差別の濃淡と言葉の伝わらなさ

妊娠して二十九週となった。胎児の大きさは、1200gとなった。
昨日、昼間、パートナーと散歩していたら、老年の男性に、いきなり、足を引っかけられそうになった。
転んだら、もちろん、危険だ。
それに、そんなことをしてくる相手が、ほかに何をするかもわからない。
これは、単なる暴力の示唆にとどまらない。
女性差別や、ヘイト、暴力だ。
何もなくてよかった、とはいえない。
あったのだ。
わたしの、社会への、男性というものに対しての、信頼が壊れたのだ。

爺死ね、早く死ね、と叫びながら逃げて、交番で、事情を話した。警察官たちは、急いで現場に駆けつけてくれた。

妊娠しているのを見て、弱いから、やり返さないからと攻撃されたのだろう。

妊娠してからそういう目に遭ったことは初めてだが、女として生きてきて、暴行、性的暴行、性的嫌がらせは常に身近にあった。

痴漢に遭ったこともある、露出狂に遭ったこともある、後ろをつけられて、羽交い絞めにされ、連れ込まれそうになり、対抗したものの、左腕の神経を切断する羽目になったこともある。相手が持たざるものだと、民事裁判を起こしても、何も取り返せない。いずれにしても、社会に対する、無条件の信頼感というのは、失われる。

すれ違う時、相手が、わたしに何かをしてくるかもしれないこと、相手の考えが読み取れないことは、わたしに非常な緊張を強いる。

また、わたしは、障害者である。
わたしの障害は遺伝する性質のものである。ネット上では、遺伝性の病気や障害を持つものは、子供を産むべきではないという意見が散見される。それは、優生思想だが、一定の説得力を持って受け止められている。

障害にも、女性差別にも、濃淡がある。
わたしの障害は、かなり重い。しかし、障害者の当事者や、その家族から「あなたは恵まれている」「あなたの障害は軽い」などと言われることが多い。わたしの努力は目に見えない。そして、わたしが持っている能力は「ギフテッド」と呼ばれることもある。そういうものを持っている人には、「わたしの気持ちはわからない」と非難される。

実際には、わたしが活動できる時間は一日のうち合わせて三時間ほどで、その間に何もかもしている。本もほとんど読めない。テレビも見ることができない。調子が良い時に、ちょっとだけ、音楽を聴くことができる。でも、疲れてしまうからすぐに止めてもらう。
てんかんも起きる。過呼吸も起きる。フラッシュバックで暴れる。夜眠れない。昼起きていられない。躁と鬱の周期は、次第に短くなり、つまり悪化し、今では一日二日のスパンで、変わってしまう。十五年ほど、廃人のように生きながら、勉強を少しずつ進め、外界との接触をなるべくしてきた。体力が落ちすぎて、入浴しても、水圧に負けて、上がれなくなった時もある。床について長い間、筋肉が衰えて、一人で起きられなくなったこともある。今でも、一週間のうちのほとんどは、体が動かない。

それでも、人前では取り繕うためか、軽いといわれる。

わたしは、たとえば、デモに行くことが難しい。地方に住んでいること、女性であるために受けた暴力の結果、人の多いところに行くことができないため、金銭的な問題のため、体力の問題のため、精神疾患のため、行くことができない。

わたしの障害は双極性障害だけではなく、自閉スペクトラム症、適応障害、PTSD,気分障害、不安、そういったものが複合的に絡んでいて、自分の予定を立てることが難しい。

数年前、「数になるために国会議事堂前に行こう」「小さい差異については、無視して、大きな問題にともに立ち向かおう」という運動があった。わたしは、とても一緒にいけないと思った。

わたしは、まず、数ではない。わたしは、わたしだ。いろいろな困難を抱え、いろいろな喜びを抱え、わたしなりの考えのあるわたしだ。
地方に住んでいるから、夜に国会議事堂前には行けない。国会議事堂前に行かないことで、居心地の悪い思いをした。
ネットではそのことでもちきりだったから。そして、わたしは、人とかかわる手段がネットしかなかった。
だから、つらかった。自分が裏切り者のような気がした。

また、反差別や、社会運動について考えるとき、大きな問題について協力し合おう、といったとき、無視されるのは、わたしのような、複合的な問題を抱えて、周縁化した者たちだ。わたしたちは、常に、後回しにされる。
大きな問題は、もちろん、大切だろう。でも、反差別を訴えるときに、マジョリティを優先するという仕草は、結局のところ、差別者となんら変わりがないのではないかという疑念を払しょくすることができない。

数を増やすことは、戦いにとってもちろん、有効な手段だ。

一人一人によって、どんな差別の体験をしたかは違う。
それについて、語る言葉を、統一することは、「冷静にならないと聞いてあげない」という条件を付けて、結果的に、黙らせようとする差別者と発想が同じになる。

どのように、運動すればいいのか、わたしには今もわからない。
マイノリティの中で、さらに差別されるマイノリティの数はきっと多いだろう。
わたしたちは、言葉を同じくすることがとても難しいから、共感だけではとても乗り越えないから、そして、理屈だけでもとても乗り越えられないから、だから、わたしは、自分の言葉を、どこに届くのか知らないまま、発していくつもりだ。

わたしの小さな違和感を、わたしの小さな恐怖を、すりつぶされそうな人権を、守るためには、戦い続けなくてはならない。
そのためには、共闘を放り出しても、たった一人でも、言葉を尽くそう。

それが、わたしのできる、何かだと思うから。
子供のころ、わたしがほしかった、何かだと思うから。

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