お風呂の時間だけが救い

風邪と食中毒が一緒になったみたいなつわりがずっと続いていて、もう、とっくに終わってもいいはずなのに、まだある。

食事は少しずつ食べられるようになってきた。絶食の後はヨーグルトにはちみつをかけたものが比較的食べやすい。
味付けが濃いものや脂っこいものも、楽なときは食べられる。薄味のものは食べにくい。
味覚が変わっているから、味がよくわからない。すっぱいものはおいしい。ほかに食べられない。

お風呂に入浴剤を入れて入った後は比較的楽なので、お風呂の時間が唯一の救い。
人と会わないので、とにかくさみしい。世界中から嫌われているという妄想がある。

減薬をしているので、躁鬱が悪化し、振り回されていて、つわりのせいもあるけれど、外出もままならない。
一歩外に出れば、人間らしく振る舞えるのだけど、なかなかそのパワーがでない。

家の中では、独り言がひどい。意味のない単語を延々という。節をつけて言ったりもする。
一緒に住んでいるのがほかの人だったら耐えられないと思う。

仕事の面でも、ずっと休んでいて、個人的に迷惑をかけているお客さんも多い。
仕事をできないのもつらい。

去年までは働きすぎていたと思う。五年前と比べて、躁鬱の切り替わる時期が短くなった。具体的には一週間周期だったのが、三日周期になった。
働きすぎないようにしながら、食い扶持を確保するのは難しい。
体もうまく言うことをきかない。薬の副作用で太ってしまったのもずいぶんと悲しい。
一日中そのことが頭を離れない。

社会から隔絶されていると悪いことばかりを考える。かといって社会と接続していても、つらいことは多い。
どうすればいいのかわからなくて、ぐるぐる考えてしまう。

きっと子供もも、なんらかの困難を抱えている子が生まれるだろうから、何ができるか、考えている。


ギフテッドであろうとなかろうと生きにくい発達障害

あれから約1年、50円東大生と発達障害の数学少年が再会しました。
この記事のブコメに才能があることについて、嫉妬している発達障碍者の人がいた。
結構しんどい話やなーと思う。

わたし自身は、ギフテッドかどうか知らないけれど、小学三年生のころには、古典を読んでいた。清少納言や、紫式部。ひらがなで書いてあったから読めたのだ。下に注釈があったし。翻訳されたものならシェイクスピアや、海外の昔話、童話やその類似性を分析した本を読んでいた。
株や法律、保険金、そういったものの本も読んでいた。小学生の時には一日に一、二冊、休日には五冊から十冊読んでいた。
だから、国語は得意だった。国語が得意だとほかの科目もできる。特に社会は雑学を知っていればある程度できる。
高校受験の時には、答え方を覚えていないとできないから勉強は必要だった。

でも、わたしは二次障害で体を壊し、学校に行けなくなった。

適応できなかった。

目につく才能だったから、ほめられることも多かったけれど、謗られることも多く、仲間外れや、いじめも受けた。
何足靴を買い替えたかわからない。片方の靴を隠されて見つけられても、もう片方は燃やされていた。一緒に探すふりをした子が犯人だった。その子は、泣いて、もういいから帰る、といったわたしを、見つかるまで探そうよ、と言いながら、わたしの反応を見るために最後まで残っていた。

わたしは社会性がなく、うまくいかないことがあると、教室の中で机を放り投げて暴れたこともあった。筆箱をおもちゃにされて、投げた男の子をナイフをもって追いかけた。教師に、ナイフをもって追いかけたことを怒られた。ランドセルをぼこぼこに踏まれて、家に帰ったら物を大事にしないと怒られた。そういうことに、納得がいかなかった。

中学時代の時は体がしんどくてたまらなかった。勉強だけしていればいいと許してもらえれば楽だった。
満点でも許してもらえない親の元で、勉強をする時間を求められて、いつもドアを開けることを命令され、ランダムに見張られては怒鳴られる家庭で、落ち着いていられる時間もなかった。

学校でも家でも、居場所がなくて、いつも死ぬ場所を探していた。

多少優れた点があっても、社会とうまくいかなかったら、生きていくのはつらいことだ。
社会とうまくいっていても、やっぱりつらいものはつらいだろう。社会とうまくいっているから、かえってつらいこともあるだろう。

わたしの躁うつ病は二次障害なんじゃないかなと思っている。

働き始めてからもいろいろと困難はあった。働くということがあまりよくわからなくて躓くこともあった。
幸い、勉強が得意だということを生かして、塾の仕事につけたからよかったけれど、働きやすい業界かというと、そういうわけでもない。
今は、パートナーに養ってもらったり、生活の面で補ってもらっているから、ずいぶん楽になったとはいえ、彼もわたしと同じ発達障害だ。
彼もやはり、勉強が得意だったものの、成人後は、かなりの地獄を見ている。

わたしたちにあるものが才能と呼べるほどのものかはわからない。多少優れている点はある。そこを隠しても、謙遜だと思われることはなく、むしろ、悪いように取られるので、わたしは優れている点がある、ということにしている。どちらにしても、憎まれる。優れた点や変わった点があると、それをもっているだけで、憎まれる。隠すことはできない。隠しても、それはそれで憎まれる。

他人からどう見られるのかを多少想像することはできても、たとえば、嫉妬の概念のない私には、うらやましいところまでは理解できても、嫉妬ということの全容は理解できない。できないものに対策はできない。わたしにない感情は、わたしには理解できない。
そういうところで、衝突はよくある。

自分を隠せば隠すほど、もっと難しくなる。かといってむき出しのままでも難しい。どちらにしても難しい。正直でいることのほうが、単純だから対処しやすい、というだけで、自分を隠さないでいる。でも、やっぱり、いろいろな人がいるから、絶対の正解とは言えない。

正解を探してしまうのが、わたしの特徴でもあるけれど。

適応しようとして、適応障害になったこともあった。体が動かせなくなった。過呼吸もひどかった。

才能だけを見る。そうすると、きっと羨ましい。才能がない。そう思えば、自分には何にもないと感じる。
わたしは、自分の才能を、「なんの役にも立たない。お金にならない。社会では役に立たない。価値がない。そんなものは才能とは言えない」と言われたことがある。わたしはその人の言うことを聞いてしまい、時間を無駄にした。
才能があると目立つ。目立つとつぶされる。
才能がなくて、何もないと嘆くこともある。自分のできることに何の価値も感じられなくなると、自分にはどんな意味での才能もないのだと、思い、心細くなる。わたしは何もなさないで、何もせず、死ぬのかと思うと、さみしくなる。

何を才能と呼ぶのか、評価する人がいてこそ才能だと認識できるのだと思うけれど、もし、才能があったとしても、生きていくことは難しい。
才能がないとしても、生きていくのは難しい。
才能があるといわれてたけれど、期待ゆえに、ゴムを引っ張り続けると、ちぎれるように、ちぎれてしまったわたしも、やっぱりいる。
何もかももなくして、わたしには、才能どころか能力もない、価値もないと、泣いているわたしもいる。

どちらも楽じゃない。
両方のわたしがいる。


どんなに有名な人でも消える

ブログを久しぶりにかいてみたら随分気が楽になった。
例え誰からも嫌われていてもいいじゃないか。
わたしはわたしのしたいようにしているのだから。

わたしは全然有名な人間ではない。立派でもない。
つまらない人間だ。
これから何か為したいとは思っているけれど、なかなか実現しない。
でもいいんだ。

どんなに有名になったとしても、風向きひとつで敵と味方は変わり、表舞台から去ればすぐに忘れ去られる。

わたしはそもそも忘れ去られるどころか、知られていない。

言葉は空をさ迷う。どこにも届かないで消えるとしても、書きたいから書いてる。自分を支えるために書いてる。それだけでよかったのだということ。

書いているうちに思考が広がって、ネガティブにしか捉えられなかったことも、違う方に考えられる。
それは書くことの魔法だ。

わたしは魔法を使いたくて、言葉を使って、自分を少しでも違う角度から見るために書いているのだった。

それは有名になるためでもすごいですねと誉められるためでもなくて、自分のためだ。
欲を出せばきりがないから、もちろん認められたり、誉められたりしたい気持ちはある。

そもそも原点に立ち返れば、言葉を使って遊び、言葉から生まれる幻影をいつも追いたいから、わたしは書いてきたのだった。

自分に正直に、嘘をつかずに、誰に理解されなくても、理解されても、なにも変わらずにいたいから、続けたいのだ。

名声を追い求めても、それはいつか消える。
なにもかも消えるのだとしたら、わたしはわたしの芯のようなもののために書くのだ。


旅行にいってきた

旅行にいってきた。
六帖さんとはあまり旅行しないまま妊娠してしまったので、急いで二人きりの生活を満喫しようと思って、旅行にいってきた。

旅行はすごく楽しくて美味しい空気と水を満喫してきた。
一番の贅沢。

ホテルでゆっくりして、フレンチを食べた。
とても広い部屋で、八畳間の和室と洋室に別れていて、アミニティも充実していてとてもくつろいだ。

夕食はフレンチのフルコースで、オードブルのホタテの燻製や海老が美味しかった。マスのコンフィを食べた時点でだいぶ満腹になった。
子牛のフィレはしっとりしていて柔らかくてジューシーだった。
デザートはマカロンとバニラアイスクリームと生チョコをイチゴのソースにつけたやつだった。

ノンアルコールの白ワインというのがあり、それを飲んだ。
ブドウジュースと少し違うみたいだ。

朝は散歩をした。
空気が木の香りで満たされていて、風が吹く度に凍えそうになった。
それでも日当たりのよいところを歩くと暑いくらいだった。
山が砂糖菓子みたいに白かった。
二人で歩いて楽しかった。

毎日日記を書きたいのだけど、ネガティブになってしまっていて、誰からも嫌われてるし、誰も読みたいと思っていないのだと思うので、気持ちがくじけてしまっていた。

でも、最初書き始めたときは、なにも期待しないで、書いていたのだからもとに戻ればよいのだ。

つわりは収まる様子を見せない。だんだん体力も落ちてきて、気持ちも弱っている。

旅行中はつわりも軽かったのだけど、帰る途中から悪くなって、家についたとたんにだいぶ吐いてしまった。

妊娠中の記録をもっとつけるつもりだったのに、あまり書けない。

自分のからだの変化が恐ろしくて、太ることがやはり怖い。食べていないので痩せてしまった。
でもそれにほっとするような、気持ちもある。


無気力と逃避

しばらくブログを書かなかった。

体調が悪かった。

吐いてばかりいて、肉体的につらいせいか、何もかも徒労のように感じて、何かすることに意味はないと思うようになった。

死にたいとGoogleで検索窓に打ち込むようになった。

生きていてもいつか死ぬのだから早い方がよい。
その方が楽だ。

六帖さんにわたしが死んだらどうする?という話ばかりするようになった。

なにも成し遂げないまま老いて死ぬ。未来に希望を感じず、悲観的になって、今辛いのだから消えたいと思った。

それは今でも続いていることなのだが、わたしはいつもよりしに至る可能性が高くなっていても、たぶんわたしは死を選ばない。
それもわかっているのだが、しんどい。

ブログも面倒になって止めようかと思ったのだが、やっぱり止めたくないようだ。
ブログがわたしの役に立つことも他人の役に立つこともない。無駄だ。徒労だ。
でも、わたしはやっぱり続けてしまうようだ。

他人に影響力もなく、書いていることになんの意味もなくても、続けているのは、なぜかわからない。

家族を増やすことには失敗した。
成人と付き合うのはなかなか難しい。
見る目がなかったとずいぶん思ったが、おそらく相性が悪かったのだろう。
わたしはストレスを体で感じてから、それから認識するようで、体調を崩さないと、受けているストレスにあまり気づかない。
とにかく、あの計画はうまくいかなかった。
がっくりした。
がっくりしすぎて、一週間寝込んだ。

子供はまだ流産していない。生きてる。
よかった。
町中で子供を見ると不思議な気持ちになる。
あんな小さいものがやってくるのだ。

怖くてたまらない。

挫折しながら生きるしかないのだと何度となく思ってきたものの、失敗や努力が徒労に終わったときに、また同じように挫折も失敗もあるのだ、と思い直して、仕切り直すのは疲れる。
やるしかないのだと思えど、しんどいものはしんどい。