オズ はじめての戦い 感想、ネタばれしてる

だめな大人のためのだめなファンタジー。
だめさを貫いて、勝利を勝ち取っただめなハンサム、オズ。良いところは、調子の良さ、口のうまさ。下品で女好き。
(現実にいたらうざいけど、かわいいと思ってしまう)

そして、あらぶるだめ女=魔女たち!
君たちはもうちょっと男を見る目を養った方がいい!わたしもだけど!でも、どうせだまされるのならば、ハンサムの方がなんぼかいいよね!あと、優しくてだめなハンサムにだまされる方が、不細工でひどい意地悪にだまされるよりはいいよね、と思ってしまうような、つらい女には共感できてしまう恐ろしい映画。ちっとも子ども向けじゃない。

わたしは、魔女化して緑色になってしまった魔女に近い。とても近い。
振られたら魔女くらいになるよね。

良い魔女はすべてをかっさらう。なんて恐ろしいのでしょう。良い魔女こそ、我らの敵。
えろくて、かわいくて、完璧なブロンドの顔をひっぺはがしたい。
悪役の方に感情移入してしまう構造になってる。

わたしは、俳優にも映画監督にもあまり興味はないにわかな映画観客なので、わーきれいな映像と音楽!だらだらしていないカット!お金かかってる!ハンサム出てるわーい、くらいにしか、反応しません。そういうわたしにとっては、面白かったです。


うまくいっていることを数える

仕事はうまくいっている。

高い評価を得ている。完全成果主義なので、すごく楽だ。職場の雰囲気も悪くないし、お客さんに信頼もされている。

生徒さんの成長も面白い。同じことを繰り返しているようで、少しずつ違うのは、季節の移り変わりと同じような気がする。
今日嬉しかったことは、成績のふるわない生徒さんが、抽象化された文章から文意をくみとり、それを式に変えることができるとわかったことだ。
それと、図形の移動などの、空間把握能力も高いことがわかった。

朝起きることができる。

憎しみと呪いで頭がいっぱいになっても、仕事中はそのことを考えずに済む。その上お金がもらえる。

お化粧もうまくなってきた。服装もきちんとすることができている。
ちゃんとうまくいっていることもある。


感情を大切にすること

感情を大切にすることに意味がないと思ったことがあった。

そうしていたら、嫌だということを嫌だと気がつかなくなって、ずいぶん人権を踏みにじられた。

わたしは、そのために入院した。

今では、いろいろな感情が出る。

不安、焦り、恐怖から始まって、幸せを感じることも、わずかながら出てきた。
怒り、憎しみも大切だ。わたしを搾取しようとする人から身を守ることができる。

わたしは、自閉症スペクトラムという言葉を知ってから、ときどき「ああ、今、わたしは自閉症スペクトラムが高い台詞を言っているな」と気がつくようになった。
たとえば「あなたは子どもだね」と言われたときに「わたしは、成人している」と言い返してしまうようなときだ。
わたしは、そういうときに、泣いて、事実と違うと抗議してしまう。
もちろん、「あなたは子どもだね」の意味は「あなたは成人していない」という意味ではないし「あなたは成人しているとは思えないほど成熟していない」という意味とも違う。けれど、調子が悪いと、わたしは瞬間的にそれを認識することができない。

わたしは、嘘を嘘だと見抜くことができない。
相手が言ったことを、記憶して、時系列順に並べ、矛盾していることがあると、ようやく嘘だとわかることもあるが、今まで学習してきた事例で、「相手の気が変わるので言うことが変わる場合もある」ということもあったので、「嘘というわけではないのかもしれない」と思ってしまう。
わたしは、そういった面がある。
そういった面を利用されて、お金や、性をだまし取られてしまうことがある。

ただ、避ける方法が一つだけあると、教えてもらった。
それは、「心の中のアラーム」と、先生は呼んだ。

心の中で警報が鳴ったら、とにかくその場を離れること、と教えてもらった。

雰囲気を壊すかもしれないだとか、相手の気分を悪くさせることを恐れなくていい。とにかく、その場を離れること。そして、後で、大丈夫だったら戻ること。

わたしは、相手の欲求に笑顔であわせてしまう。それが、わたしが望んでいないことでも、わたしは自分のことを「へんだ」と思っているので、「相手の価値観が正しいはずだから、相手の欲求の方が社会的に正しいのだろう」と思って、合わせてしまう。そうして、搾取されてしまう。
その構図は、理解できるのだけど、実践できない。
わたしは、社会的に逸脱することや、他の人に、避けられることや、非難されること、おかしいと言われることが怖い。
それは、わたしがおかしいからだと思う。だから、おかしいことをばれないようにしないという気持ちがあって、そこをつけ込まれてしまうのだと思う。

わたしは、対人関係において、負の感情を大切にしようと思う。
疲れた、とか、会いたくない、とか、あの人は嫌いだ、とか。

ときどき、寂しくはなるけれど、搾取されるよりは多分良い。


プログラミングをしなくなって二年経った

よく考えてみると、プログラミングをしなくなって二年経った。

なんだか、とても悲しい。

頭が全然働かない。

わたしは口ばっかりの人間だなあという気がする。
勉強も進まない。
気持ちばかり焦る。

退院してから、半年もたっていないうちに、仕事についているのだから、結構よくやっている方だと他人事としてなら思うのだけど、自分のことだと許せない。

病気がひどい間は、本も読まなかったから、その頃に比べると、ずいぶん良くなっているという事実を忘れないようにして、やりたいことを少しずつやるようにしたいと思う。
そうでないと、病気に負けて、自分を見失ってしまう。
最低限は、仕事をして、お金を稼ぐこと。
お金を稼ぐことに、こんなに執着しているのは、プライドが、すごく傷つけられる出来事があったからで、わたしはそこから回復したい。

プログラミングは、わたしにとって、あまり向いた仕事ではなかった。

だけど、できるようになりたくて頑張った。
でも、好きになることはなかった。
好きになれれば良かった。


仕事がうまくいっていること

病気のせいで、あまり喜べないのだが、仕事はうまくいっている。

生徒さんはわたしのことを好きで、わたしのことを眺めながら「先生はきれいでかわいいですねえ。いい先生ですねえ」と言う。
わたしは、心の中で、「こんなにわたしはだめなのに、どうしてこの子は私を好きなのだろう」と思っている。

バレンタインデーにチョコレートを渡したとか、ホワイトデーにお返しが帰ってこなかっただとか、席替えで、好きな子が後ろの席になったとか、そういうおしゃべりの合間に勉強を教えている。

精神科医は「あなたの新しい仕事はいいですね」と言う。
「未来のために、働く仕事で。僕なんか、人の悩み聞くばっかりで、診察室に閉じ込められて人生が終わるって思うときがあるんですよ」と言う。
「勉強を教えて、その子の未来が、大きく変わることもある。それで、日本がいい方向に行くとも言える。毎日感謝されるような仕事をするということが、地に足の着いた生活ということですよ」と言う。

わたしは、全然喜べない。
とても疲れている。もっとお金を稼がないとだめだと思う。この仕事はお金を稼ぐのには向いていないような気もする。
自分がすり減っていくように感じる。それが働くということだろうか。
仕事を入れすぎて、疲れているのかもしれない。
春休みの間は、一時的に忙しい。


鬱がひどくなってきた

鬱がひどくなってきた。
理由はいくつかあって、仕事が忙しいことと、春になったからだ。木の芽時は調子が悪い。

仕事がうまくいっている。
喜べばいいことなのだけど、喜べない。
こんなに働いているのに、お金があまり良くないだとか、同じことを何度も違う生徒に教えているうちに、頭の中が混乱する。同じ時間を繰り返しているような気になる。罠にかけられたように、訳が分からなくなって、「この場所から出て行くことができない」という思いにとらわれてしまう。
働いていると旅行に行くこともできない。

人の目が気になる。いい仕事=(超大手企業)だとかに就いている人がうらやましくなる。
なんで、鬱になんかなってしまったんだろう。そうならなかった人がうらやましい。

お金の問題を考えると気が重くなる。
お金のことばかり考えてしまう。だけど、働きすぎると病気は悪くなる。しんどい。

人のために働くことだとか、人の役に立つ仕事だとかも、だんだん虚しくなる。
自分のしたいことってなんだったっけ。
ちょっと前には悩んでなかったことに悩むようになってきた。
したいことをするなんて、そんなに価値はないと思っていたばかりだったのだけど。
今は、お金を稼ぐことが何よりも正しい、善だと感じる。わたしにはそれができない。

考え方を変えれば、大手で働いている人は、すり切れるような気持ちになることもあるだろうし、歯車になることがいやだと思うこともあるだろうから、その人が仕合せだとは限らない。本人しかわからない。
結婚している女の人は勝ち組だという考え方もあるけれど、独身時代と違って、自分のことばかり考える訳に行かなくなって、つらくなる人もいると思う。

わたしは、外側から見て、冴えなくても、自分が仕合せだと感じられるようになれば、幸せになれるのだと思う。
病気が治れば、もっと違うお金儲けの方法も考えられるようになるのだと思う。
今は、考えられないけれど、病気が思考を狭くしているのだと思う。

病気で思考が狭くなっていることは感じる。だけど、そこが病気だけあって、頭の中を自由にすることができない。


すーちゃん まいちゃん さわ子さん 感想

すーちゃん まいちゃん さわ子さんを観た感想

ドキドキしながら観た。これを考えたひとはどれだけ自分以外のことを考えられるのだろうかと思った。すごいと思った。

人と人とのおずおずした距離がくすりとした。そして、胸がぎゅーっと苦しくなった。

さわ子さんのおばあちゃんにあいさつに行くところ、恋をすること、離れること、別れること、執着すること、嘘をつくこと、泣くこと。

明日も明後日も一人だろう、死ぬまで一人かもしれないと思う人生と、自分の名前を消す代わりに誰かの庇護下に入り、さらに誰かを庇護することのどちらかを選ぶこと。
そういう選択の前に立つことが女のひとには必ずある。それは、毎日の生活のなかでじわじわある。

わたしは仕事を辞めることがとても怖い。何が怖いかというと社会との接点を失うこと。
もちろん、旅行だってしたいし、いつも自由でいたい。そういう意味では、社会と関われれば仕事は辞めてもいい。お金があれば。自分を生きられなくなることが怖い。
でも誰かの世話をして、自分の名前を呼ばれなくなる人生はとても怖い。

三人ともかっこいい。仕事があるのがかっこいい。さわ子さんが診断書のことで、うんと言ってから、で、あなたは?と激高するシーンはかっこよすぎる。かっこよすぎるかもしれない。わたしはさわ子さんになれない。さわ子さんになれない自分が悲しい。
わたしは怒れないかもしれない。半笑いしてしまうかもしれない。

三人はどこか情けない。
恋人がいないとなんとなく情けない。だからか三人とも情けない。情けなさとかっこよさは両立する。三人はかっこよい女性でもあるし、情けなくもある。
そして、恋人ができてもやっぱり新しく情けない気持ちになる。
仕事があっても、頼りにされてても、やっぱり情けなくなって、泣く種になる。
それが嫌で、新しい決断をしても、新しい情けなさはやってくる。そして、古い情けなさが素晴らしいように、懐かしく思われる。

先の遠い未来を考えすぎて、心配しすぎて、今を決めすぎないことが大切というのが、メッセージだった。三人の友情より、一人でいることを受け入れることが、大事、みんな本当に大事なことを決めるとき、悲しいときは一人だった。ベタベタした友情はなかった。
生きていることを確かめあうことが嬉しいというような友情だった。

そういうことが描かれた映画だった。


進むも地獄、止まるも地獄

転勤妻の番組と高校生の決断についての番組と続けてみた。

わたしにはない人生の悩みでそれぞれ苦しんでいた。
転勤妻は、社会とか変われないことに悩んでいた。なんて苦しい悩みなのだろう。
自分を生きられないほど苦しいことはないのではないだろうか。
わたしはとても転勤妻の人生は歩めそうにない。歩めとも言われないのが幸いだ。

高校生は他人に迷惑をかけたくないと言い張る女の子が痛々しかった。

乾くんという男の子が、他人の言われるまま生きる人生に意味はない、他人に迷惑をかけて構わない、自分勝手でなにか困りますかといっていて、頼もしかった。

親のいう通り、親のことを喜ばしたいと思って、わたしはとうとう病気になってしまった。
これ以上の親不孝があるだろうか。
いう通りにならない子どもは、病気にならなかったらそれだけで親孝行だ。
わたしは親を恨み、憎んでとても苦しい。
それは、親のいう通りの人生を選んできた、わたしの選択の結果だ。

わたしは親のいう通りの人生を歩まないようにする。
遅くなったけど、幸せになりたい。
身内にはもう会いたくない。
わたしに親のことを押し付けて勝手に幸せになった妹のことが妬ましいし、苦しい。だから、妹にも会いたくない。不幸になってほしいと思う。そういう気持ちも苦しい。
昔、わたしに、姉ちゃんだって好きにすればいい、わたしだって、苦労してるんだと言われた。わたしはできなかった。
わたしは母の毎日の愚痴を聞く係りで、そこから逃げられなかった。かわいいからと言って、中学生になっても寝てるところをキスされたりして嫌だった。母はそういう人だった。

母の呪いと恨みの熱量はすさまじくて、わたしは燃え尽きてしまった。わたしは新しく恨みと妬みの権化と化している。

幸せになる日は来るのかと思う。こんな醜い思いを抱えては不可能なのだと思う。とても苦しい。


母親の記憶がほとんどなくなってきた

母親の記憶が日に日に薄れてきます。

どんどん消えてしまいます。

恐ろしいことです。
わたしは、母親にされたつらいことを、文章に書きたいと思っていたのですが、あまりに忘れるので、記録していられません。

それは、母親と会わない生活を手に入れたからです。
精神科医が、母親に会うとフラッシュバックが起きる、鬱になる、パニックになると、はっきり言ってくれたので、母親に会った方がいいという親族にも、はっきりとドクターストップがかかっていると言えました。
わたしは、母親の面倒をもう見なくていいのです。

それがわかってから、わたしの幸せ度はどんどんあがっています。
幸せになってから、母親の記憶がなくなってしまいました。
コートを買ってくれたことがあった、くらいしか思い出せません。
もう、思い出さなくていいと思います。

近しい人は、だんだん平気になるだろうから、そうしたら、会えば、と言いましたが、とてもそんな気にはなれません。
かわいそうな人だとは思いますが、だからといって、わたしは自分の身を危険にあわせたくないのです。
この気持ちは、当事者じゃないとわからないと思います。
会うことを考えただけで、心臓がぎゅっとなり、パニックが起こりそうになります。
涙が出そうになります。
薬が必要になります。
このまま、母がいたことも忘れたいです。


欲しいものがあると元気が出る

わたしは、お金のすばらしさを今までわかっていなかったと思います。
お金は本当にすばらしいです。

お金は欲しいものを手に入れるアイテムです。だから、お金があれば、自分の欲を満たすことができます。
そんな簡単なことに、なぜ気がつかなかったのでしょう。
お金は自由を買うことができます。

わたしは、そんな大事なものを人に預けてしまい、浪費されてしまいました。
わたしは病気で考える力がなかったのです。
その人は死んでしまえばいいと思います。

わたしは、欲が少なかったとき、生きる力も少なかったです。
欲しいものを口に出すことが許されていませんでした。
それは、母にジャッジされて、それはいるものだとか、いらないものだとか、母が判断しました。
それは良くないだとか。
だから、わたしは、母に隠れて買い物をするようになり、家の中に買ったものを隠しました。
それで、買ったという実感がないので、同じものを何度も買いました。

今は、わたしが欲しいものを買っても、肯定されます。
計画的に使うことをアドバイスされるだけです。

欲が少なかったとき、やりたいことがなく、昔を懐かしんで泣いてばかりいました。
今は、お金が欲しいです。お金があれば欲しいものが買えます。
だから、たくさん働きたいです。