女性とは何かを考えているけど答えが出ない。

トランス女性は女性です、の件で、女性とは何だろうということを考えている。

女性とは何かって考えている。誰が誰を女性と決めることができるのかって。女性のカテゴリーを誰かが設定しないと、定義がなされないので、誰かを女性に加えようとしても、その誰かを女性だとは言えない。

そして、その設定の仕方にはいろいろな区分や階層があると思う。医療、生物学、法律。女性としてどんな経験をしたのか、普遍的な共通点があるか、生活の中でのこまごまとした経験、そういうものが複合的に合わさって「女性」って言えるんだと思う。どれか一つだけではない。

女性として社会からどう扱われて、どんな風に人格を形成していったのか、も影響が大きいと思う。

個人差もあるけれど、大まかな話で「男性にはこういう傾向がある」「女性にはこういう傾向がある」というのは、私には存在すると思っている。例えば、犯罪者の多くは男性だということとか。

そういう性質や傾向の中には、社会からの共通した取り扱いにさらされていたから、も大きくあると思っている。望まれた気質に迎合するためにその方向の特徴を伸ばしたり。

女性という言葉がなぜあるのか

トランス女性は女性です、って唱える人たちは、誰が女性なのか決める権利があると思っているんだし(思っていなかったらトランス女性は女性ですとは理屈上言えない)、なぜか自信がある。

そのなぜかって部分を考えると、恵まれているからってことなんじゃないかと思う。

恵まれてなんかないと言われるのが目に見えているけど。自信を持つことがいいことだと育てられた人と、控えめで穏やかなほうがいいと育てられた人とは、自信の持ち方が違う。

女性差別は、女性の身体への区別を発端としていると思うので、それを共通して経験するためには、女性の身体がいるんじゃないかと思う。そして、その経験なしに、女性差別について語れるのかって思う。いや、女性差別なんて経験しないほうがいいんだけど、女性という言葉の機能がどう働くのかを後で書くんだけど、それを考えると、「女性」という言葉は差別と切り離せないので、差別する側なのかされる側なのかは大きな問題だと思う。

女性差別を受けていない人を、女性って呼べるかって。うまく言えないんだけど、同じ仲間になれるのか?って思う。今まで、攻撃する側の集団に属していた人が、こっちに来れるかっていうと、そして、受け入れろって言われても難しい。

これ、差別されていることをアイデンティティにしていると受け取られるとすごく困るんだけど、そうじゃなくて、女性という言葉がなんのためにあって、どんな機能を期待されているかを考えたい。

女性という言葉が機能する場として、医療の側面、法的な側面がまずある。

妊娠出産する性、という意味もある。ケアする側、だとかいろいろあると思う。

そして、男性からすると、差別対象を選別するための言葉なんだと思う。

女性からすると、差別にあらがうための言葉なんだ。

だから、女性ってカテゴリに男性の身体を持つ人が入ってくると、すごくそれは困る。

それは、自分の被害者性を失うのが嫌だからなんだと揚げ足取りをされそうな気がするんだけど、抵抗するためには、言葉が必要でしょう。でも、その言葉があいまいになってしまうと、現実がぐにゃぐにゃになって、誰からの加害をさけたいのか、わからなくなっちゃう。女性というカテゴリの中に男性を含めるようになったら、「女性」が「男性」から加害を受けた、って言ったときに、だれがどんな風に加害したのかわからなくなる。

だから、誰が女性でだれが男性かは私にとってとても重要なんだ。

誰が女性かを決める誰かには権力があり、私にはない

「誰が」「誰を」女性かを決めるのって、とても権力が関係する。

社会の設計をする、ってことだから、権力が発生する。そして、その規定した集団のことをこう扱うっていうのを含めて名付けるわけだから、とても怖い話。

自分たちで自分の名前を決めたいのに、上から降ってきたルールを受け入れるのは無理。

そして、私は「誰を」の決められる部分に入るけど「誰が」の人、つまり決める側にはなれないのがわかっている。

女性は女性のことを決める権利がある。私にも権利がある。

でも、権利がないみたいに言われる。

例えば、私とトランス女性とは、生まれてから今までの経験が違う。

だから、私(たち)とどう違うのか、話し合って歩み寄らないといけないんだけど、トランス女性は女性ですの言葉にその歩み寄りはなくて、性自認があれば女性です、になってしまう。でも、わからないものを女性ですね、と受け入れられるのかというとそれは難しい。やっぱり。

私は、トランス女性(それがどのような人たちを指すのか、アンブレラタームだからあいまいだけど)が、実際に女性差別を受けて、そして、生まれつきの女性がどんな風に生きてこざるを得なかったのか、その痛みを引き受けて、思いをはせてくれるのなら、歩み寄れると思う。女性の定義も、トランス女性の定義も、あいまいだという意味で、まだわからない。だから、わからないものをわからないまま、同じだとか違うとか言えないと思う。

わからないことがたくさんある。ゆっくり考えたい。

c71の著書

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