障害が嫌なんじゃない

障害について描かれた漫画を読んだ。

障害や精神疾患を持っている人を、自嘲とはいえ「失敗作」と言ったり、「メンヘラ」と言ったりしていたことが気になった。

そして、健全な家庭に育った人には、虐待された人は理解されないのだ、ということも気になった。読んでて嫌だった。読まなきゃいいんだけど、読んでしまった。

「お母さんになる人へ。あまり厳しくしないでほしい」というメッセージがあったが、これから母になるわたしにとって、やはり、嫌な気持ちになった。

わたしだけが子育てをするわけじゃない。父親にも責任がある。そのほか、子供にかかわるすべての人にも責任がある。

 

ADHDをメンヘラ、といったことに反発があったが、それはあまり問題ではない。

先天的だ、脳疾患だ、だから、メンヘラじゃない、という言い方は、精神疾患とは違うのだ、ということに対して、字義通りのことを求めているというよりも、「精神疾患ではない、精神病ではない」という差別意識を感じた。もちろん、悪意はないのだろうけれど。悪意がなければ差別ではない、というわけじゃないのだ。

 

 

わたしは、障害を持っていること自体は嫌じゃない。それに伴った不便さが嫌だ。

その不便さは、軽減することができる。社会的にかかわる人間を厳選し、支援を受けることで、かなりのストレスを減らせることができる。

わたしの持つ、主な病気である、双極性障害も、自閉スペクトラム症も、治らない。

だからといって、それが脳疾患だろうと、精神病であろうと、どうでもいい。精神病のほとんどが、脳の機能がうまくいっていないから起こるものだ。

 

わたしの家は、健康的な家庭ではなかった。でも、同じような境遇の人が理解してくれたわけじゃない。人による。余裕のある、健康的な家庭に育った人が、思いやりを示してくれたこともしばしばある。

個人的には、余裕のない人と人が不幸な話をしていても、わたしは笑うことができない。人による。

だから、きれいごとを言わないでおけば、同じ境遇の人にしか話せない、というのは、本当に個人的な話なんだと思う。それでいいのだ、もちろん、あの漫画は、個人的なことを、内輪のノリを正直に書いたものだろうから。

ただ、同じように、わたしも、あの漫画を読んで、どう思ったかを、書くことは許されるはずだ。

いやだったら読まなかったらいい、というのは、お互い様。

相手に伝える必要はない。

わたしは、障害が原因で不利益をこうむっている。でも、生きづらい、という言葉を忌避する。

わたしは、生きづらいといわれたくない。そんな、人をさげすむ言葉を自分に使いたくない。

わたしには、生きる上で、困難がある。それを乗り越える工夫をする。戦う。

そういう言葉遣いを選ぶ。

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戦い方を教えたい

子供には、戦い方を教えたいと思っている。
二つの戦うための方法がある。
知識を得るための方法を教えること。イエス、ノーを主張すること。
この二つが大事だ。

高校生は、中学生時代、暗記科目だった理科を、どうしてそうなるのかを学ぶようになる。
たくさんの科目を知ることについて、批判もあるけれど、いろいろな知らなかった分野について触れる機会を与えることは大事だ。
思い込みで、嫌いだと思っていたことを好きになる可能性もある。職業の可能性も広がる。
聞いているだけだったとしても、忘れたとしても、勉強の仕方を知っていたら、新しいことや知らないことを学びたいとき、ためらわなくて済む。
自信がないからあきらめる子供が多い。

理系の職業に就きたい女の子がいる。わたしの就職活動をしていた時、エンジニアとしては、おんなだからと言われて、とってもらえなかった。
今はどうなのかわからない。

女の子に対して、どうせ報われない社会なのだから、がんばるよりも、ほどほどにしておいて、適当にしたほうがいいとうっすらと思いながら指導する大人がいる。
それも、きっと、生き方としてはあるのだろう。
でも、心が死んでしまうことを、みんな確かに知っている。
がんばれと背中を押してもらいたい女の子も多い。だから、わたしは、面白いよ、勉強は楽しいよ、という。
生徒さんは、新しいことを知ったり、世界を深く知ること自体は、なぜかわからないけど、楽しい、と言ってくれる。

女の子が怒ることを妨げる文化もある。
嫌なものは嫌だと言っておいたほうがいいと、わたしはいう。
嘘をついて、自分をごまかして、いい人ぶって、敵を作らなかったとしても、ふとした時に本音を漏らしたら、「裏切られた」と言ってくる人は多い。
だから、それよりは普段から怒るときは怒って、嫌なことは嫌だということを、大事にしたほうが、敵は多くなるけれど、気の合う友達はできやすい、ということも、わたしは言う。

権利を国に対して主張することは義務だという話もする。

知識と行動があれば、戦いやすくなる。
知識がなくても、心があればもちろん戦える。
戦い方を教えたい。

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個人的工夫だけでは、社会的構造による不利益は解決されない #最低賃金1500円

出産を機に、仕事を辞めざるを得ない人の話をしたら、「公務員になればよかったのにね」と言われた。
そういうことじゃない。

社会的な仕組みによって、それまで働くことができた人が、妊娠、出産をする、という人としてのライフステージの変化によって、仕事を奪われる。または、労働力を安くたたかれる、という問題について話したかった。
もちろん、個人的に、公務員になることで、それを回避することができる人はいるだろう。
それは全然否定しない。
でも、公務員に向かない人や、やりたくない人、民間で働きたい人、いろいろいる。
わたしは、きっと公務員には向かなかった。だから、していない。
出産するとは限らないのに、人生をそれにかけて、チューニングできない。
やりたいことをしたい。

個人的にこうすればよかったのに、というアイディアは無数に出される。しかし、それは、実現したくないことだったり、考慮した結果、却下されたものだったりする。

性犯罪についての自衛についてもそうだし、男女の給与差についてもそうだ。賃金が低かったら、努力すればいいのに、自分からフリーターを選んだんだろう、という人もいる。

しかし、労働力の質と、賃金は、必ずしも、比例しない。たとえば、コンビニ店員は、高度なスキルを必要とするが、低賃金だ。
それを選ばなければいいのに、という人もいるだろうが、それしか選べない場合もある。

人が、生活することができない賃金が温存されているのは、男性が稼ぎ、女性が嫁ぎ、養われるのが前提の社会だったからだ。
しかし、今は、結婚して養われている女性だけではなく、一人で暮らしている女性や、男性も、その賃金で働かされている。

バブル世代と呼ばれているのは、今の五十代後半の世代だ。それ以下の世代は、就職難もいいところで、努力しようが何しようが、どうしても、正社員には雇われなかった。
それは、バブル崩壊後、人を正社員で雇わず、安い賃金で、非正規雇用を増やすことで、企業が生き残りを図ろうとしたためだ。
それを国はバックアップした。
だから、本来、派遣というのは、特定の技術を持った人たちに限られていたものが、どんな職業にも当てはまるようになった。
そして、五割以上のピンハネをされる仕事を選ばざるを得ない人が増えた。
確かに、どんな不況でも、正社員で雇われる人はいるだろう。でも、全員が、そうじゃない。そうじゃない人の割合が多すぎるので、人材が育たなかった。人にお金をかけなかったので、人材が不足している。

これは、国策の問題であり、社会構造の問題だ。個人の努力で生き延びるためにサバイブすることは、もちろん賞賛に値するが、その努力が実らなかった人を非難する理由にはならない。

国は、国民を、文化的な生活をさせる義務がある。その義務を放棄して、今に至る。

デモをする人について、やるべきことをやらないで、怠けて、権利だけをむさぼろうとすると非難する人がいるが、義務を放棄したのは国や社会だ。そして、人権は、義務を果たさなくても、最初からあるものだ。

最低賃金でいくら働いても、もちろん、最低限度の文化的生活を送ることはできない。
だから、それは国の責任で是正する必要がある。その自覚を国がまだ持たないので、気づかせるため、政治活動が必要なのだ。

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アスペルガーには感情がないという誤解

ツイッターで、アスペルガーの人には感情がないから、人の気持ちを理解させることは酷でしょう、という内容のツイートを読んだ。
とんでもない誤解で、わたしは悲しくなった。
わたしは、アスペルガーの領域にはないから、厳密には当事者ではない。
でも、ASDではあるから、一応言っておきたい。もちろん、わたしのブログを読む人にはそんな誤解をしている人はそもそもいないだろうけれど。

わたしには、感情がある。怒りも、悲しみも、喜びも、楽しさもある。
心はある。動く。相手の気持ちもわかるつもりだ。ただ、それが正解かどうか、確かめるすべはないと思っている。だから、間違っているんじゃないかといつも不安だ。

相手の気持ちを読んでも、相手の気持ちの欲している通りの行動をとる必然性がないから、相手の要求には従わないことが多い。思い通りにならない。
相手が怒っているかなどの、ムードは理解できる。力関係もあるのだなと想像はできる。
でも、相手の思い通りの行動をとることはない。
それゆえ、結果的に、相手の気持ちがわからないと思われているのだろうと思う。

実際、人間が複数いたときの、力関係を読み切ることもできない。そして、言外の意味をとらえることもかなり難しい。
端的に言われないとわからない。言葉の裏を読み取れない。場面によって変わる意味が多い時には、かなり疲労する。
だから、わたしは、相手が言ったことを、こういう意味ですかと確認することが多い。そうやって、工夫をしている。

もう一つ、わたしは、自分が困っていることを把握したり自覚したりすることが苦手だ。
寒いな、と思っても、我慢するという感覚もなく、もう一枚服を着ようという発想が出ない。
生きることが難しいので、それが当たり前すぎるので、工夫をするという発想が出ない。
だから、困っていることを、解決するために、調べたり相談するという過程が存在しにくい。
よっぽど困ったら、困ったといえるけれど、たいていは、困っているという自覚がない。相当事態が悪化してから、ようやく、どうにかしないといけないのかもしれない、と思う程度だ。

だから、わたしのこうした行動を見て、困っているという感覚がない、寒さも感じないのかもしれない、と思う人がいるのだろうと思う。寒さは、たとえなのだけれど、反応しないから、感じない、感じないということは、心がないのだ、という風に解釈されがちなのだろうかと思う。

今は、早期発見、早期療育が主流だ。
わたしは、もちろん、大人になってから発見されたものなので、それがどれだけ有効なのかわからない。
ただ、最近、療育も、ほかの人たちとなじむことを目的とされているのならば、それがどれだけ、当事者を幸せにできるのか、その視点で考えると、早期発見が必要なのかどうか、疑問になってきた。

わたしは、発見が遅れたから、二次障害が起きた。いろいろつらい目にもあった。
避けられることのできた、悲しい出来事も多かった。だから、早期発見、早期療育を受けられる人がうらやましかった。
でも、今は、早期発見、早期療育ではなくても、いいんじゃないかと思っている。
生存バイアスかもしれないけれど、それもひっくるめて、わたしだし。
早期療育に追い詰められている人もいるようだから、それくらいなら、時間をおいてから、どうにか工夫を考えることでも遅くないと思う。
どんな人生でも、先回りされすぎると、生きている感覚を失いがちだ。
以前、発達障害の子供を持つ人が、それを認めるのがいやだ、と言っていた。
そのときは、発達障害を認めるのがなぜ嫌なのか、それは別に不幸なことじゃないのにと思った。
でも、今は、少し変わった。別に不幸なことじゃないと思う気持ちは変わらないけれど、認めにくい人がいるなら、その人のペースに合わせて、その人が認められるようになるまで待って、それからみんなが手伝えばいいんじゃないかと。早期療育が大切だからと、焦らせたり、認めないことが悪だと思うから、追い詰められる親御さんがいるのかもしれないと思うようになった。

発達障害でも、幸せになれる。
もちろん、わたしが思い描いた、未来に今いない。わたしの夢は叶わなかった。
でも、妥協した未来は、結構幸せだ。
できる範囲のことをしている、そういうことを、自分で受け入れられるようになるまで、苦しかった。今だって、苦しい。
起きなければよかったたくさんのことさえなければ、夢が叶ったかもしれないと何度も思う。ずっと思う。
でも、その苦しさと、今幸せであることは、両立する。

生徒を教えていると、能力よりも、人としての成熟が、その人の進路に深くかかわることを何度も教えられる。
能力があるはずなのに、伸びない生徒もいる。能力が人より劣っているはずなのに、できることが増えていく生徒もいる。
外から見たら、もともとの能力は見えない。できることで評価される。能力って何だろうと思わされる。
この子はできないと見放された子を何度も教えた。でも、学ぶことの楽しさを伝えると、自分で、人生を切り開ける子供のほうが多い。わたしは、手伝うことしかできないけれど、自分の意思で、人生を切り開いていく子供には頼もしさを感じる。

いろいろな偏見がある。偏見は、人の範囲を規定してしまう。チャレンジするための気力を奪う。

発達障害だから、能力に凸凹があるから、女の子だから、男の子だから、あれはできない、これはできない、というのではなくて、それぞれがしたいことを援助することが、幸せを導くはずだ。
だから、アスペルガーには感情がないなんて、言わないでほしい。
アスペルガーにも、発達障害にも、幸せはある。
どんな人にも幸せはある。

アスペルガーには、感情がないから、人の気持ちはわからない、というのは、偏見であり、誤解だ。
そういった誤解が、いろいろな人を、当事者だけでなく、それに関わる人を苦しめる。
その偏見を先に摂取してしまった人は、発達障害を認めることが難しくなるだろう。
人の助けを借りてはいけない、ということも、難しくなるだろう。

人が自分の能力を花開かせるためには、偏見や、抑圧から、差別からも、解き放たれている必要がある。
小さな、一つの誤解を減らすことで、人の可能性が増えていく。

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日本の慣習、謙譲語

今日は英会話に行った。講師が、「謙譲語は難しい」というので、わたしはこういう風に言った。
kenjougo keep to control power.
old mens need to kenjogo.
old mens can control young people and woman.
kenjogo force lower yourself.
we lost power, when we talk kenjougo.
I can allow sonkeigo because we can show I dont hate you.
but kenjougo keep bad japanese custom.
間違った英語も言っていると思うけど、こんな感じのことを言った。
英会話は、何を話したいのかが大事だ。流ちょうな人がいても、話したいことのコアが分からないと、聞いていてつらい。

謙譲語は、自分を低くすることで、相手を高める言葉だから、権力者によって、わたしたちの力は奪われる。
男性たちの権力を維持するために使われることがほとんどだ。
謙譲語を代表とする日本の慣習のほとんどは、若い人や、女性を抑圧するために存在している。
尊敬語は、相手に敵意がないことを伝えることができるから、わたしはそれは許せる。
でも、謙譲語は、身分差を意識させるための言葉だから、わたしは好きじゃない。
というような話をした。

それと、中国やアメリカは、男性と女性に差をつけることに対して、きちんと考えている。公平さを保とうとしているから、発展しているのではないか、ということを話した。

日本語には、ルールがある。そのルールは、態度を規制するものが多い。上座や、下座、かしこまった様式、そういったものを維持するための一端として、ある。
言葉の意味をきっちり読み取ることよりも、どんなムードなのか、読み取らせて、その後、適切な相手の望む態度をとれる鎌でも、ジャッジされる。
気を使わせることで、どれだけ服従しているのかを、いつも、見られている。

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妊娠初期の労働問題

日本では、妊娠初期では産休が取れない。

わたしは生理が遅れるよりも前に、検査薬が反応するよりも前に、つまり超初期から、つわりがあった。
つねに、二日酔いと、食中毒になっているような感じで、縦になっても横になってもいつも気持ち悪い。
しょっちゅう吐いていたが、吐いたからと言って、すっきりすることはない。
ただ、寝ているときだけ少し楽になる。

今は、六か月だけれど、いまだに体重が増加していない。結局、今も、食べられない。
体重コントロールをしないでいいのは楽だけれど。

それでも、妊娠初期よりは楽だ。
わたしは、妊娠初期の間、仕事を休ませてもらっていた。代わりに、六帖さんが塾で働いてくれた。
上司の奥さんが、流産したことがあるため、上司に理解があったから、そういう風にしてもらえた。
そして、安定期になって、楽になったので、働きに出ている。軽作業なので、してたほうが、気がまぎれる。
妊婦で、閉じこもっていると、鬱気味になる人もいるようだ。わたしはもともと躁鬱だから、鬱が深まっただけだけど。

生徒さんは、わたしの丸い大きなおなかを見て、興味津々だ。だから、いろんなことを話す。彼女たちも知っておいたほうがいいことがある。
進路を選ぶこと。それが、一生続けられるとは限らないこと。合わないから、ならいいけれど、出産という、どうしようもないことで、人生が変わってしまうということ。やりたいことをあきらめるかどうか考える時が来ること。

女が出産しなければ、人間は増えない。でも、女が働きやすいように、人々は考えない。女が生きやすいようにはしない。女として生まれてきたことが罪だから、罰するかのようだ。

理解ある上司でも、「割り切るしかないよね」という。割り切られるものか。
わたしは、子供を確かに生む。でも、それは、わたしがわたしであることを捨てることじゃない。
子供は育てる。でも、わたしが自分であることを捨てることとも違う。
かわいがって、生活の一部となり、わたしの人生の重要な部分を子供が占めるとしても、やっぱり、わたしは「おまえがいるから、やりたいことができないのだ」と言わないで済むようにしたい。

幸いこの地域は、女の人が働くことが普通と考えている人の多い地域だ。
女の人の賃金は高くないが、それでも、父親たちは、子育てを熱心にしている人が多い印象だ。
塾の送り迎えや進路指導に、父親はよく来るし、ベビーカーを押しながら買い物をする男性もよく目にする。子供二人の手を引いて、歩いている男性もいる。巨大なリュックを背負いながら。

ゼロ歳児保育についても、周りの人から勧められるくらいで、三歳までは…というようなことを言う人にはまだ出会っていない。
そういう意味では、ラッキーだった。
妊娠初期に女性を働かせることは非道だ。
でも、そういう、個人の体調に合わせるほど、社会が成熟していないように思える。
女性が妊娠して、出産することが、もし、本当に重要だと考えるのならば、何をおいても、女の人が生きやすいように工夫できるはずだが。
きっと、社会は、女の人を生きやすくするよりも、優先するべきことがあるのだろう。

その、優先すべきことが、男性が下駄をはくということに注力しているように見えるから、反吐が出る。

個人の努力では限界がある。個人の裁量で何とかなる部分も大事だが、社会がバックアップすることだ必要だ。
そのために、社会があるのだから。

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女性差別と女性の就労問題

女性は、勉強していようが、能力があろうが、安く買いたたかれる。
年収一千万以上の女性は、ほとんど医者しかいない。男性の占める割合よりも、ずっと少ない。
正社員同士で比較しても、女性の賃金は、六割を切っている。

例えば、わたしは二つの学資を持っているから、勉強したとはいえるはずだが、就職市場だと何の価値もない。
もし、仮に、わたしが男性だったら、どうだろう?

旧帝大の大学院を卒業した同期も、開発を希望したのに、美貌があだとなって、社長秘書に回され、人事によって、各部門を転々とさせられたことを理由に、賃金を動機男性よりも低くされた。

一流国立大で、難関国家試験を持っていた、同級生も、妊娠出産以降は、時給800円のパートにつけるかどうか、で、不安がっている。

勉強したら、キャリアがあったら、能力があったら…、時給が上がるなんてとんでもない。
女性というだけで、わたしたちは、仕事をして、お金をもらう、という平等であるはずの場所で、同じ労働をしても、同じ給料をもらうことができない。

じゃあ、わたしは、子供たちに、「努力するのは意味がないよ。結婚して妊娠したら、どうせ、パートの800円でしか働けないから」と教えるべきなのか?

いや、そうじゃない。わたしは勉強の楽しさや自分で調べることのできる能力を育て、伝えたいと思っている。
困ったときに、声をあげられる、戦い方を教えたいと思っている。

女の子は頑張らなくてもいい、どうせ、頑張っても意味がないから。それよりも、楽しく生きればいいという言葉。
そういうのをずっと耳にしてきた。
本人が望んでいることが違っていれば、それは単なる抑圧だ。

最低時給を1500円にしろ、というデモがある。
それに対して、遊んでいたから、能力がないから、怠けているから、時給が高くならないのだ、と言っている人がいる。
それは違う。
努力が足りないのは国であり、企業だ。
人材が不足しているといいながら、人材を活用しようとしない。払うべきものを払わない。
もともと、最低賃金が安いのは、女性が、男性に扶養されることを前提としたものだから、差別構造の結果だ。
それが、男性にまで拡大したから、大騒ぎになっている。

女性差別を放っておくと、男性にまで飛び火する。高みの見物をしていて、切断処理をすることで、自分にはそんな不幸は降りかからないと信じたい人にも、飛び火するだろう。

差別がいけないのは、いけないからだ。だから、女性を差別すると男性も損をするぞ、という言い方は、まったくもって不適切だが、男性に届くためには、こんな風にこびて物を言わなくてはいけない。それも現状だ。

能力があろうがなかろうが、普通に生きられなくてはいけない。それは、国の負った義務だ。
わたしたちの権利だ。

今は、能力がある人ですら、評価されない。
女の人に、育児家事をまるなげすることは、結局、その女の人を雇用している会社の負担を盗むことになる。
それで、盗まれる側の会社は、女の人の査定を低くしたり、雇わなかったり、適切な部署に配置しなかったりする。

わたしは、技術職を目指して、技術的な勉強をしたのに、同じカリキュラムを受けた男性は、ちゃんと技術職に就けたが、わたしは就けなかった。口頭で、女の人にやってもらう仕事はうちにはない、営業くらいしかない、と言われた。
わたしは、そのころ営業をしたいわけじゃなかった。技術職で応募した。働ければ何でもいい、選ぶなという人もいるだろうが、選ぶために、わたしは時間と努力を投資したのだ。それを回収したかった。

男だと、下駄を履かされる。女は、低く見られる。
女をやっていても、気づくと、生きにくくなるから、見ないようにする人も多い。
でも、わたしは、そういうことを見ていたい。そして、喧嘩したい。

わたしのパートナーは、わたしが靴擦れをしたら、代わりにパンプスを履いてくれるような人だ。だから、一緒にいる。そして、結果的に、家計のほとんどを担ってもらっている。それは、運がいいのか悪いのか。
自分の生きるために賃金を、自分で得たいと思うのだが、なかなか難しい。
不本意でもある。
もし、彼が倒れたときにわたしは彼を養いたい。でも、今はそれができない。
働く人が偉いとは思っていない。でも、もし、何かがうまくいかなくなったら必要なのはお金だ。お金のためには働きたい。
それが、高望みになっている現状や、働くことで、いちいち差別に出会う現状を、何とか変えていきたい。
どう変えればいいのか、まだ何も見えないけれど。

ダブルライセンスを、バカにする人は多い。
意味なんてないと。
もし、わたしが男性だったら、同じことを言う人はいるだろうか?
いたとしても、態度が違うはずだ。
だから、わたしは、喧嘩腰でいる。

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胃が圧迫されて食べられない

子供がお中で大きくなって、内臓の位置が変わった。
そのせいで、胃がいつも押しつぶされるような感じで、食べられない。
気持ち悪いと横になっていると、よけい気持ち悪くなる。
かといって、起きてもいられない。
昨日、英会話で、Fワードを言わされてしまったせいで、今日は熱が出ている。
自分が弱い。弱くていいことってあまりない。
言われたときに帰る選択を思いつかなかった。
もちろんクレームは言った。言うと、言わないよりもすっきりする。
不思議なものだ。

昨日は夜中の二時に目が覚めて、ずっとレザークラフトをしていた。
精神状態が悪い。
もっと作りたいと焦るけれど、体がついていかない。
ゲームを買ってもらったから、してみたいんだけど、新しいことをする元気がない。

性被害者についていろいろ考えてみたので、ブログに書きたいけど、精神的負担が大きいので今日は断念する。

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女子力についてときどき相談される。

生徒さんから女子力がない、つけなきゃいけないですかねえ、と時々聞かれる。
必ずいうのは、「女子力があるからいいといってきた男の人は付き合ってからずっとそれを要求するよ。そのうえ、女子力が苦手な男の人も確実に存在するけど、女子力をアピールしていたら、その人たちは絶対に寄り付かない。女子力が苦手な男の人は家事も得意で、女子力を必要としない人が多いから、一緒にいて楽だよ。だから、女子力を無理して手に入れると、チャンスを逃すともいえる。
それよりは、したくないことをするより、自分のしたいことを一生懸命やって、自分の能力を伸ばしたほうがいいよ。もてるかもてないかは、別として、お金になることを頑張れば、お金だけは確実に手に入るし、お金があれば選択肢は増えるからね」ということを言う。

女子力を身に着けることが好きな人はそれでいいんだ。でも、そうじゃないのに、女子力ないといじられる子は気の毒だ。

自慢だと思われても仕方がないんだけど、わたしは家事能力の高い男の子に好かれることが多かった。
高校生の時には、フェミニストだということを公言していたし、女性の権利問題について、語ることも多かった。
わたしは、大学生になるまで、ファッション雑誌を買ったことがない。いまだに寝癖も直せない(朝、シャワーを浴びるという方法をさっきツイッターで教わった。ブローは手がつかれる。小さいこてを買ってから多少ヘアアレンジができるようになった。進歩に幸あれ)

そんな風でも、男の子が手作りのケーキをプレゼントしてくれたり、アクセサリーをくれたり、食事に誘われたり、デートに誘われたりしていたから、フェミニストであることも、家庭的であることをアピールしないことも、好かれるかどうかにはあまり関係がない気がする。

あ、今思ったけど、わたし家庭的な男性を馬鹿にしないから、そういうのがよかったのかもしれない。
たまに、家庭的なことが好きな男性の言葉かにする人もいるもんね。そういえば。

料理ができるというと、うっとおしい男に今度作って、と言われることを学んでいたから、なるべく言及を避けて過ごしていた。
趣味は手芸だし、魚もさばけるし、さばけるからって料理がうまいとはいえないけど、まあ、そこそこはできる。片付けと掃除は当時できなかったけど。

女子力が何なのか実際にはよくわからないけど、サラダを取り分けて、気が利くね、と言って、そのうえで好かれたら、そのような気遣いを延々としないといけないことをめんどくさいと思うメンタリティのわたしには、一回でもそういうことをすると目をつけられるのが嫌だからしなかった。

地味な恰好をしていると「おれでもいける」と勘違いする男に好かれるので、強そうな服装をしたこともあった。それでも、セクハラには遭うから、結局どうしようもないね。

世の中には、結婚する相手の女性に、家事能力を求め、なければ、結婚したいと思わないという人もいるようだ。
怠け者じゃなかったら、そのときできなくても覚えると思うし、自分ができていたらそれでいいと思うんだけどね。
わたしだって、一緒に暮らす人が全く家事をしないのはいやだ。男性の場合で、家事能力を相手に求める人は自分ができないのを棚に上げている人が多いから嫌だなと思う。

女子力を上げるのには時間と手間とお金がかかる。わたしはそこに有限な時間を振り分けることが楽しくなかったのでしなかった。でも別に全然困らないよ。

女子力が高い人を好きな男性にはもてないかもしれないけど、女子力をアピールされるのが怖いと感じる男性は必ずいるから、別に女子力を磨く必要はないと思う。

それより、ガールズパワーを磨いてほしい。何でも自分でできる!自己表現したい!っていう気持ちを保てるように。

わたしはヘテロセクシャルで、恋愛も、男性と付き合うことも、どちらかというと好きなほうだから、こういう風に書いたけど、別に恋愛に興味がなくても、ある程度当てはまることもあるかもしれないと思って書いた。
女子力別にいらないんじゃないかな。

恋人がほしいから女子力を磨く、というのも必ずしもうまくいくとは限らない、という話でした。

女子力磨く手間がないと、楽だよ。

自分は人の空気を察せられるし、気を遣うタイプだ、だから、気を使わない無神経な人がいると割を食うからむかつく、という人もいるだろう。わたしはそういう人に嫌われる。けど、まあ、そういう人とわたしは相性が悪いからきっともともと仲良くしないほうがいいのかもしれないね。

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同じ自閉症傾向でも特性が違う

六帖さんとわたしは、同じASDでも、特性が違う。
わたしは、比較的誰とでも話ができるが、六帖さんは、知っている人としか話せない。
昔わたしは、初対面とは仲良くできるけれど、継続的な人には、不安定な波を隠すことができず、付き合うことが難しかった。六帖さんには気分の波は少ない。

片付けも、わたしは、実家が、片付けをしない家だったので、片付けの仕方が分からなかった。物の場所を決める、という基本的なことが理解できなかったのだ。
本を読むのが得意なのだから読んで勉強しろと父親に言われたけれど、そういう問題じゃなくて、実際に見ないと理解できない部分が多い。あいまいな指示が理解できないのだ。実際に見ると、具体的も具体的だから、理解できる。

ヘルパーさんに教わって、片付け方の基本を教わった。動線を考えること、よく使うものは手前に入れること、奥のものも出しやすくすること。だから、わたしの家の台所のシンク下は複数のヘルパーさんが使うので、非常に使いやすい。どこに何があるのか、一目でわかる。

お玉やフライ返し、軽い鍋は、壁につるしてある。取り出しやすいし清潔だ。
洗ったお皿は、ちゃんと引き出しにしまう。引き出しの中も場所を決めておく。誰でも、すぐしまえるようになっている。
調味料も調味料入れにしまっている。ジャンル別にしている。

服や雑貨、押入れの収納の仕方も教わった。
わたしは、奥行きのある引き出しを使うと、手前にあるものを使うだけになってしまうことや、たたむことが致命的に苦手なので、深さのあるバケツを収納にしている。奥にあるものを出しやすいように、車輪のついている板の上に載せている。

六帖さんは、服を畳むことができる。でも、深さがあるバケツに入れると、下のものを認識できないので、上になるものばかりを使う。
だから、六帖さんには、奥行きがあって、浅い引き出しが良い。

わたしは、片付けの配置を考えることができる。
でも、毎回同じ場所に入れることが、感情の波の低い時にはできなくなる。それでいて、部屋が散らかると、混乱して、パニックが起きる。
六帖さんは物の配置を考えることが苦手だ。何か新しいことを思いつくことがあまり得意じゃない。その代わりに、継続して何かすることや、こつこつすることが苦にならない。

だから、六帖さんは、洗濯物を畳んで、決められた場所に入れることができる。新しいものが増えなければ、家を散らかさないで済む。
でも、新しいものが増えたとき、わたしと六帖さんが同時にダウンすると、部屋がとても散らかってしまう。

わたしは掃除機の音が苦手なので、ヘルパーさんに頼んでやってもらう。
妊娠してから、寝たきりだったので、手伝うことができなかったのだけど、今日は一緒に片付けができた。

話しながらできるので、とても、気分転換になる。

手伝うと、身体介護になるので、点数は家事援助よりも高い。何もしなければ、家事援助になるから、点数が低い。
でも、わたしは、自分でできることを増やしたい、というのが目標なので(介護には目標が設定される)、できるだけ手伝う。

料理は、以前は、気力がなかったため、大鍋でスープを作って、何日も食べていたけれど、六帖さんが来てから、毎食ごとにご飯を炊いて、一品だけのことも多いけれど、毎回作るようになった。
だから、食生活が安定した。

六帖さんは、毎日同じことをすることが得意で、わたしは飽きっぽい。飽きっぽいのに変化には弱い。
変化に弱いのは、六帖さんも同じだけど、微妙に違う。

わたしは同時に何かすることができるけれど、六帖さんは疲れてくると何をしたらいいのかわからなくなって、フリーズする。それは、わたしにも起こるけれど。

わたしには感覚花瓶が、音と光、PTSDで男の人の大声が怖い、というのがあるけれど、六帖さんにはあまりない様だ。
二人とも共通して苦手なのは、困っているのに、自分が困っていることが理解できない、というところだ。

でも、二人で暮らして、とても楽しい。

今日は調子が良かったので、一時間ほどレザークラフトをした。オレンジ色のペンケースを作って、六帖さんに上げた。

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