲れる」と言ったら、ああそうか、って感じになるでしょ。
ごめんなさいがつくと、単に性質同士の合わなさからくる疲れが、そうじゃなくなってしまう。差別が混じってしまう。そこには権力があって、選んでいるあなたが浮かんできてしまう。
それは、少し自意識過剰で、自意識過剰自体は恥ずかしいことではないけれど、他人を巻き込んでいるから、こうやって、文句を言われてしまう。

あなたはそれほど権力を持っていることに無自覚だけど、わたしは受け止めてあげてもいいよと思っているよ。

平気ですよ。
わたしも「健常者の人とは疲れる」と思っているから。

でも、関わりたいと思ってる。わたしは。


結婚願望?

一般の人は大変だなと思う。

結婚式に行かないと友だちじゃなくなってしまったり、ウエディングドレスを着たくて結婚したりする人がいたり、大変だなと思う。

祝福されるということが大切だということらしいけれど、そんなに他人に左右されることで幸せが変わってしまうのは、大変だと思うし、一般とか世間がなにしてくれるわけでもないと思う。

ウエディングドレスは、特別なもので、特別な場合でしか着られないらしいけれど、お金を払えば着られるんだから、特に考えなくて良いと思う。

結婚式に行かないくらいで消え失せる友情はなくて良いし、その方が楽だ。
結婚願望がある人と話しても、親が結婚しろと言っているからと言う理由が多くて、そういうのは、くだらないなあ、と思う。

結婚というのは、一日の生活が変わることだから、周りに左右されて結婚してしまったら、自分の人生が不満だらけになると思う。だから、自分で自分の人生は決めた方が良いと思う。

結婚願望がある人がしっかりしているわけではないし、結婚願望がなくても婚活しても良いと思う。
難しく考えて、動かないよりも、いろいろ動いていた方が、周りが見えて良いと思う。

結婚するのが、大多数だから、結婚のことを考えるとかも、別に大変だったらしなくても良い。

好きな人じゃなくても、つきあって楽しかったらそれで良いと思うし、好きじゃなくても、居心地が良ければ結婚すれば良いと思うし、好きでも結婚したくなければしなくていいと思う。
そんなの、どうでもいいし、考えるのはくだらないと思うから、そんな時間があれば、コンビニバイトすると700円くらい入ると思う。


わたしの愛想は時給制

わたしの愛想は時給制です。
愛想を振りまくのが仕事なので、仕事以外ではしたくないのです。
わたしの愛想には金銭的価値があるのです。そうすると無料ではしたくないのです。
高く止まっているというわけじゃないのですが、疲れるからいやだし、よけいな人に好かれるから面倒です。

今日もコンビニで、朝から酔っぱらいに二人にも絡まれました。

街コンでもそうだったのですが、気に入ったり、興味をもらった人にだけ愛想よくすれば良いと思います。
女の子たちは、誰に対しても愛想良く感じよく振る舞っていましたが、わたしはだるくてやってられませんでした。だいたいそういうのはトラブルの元になります。
言い寄られていい気分になっても、そもそも、こちらが興味を持たなかった相手に、言い寄られても別に良いことはありません。
そういうのがまだわからないのってばからしいなと思います。最初から結果が見えてるのに、予想して振る舞わないのはばからしいです。

わたしとて、気に入った人には愛想よくします。それは自然と愛想良くなるからです。そうでない相手に無理をしても結局良い結果にならないと思います。

わたしの街コンに一緒にいった友だちには、最終的に、軽トラさんとわたしとのデートをうらやましがられましたが、自分も行きたいところをちゃんというとか、そういう努力をしてなかったり、自分の気持ちに嘘をついていたりしたから良くないんだなあと内心あきれました。自分が、デートした相手とうまくいかないからって、いいなあはないよなあと思いました。
なんていうか、はずれくじ引いた気持ちなんだろうか、軽トラさんとだったら、自分はうまくいっていたと思っていたんだろうか。でも、軽トラさんはその人に気がなかったからうまくいかなかったと思います。めんどうくさいので、もう会わせません。

軽トラさんは良い人だし性格もいいし、ごはんを食べるとき必ずサラダを頼むし、手が汚れているからハンカチを渡すと遠慮するしとにかく可愛いです。

車が軽自動車だからいやだとか、聞いて鼻で笑っちゃいます。車と付き合うわけじゃないんだから。背が低くても、身長と付き合うわけじゃないですし、趣味と付き合うわけじゃないです。いくら、自分と共通のことを並べていっても、同じ人間になるわけじゃないです。話が合う、というのも、テンポが合うのであって、別に趣味が同じことを競うわけじゃないと思います。
友だちは、相手の人の車が軽自動車だということを言っていました。わたしはそんなのどうでもいい…と思いました。でも、気にする人は気にするんですね。
お互い高め合う人間関係だとかもちゃんちゃらおかしいです。そんなの居心地よくないです。

わたしは見た目が好きな人が好きだから、ハンサムかどうかは別にして、見ていて楽しい感じの人がいいです。背が高くて健康そうな人が好きです。これは好みだから仕方がないです。そこから、どんどん人となりを見ていって、ああ、嫌だなと思ったら我慢しないではなれるのが良いと思います。
そして、良いところがあったらどんどん見ていって口に出すと良いと思います。
軽トラさんは、わたしがコンビニで簡単にごはんを済ませたことがばれても「プリンは卵が入ってるし」とか「街コンで綺麗な人もたくさんいたけど印象に残らなかったよ」とか「誰かさんはボクのことを一番に書かなかったけど僕は書いたよ」「メイク今日は違うんだね」「髪がちがうね」とか言ってくれるのでいいです。

わたしも軽トラさんが時計が違ったり服が違ったり髪型が違ったら、気づくし、良いところがあったら褒めます。そういうのがうまくかみ合うと良いんだと思います。そういうときの愛想はただです。


音楽が聴ける日

Alex Boyeという人の歌声が柔らかくて素敵です。
女の子は、Loxi Walkerという人だそうです。
今日は調子がいいので、音楽を聴いています。この二つがすごく良かったので、気が向いたら買いたいと思います。

いろいろ書きたいことがあったような気がしますが眠ったら忘れました。

軽トラさんからはメールが来ました。

ルールズに凝り固まりすぎて、ちょっとでも違うことをすると不安になるので、ちょっと控えようと思います。


軽トラさんを予想する

明日はわたしの誕生日です。
楽しみです。

というのも、軽トラさんがわたしの誕生日を知っているからです。

軽トラさんは、わたしに薔薇が好きか三回聞いてきました。
その度に、「好きじゃない」と答えてきました。
「誕生日何が良いかなあ。薔薇好き?」「薔薇、好きじゃない」と答えたら、「何色が好き?」と返ってきました。こいつ、薔薇を送る気満々だ、と思いました。
次に、バラ園に行ったとき、「薔薇買わなくていいの?」と聞かれました。「欲しくないです」と答えたら、「またまたー」と返ってきました。
「薔薇、好き?」「嫌いじゃないけど、切り花は嫌い。首がくねってなるから」「?薔薇嫌いじゃないよね?嫌いだったら見に来ないもんね」「うんまあそうかも」「何色好き?」

「薔薇、好き?」「うんまあ、いいにおいするしね」「そうだよね!」ということで、きっと薔薇は送られてくると思います。嫌いだということは伝わっていません。
それとぬいぐるみがくると思います。
ぬいぐるみについては「妹がくれたのがひとつあるけど自分じゃ絶対に買わないし、邪魔だからほしくない」と言いましたが、全然聞いていない気配がしました。

マッサージ屋さんによると、「それは、薔薇を遠慮しているんだと思ってるね、薔薇を遠慮してかわいい、薔薇が好きなんだったらそれくらい買ってあげるから、心配しなくていいよ、って変換されて聞こえているね。拒絶なんて聞こえてないね。耳に変換機能がついてて、薔薇嬉しいに変わってるね」とのことでした。

でも、そんなことを思いながら、本当はプレゼントをもらえたら嬉しいです。にまにまします。
明日電話があるかな、ないかな、きっと悩んだあげく、しないということもありうる…。

誕生日を祝ってもらえるのは嬉しいことです。
楽しみです。

マッサージ屋さんで、デートの報告をしました。階段についての話題は、どうやら、軽トラさんの「俺は仕事できるんだぜ、一番うまいんだぜ」という自慢だった模様なのです。階段は家にひとつしかないので、手先が器用か全体が見えるかどうかで、仕上がりの美しさが違うらしいのです。
だから、まかされるということは、他の職人からも一目置かれているということだったらしいのです。
裏から見ても美しい階段を作ったり、微妙なずれが設計通りに作ってもうまくいかなかったり、手先が不器用な大工さんが作ると、汚くなってしまうけど、ボクは手が綺麗に作れる、という内容だったらしいのです。
マッサージ屋さんの解説がないとわかりません。

階段についてしきりに熱く語っていたのは、自慢だったようです。わかりにくいです。職人はずれているから、もてるとかもてないとかと、違う次元にいるんだ、というのがマッサージ屋さんの意見です。それと、デートのときに「二千円は高いから違う店にしよう」と言うのは、とても良いと思う、結婚してからもへんなお金の使い方をしない人だと思うし、あと、けっこう頑固な人だなと思うとのことでした。まともな人だけど頑固で、自分に自信があるから、柔軟でぶれないんだろうな、みたいな話です。

軽トラさんは初対面のときから、軽トラの話をしていたし、わたしが軽トラに本当に引いていないか、デートのたびに観察していたみたいです。それが、彼のふるいだったのだと思います。マッサージ屋さんもそうだと思うと言っていました。そこで、わたしが見栄っ張りか見てたんだろうし、全体の雰囲気はもうオッケーだったから、そこが最後に見るこだわりポイントだったんじゃないの?本人は、軽トラを恥ずかしがってないだろうし、コンプレックスに思ってないし、無駄なことが嫌いなだけだと思うよ、ただ、c71さんが、気にするかどうか知りたかったんだと思うよ、とのことでした。

軽トラさんは、まともな人で、言葉の端々から、まともさを感じて感動します。
いつも嬉しそうだし、楽しそうです。ストレスになることを注意深く避けている感じがします。もの柔らかだけど、頑固で、礼儀正しいです。
お肉を食べるときに、必ずサラダを頼むところがいいなあ、と思います。おかあさんに、お肉を食べるときにはお野菜を二倍食べる、と教わったのだろうと思います。
お店を選ぶときにも、自分を飾らないで、でも、わたしにごちそうできる範囲のお店を選んでくれます。わたしが提案することもあります。

わたしたちは、二回、相合い傘をして、二回手を少し触れただけです。この関係には、とてもドキドキします。

月曜日には、電話がかかってきて、「建前に呼ばれたから、行かないと行けなくなった。建前って言うのは、家を一生に一度建てるお祝いをするために、近所の人や大工さんを呼んでお祝いするんだけど。

本当は頼まれていなかったんだけど、相手は頼んでいるつもりで数に入れていて、それでも聞いていなかったから無理ですと言ったんだけど、かなり、強く言われてしまって。だから、予定よりも二時間遅れちゃうことになってしまった。ごめんね。ほんとにごめんね」

と、十分も謝られました。可愛いなあと思ってときめきました。

デートの終わりには、必ず、軽トラさんは「仕事が楽しい」という話題で締めくくります。家の近くの五分前から、わたしが「明日、朝、アルバイトの仕事いやだなあ」というからです。「でも、仕事好きでしょ?」と聞いてきて、「うん、好きかな」と答えると、「ボクも仕事好きだよ!c71さんも仕事好きに見えるよ!」というのです。

マッサージ屋さんによると「それは、c71さんのことを好きって言いたいと考えてるけど、まだ付き合ってないから言えないなーとか考えて、それで仕事のはなしにしてるんだよ、かわいいじゃないの」とのことです。

そして、車を近所のコンビニに止めると、「そういえばさ、来週の日曜日空いてる?」と聞いてきます。「二時までバイトだから、三時からなら空いてるけどどうする?」「うーんどうしよ」「まかせるよ」「うーん。三時、いや、四時にする、四時で」「わかった、四時ね、じゃあ、ありがと、今日は楽しかった、またね」といってわたしは車を降りて、信号をわたります。後ろを追い越すときに、軽トラさんはプッと鳴らして、わたしは手を大きく振って、別れます。

軽トラさんは髪を短く切って、精悍な感じになり、男前度があがっています。友だちが、うまくいっていないようで、軽トラさんのことをいいよねー、と言い始めているので、要注意です。

眼鏡がない軽トラさんをこの前初めて見ましたが、それもなかなかよいものでした。
目が小さいというのが、前回の感想でしたが、ものすごく小さいわけではなくて、普通、ということがわかりました。笑うと目尻にくしゃくしゃの皺ができます。そこがとてもキュートです。
今回は、黒い時計と、白いポロシャツとジーンズを合わせていました。白と青の組み合わせが好きみたいです。胸元にクマの刺繍がしてありました。

ルールズのことを話したら、マッサージ屋さんも、その本はけっこうまともなことを言っていると思うと言っていました。
自分からは電話をしない、電話はすぐに切る、重い話をしない、結婚の話題を出さない、自分の話ばかりをしない、などが書いてあると言うと、納得していました。確かに、とのことでした。

マッサージ屋さんによると、「c71さんはもう、見た目はオッケーで可愛いと思われてるよ。だから、デートに誘われるんだよ、じゃなきゃ、デート誘わないからね。見た目が気に入ってて、正確を知りたいってことなんだから、慎重でまともだし、デートの内容も、そつがなくて、考えているって感じで、お金あまりかからなくて、楽しめるところを選んでるよね。

ともだちがファミレスうらやましいって、言ったのは、ファミレスがうらやましいわけじゃなくて、ファミレスで三時間話が盛り上がるのがうらやましいんだと思うよ。

ファミレスとか、背伸びしていない感じの、でも、感じの明るい店を選ぶ感覚は良いと思うし、ジャンクフード食べにいかないのって、結構良い感じだね

感情の起伏が少ないのって、普通は体調がよっぽど万全じゃないとできないから、その人のそういうまともなところって、ほとんど変わらないと思うよ。こんなにまともな人は、貴重だと思うよ」みたいな話をしました。

「なんでもてないんですかね?」

「職人というのは、本当にずれていて、ずれまくっているから、もてるとかもてないとかそういうレベルを超えているんだよ。職人なのに、街コンに行くってそうとう文化の中では頑張っている方だと思う。ずれまくっている世界の中での変わり者だと思うよ。だから、本人は、自分がもてるとかもてないとか、そういう感覚ないと思うよ。がつがつしてないのは、単に地震があるからで、女慣れしているからじゃないと思うよ」という会話をしました。

マッサージ屋さんと、わたしとの中では、薔薇は確実にくるし、ぬいぐるみも避けられないということです。そして、それは気持ちだから、向こうは喜ぶと思って渡すのだから、喜んで受け取るしか選択肢は残っていない、とのことです。わたしは覚悟して薔薇を受け取ろうと思います。

薔薇が年齢の本数か、大きい薔薇三本と小さい薔薇二本の組み合わせになるのかは、軽トラさんのセンス次第なので、検討の余地があります。それと、ぬいぐるみは大きいクマになると予想されています。


正解か、不正解か

今日は、自分では意識していなかったのですが、外に出て、人と会ったら、「この話題と話し方は、正解か、不正解か」ということをとても考えてしまったので、調子が悪かったようです。調子が悪いと、コミュニケーション能力が、とても下がります。自閉症スペクトラムの症状が強く出ました。強く出た、ということを補足すると、普段、他の能力で補っていて嵩まししている部分が、むき出しになってしまった、ということです。

だから、とても不安になって、よけい手探りになって、時間差が生じて、言葉が遅れてしまって、相手をより不愉快にさせます。

自閉症スペクトラムの人は、「他人をどうでも良いと思っている」と思われがちですが、そうではないと思います。個人差はあると思いますが、他人がいることは知っていて、自分と違うことも理解しています。ただ、どうやって思いやればいいのか、そのポイントがわからず、ずれてしまうのです。
それは、そもそも、相手を観測する力が弱いこと、相手の要求していることを理解する力が弱いこと、インプット、アウトプット両方の力が弱いので、ずれてしまうのだと思います。

人の表情や、言葉以外のムードが全く読み取れなくて、のっぺらぼうと会話しているようでした。
顔があるのは、わかるのですが、そこにある目と口と眉の関係が、読み取れず、ただ茫洋と存在しているように感じました。
人間の、頭と体が切り離されて、そこの漂っているように見えるのです。そして、どこからか、声が聞こえてきます。それはその人から発しているのはわかりますが、その関係が、ビビットではありません。どこか漠然としていて、不安でした。

声の調子もわかりづらかったです。抑揚があるのは、わかるのですが、それが何を意味しているのかがわからないのです。明るいトーンなのか、暗いトーンなのか、もともとのその人の声質なのか、体調が悪いのか、機嫌が悪いのか、その原因がわたしにあるのか、それ以外なのか、さまざまな場合が考えられます。

深く考えれば考えるほど、消耗し、疲れます。

笑った顔になっていても、本心は、わたしと話すのがいやなのかもしれません。わたしが不愉快なことをしたかもしれないし、場にそぐわない、不適切な話題を選択していたかもしれません。
相手の考えることがまったくわからないときは、自分にとって、悪い方悪い方に考えてしまいます。

こういうときには、人に対して距離をとって、馴れ馴れしくしない方が良いのです。できるだけ、よそよそしく、礼儀正しくするくらいでちょうど良いのです。馴れ馴れしくして、気を悪くする人はいますが、無視しない範囲で、黙って、微笑んでいたら、たいていのことは大丈夫なはずです。

今日はほんとうに手探りでした。

一緒に働いている人の声の調子がわからなくて、冗談を言っているのか、怒っているのか、わたしに不満があるのか、職場に不満があるのか、わからなくて、あいまいに微笑んだり、目を丸くしたりして、過ごしました。

お客様が多く、キャンペーンで、同時多発的に仕事が発生して、ただでさえパニックになっているのに、お客様に、声が聞こえづらくて、イライラしている人がいたので、困りました。レジを打ち終わって、清算が終わって、おつりを出しているのに、六円を出して、何か言っているのです。わたしはなにが要求されているのか、わからなくて、戸惑っていました。
「二千円いただきましたが」
「この子かえてくれや。話にならん」という部分は聞こえました。
「六円出して、十円おつりくれればいいだろうが」と言われました。だから、そうしました。
どうして怒っているのかわからないので、悲しくなりました。

そのあと、ちょうどあがる時間だったので、他の人が明るい声で、あがって良いよ、おつかれさま、と言ってくれたので、それは、肯定的な響きだとわかって安心しました。それでもドキドキしました。

それから、バレエに行きました。友だちの先輩に、いろいろ話しかけましたが、よそよそしくされていると感じ、この前、しつこくしすぎただろうか、など考えました。大人は、笑顔でも、本当に笑顔の場合と、困っているから笑顔の場合と、怒っていて、放っておいてほしいから、笑顔になる場合があるので、難しいです。

正解か、不正解か考えだすと、見えない答えを考え続けることになるので、不毛です。
わたしの場合、現実的なのは、そういう兆候が見えてきたら、家に帰って、薬を飲んで、休むのが正解です。
調子が上がれば、対応する力も、もう少し増えることが多いからです。無難に、パターンで、礼儀正しく、やり過ごすことができます。そうでなくても、つらいことがあっても、気にしないように、はじき返す力があります。

今日は、目が見えず、耳も聞こえないように、人の表情や声のトーン、ムードがわかりませんでした。そして、そのことがつらく感じました。

目と鼻と口と手振りは、組み合わせによって、記号のように、無数の意味を生み出しますが、それがわたしには、まだ習っていない外国の文字のように読み取れないのです。
そして、その無数の文字は、逐次的に変化して、わたしに対応を要求し、適切な対応ができない場合、安全な世界から、真っ暗闇の奈落へ放り出そうとするのです。


犯罪被害にあって、入院したときのはなし

今日は、午前中のコンビニアルバイトを除いたら、仕事が休みでした。
やることもないので、疲れを取ろうと思って眠っていました。他にやることもないので、ツイッターで、わたしのブログを読んでくれた人の感想を求めてさまよい歩いていました。これは、良くない過ごし方だと思いましたが、一生に一度のことだと思うので、自分を許そうと思います。そんなに、神経を使わないような趣味を作らないといけません。革細工なんて良いかもしれないです。

わたしは、犯罪にあったあと、比較的すぐ、カウンセラーや、精神科にかかりました。
裁判所に犯罪専門の無料カウンセラーがあるというポスターが張ってあったからです。そこにも通いましたし、会社の近くの精神科に通いました。それは、仕事を休む必要があったからです。先生は、仕事は休んだら、復帰が難しいから無理にでも仕事はした方が良いと言いました。わたしは、今でもそれがどちらが良かったかわかりません。

仕事がなかったので、わたしは、暇でした。
なので、悪いことばかり考えました。本を読んだり、テレビを見たりする集中力もなく、ただ呆然としていました。
今でもテレビは見ることができません。テレビは、不意に音が大きくなったり、悲惨な映像やニュースが流れたりするので、その度にパニックが起きるからです。
家の近くのコンビニに、かろうじて、簡単な食べ物を買いに行って、暮らしました。
貯金が尽きた頃、事情を話して、親元に帰りました。会社は紆余曲折してやめました。
地元の付き合いのあった精神科にかかり直して、事情を告げたところ、「ボクの力では手に負えないので、専門家に任せた方が良い。入院しましょう」ということになりました。
入院先のベッドがあくまで二週間かかりました。
その間、わたしは、激しく泣いたり、家の中で暴れたり、外で叫んだりしていました。父を激しく責めました。部屋にこもりきりだったので、二番目のおかあさんは、気を使って、簡単な手伝いに誘ってくれました。
二番目のおかあさんは、かなり戸惑っていました。父は、「叫んだりは、やめられないのか…」といっていて、「早く入院できればいいね」と励ましてくれました。

入院先の先生は、女医さんで、かなりはきはきした先生でした。
わたしはもともといくつかの問題を抱えていました。
わたしは、不安発作とパニック発作がかなりひどく、病院内を歩くときに、男性とすれ違うだけで、悲鳴を上げて、座り込んでしまうありさまでした。

「恐怖経験をして、無意味にアドレナリンが出るから、疲れすぎてしまう。ものごとには、適正なバランスというものがあって、今はそれが極端になっているから、休憩だと思って、休みましょう。病気をするのにも疲れるから」とのことでした。

「入院するのは、怖いんだよね。怖かったんだよね?」と言われました。
わたしは正直に、「怖いです。どんなひとがいるのかもわからないし。とうとう本当に頭がおかしいということになるのだと思います。友だちにそう言われました」と言いました。
「それはずいぶんはっきりものごとをいう友だちだね。大丈夫。わたしはね、病棟の人たちが好きなんだ。少なくとも自分を偽ってはいないもの。わたしは、狂った人とか、キチガイとか、言うひともいるけれど、キチガイなんて病気はないからね。そういうのの病名をつけるのは私の仕事なの。そして、病名をつけたからっていて、良くなるわけじゃないから、わたしは病名をつけるのはあまり好きじゃないけれどね。

ここにいるのは、病気の人なの。わたしはね、世の中にキチガイの人なんて一人もいないと思ってるの。だって、キチガイって病気はないからね。ただ、野に放たれた人はいるかもね。自分の問題を認められないままの人がね。そういう人の方がわたしは怖いなあ。何をするかわからないものね。自分がどういう状況か認めてないわけだからね。

そういう野に放たれている人よりね、病気だってことを認めて、自分の病気と向き合って闘っている人の方が好きだし、安心できるの。世間の人には、変な人もたくさんいるし、無神経に人を傷つけても平気な人もたくさんいる。だけど、ここの病棟にいる人たちは、自分が悪いと思っている人がとても多いの。そして、そのことに向き合って、良くしようと戦っているの。だから好きなの。だから、大丈夫。あなたも、ここで、思う存分症状を出していっていいから」
と言ってくれました。

このとき、先生は、わたしの話し方から、自閉症スペクトラムであることを疑っていたらしいです。
事件の影響と、もともとの性質を知るために、心理の先生を中心に、テストを受けることにしました。

わたしは、先生の判断で個室に入りました。好きなだけ暴れたり叫んだりできるからです。夜眠れなかったり、昼間恐ろしくて眠ってしまったり、無理をして、決めた体操や日記を書いたりしすぎて、疲れすぎたりするペースを守れて助かりました。
わたしは、最初、食事のときのお盆を取りにいくことができませんでした。男性が怖かったからです。
男性とすれ違うたびに、ヒッと叫びそうになりました。
大声を出す男性の患者さんもいて、「おい」と呼びかけられただけで、泣いて座り込んだこともあります。

特別な治療は、なく、安静にすること、適度な運動をすることが、治療の主な内容でした。
けれど、ようやく安全なところに来られた安堵感は大きかったです。
看護師さんの中には、男性もいましたが、少しずつ慣れて行きました。
テレビは時々見られるようになりました。
NHK教育だけを見ました。ニュースがなく、音が静かで、毎日番組が決まっており、安心したからです。

一週間経つ頃、お茶会に呼ばれて、他の人と一緒になりました。親切にしてもらいました。ここで、周りの人と少しずつ関わりを持つようになりました。
わたしの世界が広がってきました。

そして、そこから、作業療法というものが、始まりました。手芸や工作、美術などを通して、治療をはかるというものです。これは、とても楽しみでした。毎日二時間だけすることができて、わたしは、人のいない午前中を狙って毎日通いました。この治療は、昼間起きること、集中力を取り戻すこと、自分にもできることがあること、手を動かしながら作業療法士さんと会話をすることが、治療の役に立ちました。

わたしは、最初編み物をしたり、シュシュを作ったり、布で、カチューシャを作ったりしました。
それから、女医さんと同じ靴が欲しかったので、革細工で、革の靴を作りたいと思い、作業療法士さんに相談しました。
「作ったことはないけれど、やってみましょう」と作業療法士さんは言ってくれました。
わたしには、作戦があって、作業療法室にある本の中に、革のスリッパの型紙があるので、それを使えば靴ができるのではないかと思ったのです。それをプレゼンテーションしました。
女医さんは、そのプロジェクトをおもしろがってくれ、時々、「おもしろいことやってるんだって?はじめてだって、Mが言ってたよ」とのぞきにきてくれました。

わたしは、型紙作りからはじめて、革の加工について学びました。型紙を作り、革を裁断し、穴をあけ、立体的に縫い付けること。靴の型がないので、難しかったですが、出来上がったときには、嬉しかったです。二十時間くらいで作りました。
Mさんはもと銀行員でした。わたしは、仕事を辞めて、これからどうしようか迷っていたので、Mさんと仕事を辞めたときどんな気持ちだったか聞きました。
「いつまでも女の子扱いされて、同期の人は出世して行くけれど、先がないのがわかっていたし、仕事にやりがいはあったけれど、楽しくはなかった。それで、九年やったからもういいかな、と思って、作業療法士になったの。新しく勉強するのは大変だったから、転業するのはすすめないよ。給料は下がって、運良く就職できて、でも、患者さんと毎日話しながら、作業をするのはすごく楽しいし、やりがいがあるから、もう二度と銀行には戻りたくないな」と言っていました。

患者さんはみな、甘えたがりで、何かあるとすぐ作業療法士さんを呼びます。そうするとMさんは嫌な顔せずに、嬉しそうに、はーいと返事をして、すぐに向かうのでした。

そのころから、リストカットで入院している子、摂食障害で入院している子と親しくなりました。
年は十歳くらい離れていましたが、その子たちはわたしに、年齢を感じなかったようで、分け隔てなく接してくれました。
彼女たちは、手芸をしながら、おしゃべりやうわさ話をしていました。わたしは、人と話すことが、とても疲れやすく、二時間も話すと、へろへろになってしまい、「ごめんね、もう倒れそう」といって、部屋に戻って休みました。
彼女たちは、お互いのペースがあることを知っているので、相手が戻っていたり、いつもと違っていても、気に留めません。とても楽だなあと思いました。

わたしは、そういう風にして、少しずつ世界への信頼を取り戻していったみたいです。

わたしは、二番目のおかあさんに対して、かなりわがままでした。じぶんがわがままだときづくことができなかったのです。やれ、スキムミルクを送ってほしい、スケッチブックを送ってほしい、するめいかを送ってほしいなどと言って、おかあさんのペースや忙しさを考えずに自分のことばかり言いました。今思うと恥ずかしいです。

他には、毎日日記を書き、この機会だから、自分の精神に起こることを全部書き留めて記録にして、いつか発表したい、と思っていました。それは、きっと世界の中の誰かの役に立つはずだし、一人の役に立てれば、それは希望だから、そうしようと決めていました。
その決まりごとに縛られすぎて、苦しくなったこともありますが、ずっと書いていました。
人生に一度しかない経験をしているのだから、しっかり取材しよう、と思っていました。
この経験は、必ず、誰かの役に立つし、少なくとも、家族にわたしのことを伝えることはできるから、絶対に記録に残そうと心に決めていました。
その張り合いが、治療に良い方向に進んだと思います。

一ヶ月くらいかけて、精神のテストが出てきました。わたしは、自閉症スペクトラムということでした。初めて聞く言葉に、わたしはきょとんとしていたと思います。それが、どういうことなのか、言葉の意味を知りませんでした。

「勉強で、困ったこと、ないですよね。うらやましいですよ」と心理の先生は言ってくれました。
「普通の会話や、ストレスがかかったり自分のことを主張しないといけないときの会話の傾向もおかしいことはないですが、対応がひとつしかなくて、自分が我慢するという方向だったり、一息つく、という選択肢がないのを今後気をつけると良いと思います」と言ってくれました。
わたしには、さまざまな能力があって、言葉やストーリに関する能力がかなり高いこと、言われたことをほとんど完全に記憶して、要約する能力があること、運動能力が少し低くて、不器用なことなどを説明されました。基本的には、悪いことはあまり言われなくて、良いことだけを褒められたので、わたしは気を良くしました。

「得意なことを伸ばそう。でも、自閉症スペクトラムだからって、これはできないと、引っ込み思案にはならないで、これは無理だと思わないで。失敗しても良いから、やりたいことからやっていこう。そして、まず、あなたは、なんでもいい、アルバイトでもなんでもいいから、とにかく仕事を見つけて働いてほしい。そうしないと、人間は心を病んでしまうものだから。人は、社会的な存在で、人と関わることで、発展してきたから、仕事を通してだったり、子育てを通してだったりして、社会と関わらないと病気になってしまうよ」
と女医さんは言いました。

わたしが、退院したのは、それからさらに一ヶ月後でした。

入院中に、中学生の子や高校生の子に、勉強を教えました。
今、つらいことを紙に書いて作文に書いてみて、と練習してもらったりしたところ、それがきっかけになって、ご家族と話せて、退院するきっかけになったこともありました。
病院内のお祭りに一緒に行ったり、売店で買い物をしたり、脱走劇を見守ったり、したのも良い思い出です。

わたしは、少しずつ回復して、退院をしたいと望むようになりました。

それは、暴力を通して、失われた、世界への信頼感の回復でした。
精神科病棟という小さな水槽の中で、自分の苦しみと向き合っている人たちとの生活を通して、わたしは、それを得たのです。

追記:これが流行ったときは二日で三万ビューでした。


議論系のおすすめ記事をまとめます

せっかく来ていただいたので、似たような傾向のおすすめ記事を張っておこうという知恵がわきましたので、やってみます。

52qt|note 自閉症スペクトラムの人の話

よかったらご覧ください。


今日の普通の日記

今日は、朝からコンビニバイトをしました。
睡眠薬が効かなくて、つらい思いをしましたが、三時間はだんだん早くすぎて行くようになっています。

昨日のデートはとても楽しかったのです。
思い出してにやにやしています。

ツイッターの通知がたくさん来るので、落ち着きません。たぶん、いろいろな人に読んでいただくのは良いことなのだと思います。今日は、一万二千の方が読んでくださいました。文章がうますぎるから、感情を揺さぶられてしまうという注意をした人や、嬉しいことに、エッセイストじゃないかと思ってくれたひともいるようです。褒められるとでれでれします。

今日は、リツイートしてくれた人が、どんな人なのか、知りたくて、ホームを見に行ったりしていました。普通じゃない、気持ち悪いことなのかもしれませんが、一生に、こんなにもたくさんの人が、わたしの文章を読んでくれる機会は、もうないと思うので、どんな人が読んでくださったのか、知りたかったのでした。

世の中には、自分の気持ちを文章にすることが苦手な人や、気持ちを表に出せない人もたくさんいるらしいです。
どうやら、そういう人の役に立てたようなのです。これは、とても嬉しいことです。

今日は、教える仕事もうまくいきました。
忙しくて、少しふらふらします。

でも、楽しいことばかり、一日ありました。
夜寝る前には、軽トラさんから電話もありました。日程の変更の電話で、少し残念ではあったけれど、それでも嬉しいものです。


ぶるぶるしています

昨日書いた記事が、一日で二万ビュー行き、ツイッターでもリツイートが400を超え、ファボもついて、フルフルしました。
昨日のデートで、スマホを置いて出て行ったので、帰宅したら、通知が尋常じゃないことになっており、すわ、炎上か?と思いました。

今日周りの人に聞いたところ、炎上ではなかったそうです。

それにしても、感想が、読まれた人全員の分を知ることができるわけじゃないので、ドキドキします。
昨日は手が震えていました。
どんな人が読んで、どんなことを思ったのか、さっぱりわかりません。
それもドキドキします。当たり前と言えば、当たり前なのですが。
普段から、炎上したり注目されていたりする人の胆力とはすごいものなのですね。

こんなことは初めてです。

最初、今日の午前中はすっかり静かだったので、「わたしにとっての大事件だったけれども、短い文章にまとめたのを、ネットはあっという間に消費するんだなあ」と思って、それはそれで、ショックでした。ショックを受けるのは理屈上おかしいですけど、ここまで注目を浴びるのは初めてなので、なんだか、頭がはじけそうな感覚になりました。

ホットエントリにもなるし、ブックマークもつくし、それも初めてに近いです。

ありがとうと言われてびっくりもしました。
わたしの書いたことで、すっきりしたり、腑に落ちたりしたそうです。
そんなこともあるのですね。

嬉しいような、怖いような、不安なような気持ちです。
感想があったら、教えてほしいです。読んでいただいてありがとうございました。