社会通念は法として働く(#kutoo について)


法律で禁じられていないからそれは自由だ、という人がいるけれど、社会通念上それが正しいと認められていたら、それは時には法よりも強く働く。

パンプスが苦痛で、やめたいといったときに「好きにすればいいじゃん」と言えるのは、あなたが強い立場にいるからだ。

たいていの女性は、パンプスを履くかどうかを選べない。足の骨をゆがませたり折りたいと思う人ってどれだけいるだろう?だけど、パンプスを履きたいといったとき、それはへんなことじゃなくなる。

パンプスは好きだとか嫌いだとかで履くものじゃない。たまに、休日に、三時間だけ履きたい、というのと、職場や冠婚葬祭で求められて履くのではわけが違う。パンプスがそんなに素敵なものなら、男性が普段から履いているだろう。履いていないってことは、そういうことなんだよ。

ストラップありだとかなしだとかヒールがあるのだとかないだとか、開口部の大きさがどうだとか、そういうことで、靴は苦痛になる。

女性の文化として、それを自分を力づけるものとして、パンプスを履くことと、社会的に要請されて、履かなくてはならないことと、わけが違う。

坊主頭とスキンヘッドって違うでしょう?高校生が規則で坊主にされることと、強そうな男がスキンヘッドと刺青の取り合わせにしていることとは、表現しているものが逆だ。

それが、文化であり、抑圧か、自己表現か、の違い。

髪を長くした高校球児、女性の高校球児って、社会的通念上、いないことにされているんじゃない?それは法律で決められてはいないけれど、髪を肩まで長くした高校球児って、いたとしたら「ふさわしくない」といわれるんじゃなかろうか。

それと同じように、パンプスを履いていない女性というのも、場面によって、ふさわしくない扱いをされる。

私は、場違いな服装をしがちで、それがコンプレックスなのだけれど、葬式には黒いパンプスを履かなくてはいけないと知っている。会社の通勤でパンプスを強制されたこともある。他社の人が見たとき、どうか考えてください、だらしない会社だと思われたくはないでしょう?と言われた。これって、強制だよ。社内規定にないとかあるとか、法律で決められているとか決められていないとかじゃなくて、被雇用者が、会社にふさわしくないと言われたら、やめるしかないし、やめると生活ができなくなるんだから従うしかない。

社会通念を固めて文章にしたものが法律だから、社会通念を変えれば、法律が変わることはありうる。また、運用も変わることもありうる。

痴漢の話を混ぜちゃって恐縮だけれど、性犯罪の多くが無罪になるのは、社会的通念がどこかで「それくらいのことは見逃していいよ」と示しちゃっているからだ。だから、運用する裁判官や検察や警察が「まあこのくらいならいいか」と許しているんだ。もしも社会的通念、というか、世間、社会が、「絶対許さない」となったら、運用も変わるはずだ。

服装は、社会へのスタンスを示す。社会や、世間や、会社、帰属する組織にどれだけ恭順か、それとも反抗的かどうかも示す。

だから、それに抗えば抗うほど、圧力も強くなって、その場所にいられなくなる。

その場所にいられなくなるほどの「何か」って、それを強制と呼ばずして何と呼ぶのでしょう。

c71の著書

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社会通念は法として働く(#kutoo について)」への2件のフィードバック

  1. 初めまして、こんにちは。
    いつも興味深く読ませていただいています。

    ハイヒール問題について、私は当初さして違和感は感じませんでした。
    私自身、ハイヒールは苦手なのですが、ハイヒールを強要されるような職場で働いた経験がなかったこともあり、そういうものだと思っていました。
    モデルになるためには痩せていなければならない。
    女優になるためには化粧をしなければならない。
    などと言った、特定の職業に就くために強いられる、試練??条件??のようなものの延長だと考えていたからです。
    特定の職業に就くにあたって、身体的な条件が付随するケースはままあります。
    例えば、容姿がすぐれていなければアナウンサーにはなれないですし、身長がなければCAや警察官にもなれません。身長が高すぎたら競馬の騎手にもなれません。

    私は肌が弱く化粧も苦手です。一時顔の肌があれ、ファンデーションすら濡れない時がありました。それ以前に、かゆみのため日常生活にすら支障をきたしかけたほどです。
    そんな状態であっても、「せめて口紅だけでも」との上司の言葉に抵抗は感じたものの、当時の私は上手く反論できませんでした。

    ですが、改めて考えてみると、ハイヒールの場合は、低起用される職種のすそ野が広く、論理的な正当性がありません。「仕方がない」「そういうものだ」では済まされない問題なのだと気付かされました。

    男性の場合は、ハイヒールや化粧に代わる「スーツ」が反論として挙がりますが、スーツは体に害を及ぼしません。

    そういう意味でも、ハイヒールはやはり女性差別なのだな、とつくづく考えされられました。

    1. 靴を選べない状況の女性はいくらでも思いつくことができます。
      選べる人は、そもそも、好い状況にいる場合が多いと思います。
      弱い立場の女性が、靴を拒否できないので、そこを問題の始点として話すとよいかなと思っています。
      パンプスと革靴はイコールではありませんし、パンプスは三万円出してもしょせん消耗品です。一度買えば何年も持つ革靴とは、かかるお金持ちがいますし、革靴で骨が変形するほど痛むこともあまりないはずですから、比較する人もいますが、比較できないと思っています。

      何が女性差別なのか、考えれば考えるほど難しいことですが、やはり、不利益な取り扱いと言えるでしょう。

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