アセクシャルの家族問題

Aちゃんはアセクシャルだ。
Aちゃんとかかわるようになってから、アセクシャルの家族問題について考えるようになった。

もちろん、セクシャリティにかかわらず、家族を持ちたい人もいるだろうし持ちたくない人もいるだろう。
持ちたい瞬間もあったり、やっぱりいらない、となることもあるだろう。

今、家族は恋愛を基本にして、出来上がることが多い。

でも、性欲を基本にしなくても、家族にはなれる。

たとえば、わたしはAちゃんに性欲はない。パートナーである六帖さんも、Aちゃんに対して、性欲はない。
だから、わたしたち三人は、家族としてやっていける。

もちろん、Aちゃんが嫌になれば、どんなことも選べる。

アセクシャルは、恋愛やセックスをしない。
でも、たとえば、ヘテロセクシャルや、同性愛者と家族になることも、実際にはできると思う。

わたしは、マッチョなロン毛の男とセックスをしたいと思っているけれど、そうした男性といい家族になれる気がまったくしない。

だから、もし、セックスしたくなってセックスしたとしても、家族は六帖さんと築いたままにする。

ポリアモリーの人の中には、人を所有したくないから絶対に結婚はしないという人もいる。一理ある。
でも、家族になることを所有と思わなければ、別に両立するんじゃないかと思っている。

アセクシャルの人が、一生を過ごす伴侶として、誰かを選ぶとして、その相手が、Aちゃんを性の対象にしなければ、家族になることは十分に可能だ。

セックスをする相手を外に求めることだって、本当は自由にしていいんだと思う。
セックスをしたい相手と暮らしたい相手は別だということだ。
それは、よく、男性が言う「女房は、抱けない、家族だから女として見れない」という戯言と違って、それぞれの性質に合わせた、家族の形があるべきだということだ。

法律上、結婚することはそれほど重要だとは思えない。国家の管理下になると、税金上優遇されたり、病院に行けたり、相続の問題がスムーズにいく。でも、逆に言えば結婚のメリットはそれだけなのだ。

結婚しても、離婚をして、家族が解散することはよくある。

だから、その時々に合わせて、自分にあった家族を選ぶことは大事だ。

セクシャリティで、家族をあきらめなくてもいいといいたい。家族がいらない人も尊重されるべきだ。

アセクシャルの人の孤独を、Aちゃんに出会うまで知らなかった。
でも、性欲なしの家族の可能性は、気が合う相手を見つけることができれば、きっとできるんだと思う。

実際、わたしたちは、今のところ、家族のようなものだと思っているしね。
恋愛至上主義からはじまる家族が破たんするのはよく見るんだから、恋愛なしの信頼感に結ばれた家族や居場所、一緒に時間を過ごす人が、そういう場所が、たくさんできるといいと思う。

人生は、冒険だ。実践しながら、切り開いていくことができる。

アセクシャルの人に関していうと、その人に対して、性欲が向かない相手となら、家族になれる。
気が合って、生活を共に出来さえすれば。

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